解説「菩薩の生き方」第三十一回(5)

【本文】
堪能で、勤勉で、常に自ら行なう者であれ。すべての行為において、決して誰にも場所を譲ってはならない。
【解説】
この部分は面白いですね。これをどう読むかはいろいろな読み方があると思いますが、自分のなすべき功徳、あるいは日常のことも含めて、怠惰になったり、人にやってもらったりせずに、不放逸に、常になすべきことをなせ、という意味ではないでしょうかね。
といってももちろん、頑なになるべきではないので、ケースバイケースですが、怠惰さを捨て、積極的に、なすべきことを自ら行なう者であれ、ということでしょうね。
はい。これは読んだとおりですけどね。こういった『入菩提行論』とかの古典は、時代も違うので、一見何を言っているのか分かんないってことがあるけど。そういうところはちょっといろいろ類推が入りますけど、ここも、この短い一文から読み取れることは、常に、「堪能で、勤勉で、常に自ら行なう者であれ。すべての行為において、決して誰にも場所を譲ってはならない」。――こういう、なんていうか、つまり大袈裟に言ったらさ、もちろん自分のことはすべてそうだし、あるいはほかのいろんなことも、「全部おれがやりますよ」というぐらいの気持ちね。つまり怠惰とは真逆の――なんだっけ、名前忘れたけどチベットの、奉仕だけで偉大な解脱に達したチベットのカダム派の修行者がいたけども。彼も、つまり彼のグルのもとで行なわれるさまざまな仕事とか奉仕で、彼の手がついてないものは何もなかったと。うん。もう率先して、つまり義務的にやるんではなくて、あるいは言われたからやるんでもなくて。これはおれの仕事である、みたいな感じで全部やると。そういう気持ちが大事だということだね。
しかしまあ、ここに書いてあるように、だからといってかたくなになっちゃいけないと。かたくなになっちゃいけないってのは、つまり、「あ! あなたやらないで!」と。「これはわたしの仕事だから!」とか。あるいは自分のやることを誰かが手伝ってくれるときに、「いや、手伝わないで!」と(笑)。「わたしの精進を邪魔しないで!」とかね(笑)。これはちょっとかたくな過ぎるので。
だから、繰り返すと、これ、気持ちの問題ね。実際にはもちろん愛を持って、慈悲を持って、周りの人の気持ちを考えて対応しなきゃいけないんだけど、ベーシックには、つまり独立心っていうか、わたしはもちろんわたしのことは全部自分でやるし、それから例えば人々がやんなきゃいけないこととかは全部率先して、わたしの仕事だ、ぐらいの気持ちでやるんだと。人任せにしないんだと。あるいは「おれに任せとけ」ぐらいの気持ちで、おれがやるんだと。その結果も含めてね。おれがいれば絶対成功させるくらいの気持ちで絶対やるんだというような、強い、積極的な精進の気持ちを常に持ち続けると。
だからここで言ってるのはもちろん、心理的な問題だと思います。つまり、決して誰にも場所を譲ってはならない。こういう気持ちね。でも別に戦うってのは駄目ですよ。例えば師が、「ちょっと誰か水汲んできて」とか言って、「はーい、おれが! おれが!」(笑)。「絶対譲らねえ!」とか言って(笑)。で、けんかが起きて(笑)。それは本意ではないからね。うん。でもそれくらいの、本来はそういう気持ち。だから例えば、なんでもいいんですけども奉仕しなきゃいけないことができたときに、奪い合うまではいかなくても、率先してそれぞれがやるんだと。しかし同時に、法友同士、なんていうかな、もしそういうのをパッてやる人がいたら、それはそれで見てて称賛するとかね。うん。そういうような、かたくなではない、しかしそれぞれがほんとに真剣に精進を考えているようなね、グループであったら、とても素晴らしいと思いますね。
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