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「サハジャの大楽」

◎サハジャの大楽

【本文】
 これを経験するには、プラーナが中央気道に入り、とどまり、溶け込むというプロセスによって生じた、「サハジャの大楽」を得、それにしっかりと習熟することが必要である。

 なかなか大変ですね。まずこれを経験するには、いつもこれは六ヨーガ関係のときは言ってますけども、まずポイント――物理的ポイントとしては、プラーナを中央気道に入れなきゃいけませんよと。ね。中央気道っていうのはつまり、われわれの身体のど真ん中を走ってる気道があるわけです。普通はこの気道は使ってないんです。この気道が使われるときっていうのは、死の時です。死の時にはこの気道に気が入るんです。で、修行者は――特にこの六ヨーガとかの修行者は、生きていながらこの中央気道に気を入れようとする。で、これはすべてクンダリニー・ヨーガとかそういった――あと仙道とかも全部同じです。全部最後に目指してるのは、この中央気道に気を入れる。で、それを実際に行なうことによって、強烈なエクスタシーが生じます。で、強烈なエクスタシーと空の経験ね。空の経験っていうのは、一切は実体がなく、単に実体がないだけじゃなくて、さっき言った二元を超えた、言葉では説明できない本質的な世界があるわけだけど、そこに没入する。それとそのエクスタシーが混じり合ったような経験ね。これをサハジャの大楽っていってるわけですが。
 つまりもう一回言うけども、クンダリニー・ヨーガ系の修行によって、しっかりと中央気道に気を入れ、で、その先のプロセスもあるわけですが――それによって空とエクスタシーを経験し、それが混ざり合ったような経験をすると。で、実際ね、現実的な話を言うと、おそらく一生懸命修行しても、それを経験するのはとても大変なことです。しかし頑張れば経験できるかもしれない。でもそれはね、例えば経験したとして、多分最初は一瞬です。一瞬っていうか、例えば数秒かもしれない。数秒その状態を経験しました。でもすぐにまた元に戻ってしまう。あるいはうまくいけば三十分とか経験できるかもしれない。でもまたすぐに元に戻る。しかし頑張って――つまり、それで満足せずに、何度も何度もその経験をできるように頑張ると。それが習熟するってことだね。
 もちろん理想としては、いつでもその状態に行けますよっていうのが理想だけど、そんな甘いもんじゃないんだね。修行って全部そうなんだけど、到達することも難しいけども、それを確定させるのは非常に難しい。到達しただけでもそれは素晴らしい。でもそれは一回かもしれない。また元に戻っちゃうかもしれない。だからそれを何度も何度も、今言った状態に「習熟」するわけですね。はい。で、これは土台ね。さらにその先があります。

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