yoga school kailas

2011年インド修行旅行記(13)

 ドッキネッショル滞在中のある日、我々は丸一日時間をとって、その付近にあるいくつかの聖地巡礼に向かいました。前半は「あるヨギの自叙伝」で有名なパラマハンサ・ヨガナンダ関係、そして後半はラーマクリシュナ関係の聖地です。

 ヨガナンダ関係というのは、ヨガナンダの団体の本部であるヨゴダ・マト、そしてセランポールにあるヨガナンダが住んでいた家、ヨガナンダの師であるスワミ・ユクテシュワラ・ギリのために建てられた瞑想堂、そしてヨガナンダやユクテシュワラが毎日沐浴したガート、そしてユクテシュワラがマハー・アヴァター・ババジに会ったという場所などです。
 わたしはこれらの場所に来るのは3度目なのですが、それもあったのか、正直、それほど感じるものはありませんでした。まあもちろん縁というのもあるのでしょうが・・・・・・前日に行ったラーマクリシュナの部屋があまりにもすごかったからというのもあったかもしれません。
 しかし有名なヨガナンダ関係の聖地ですから、初めて来る生徒さんたちは喜んでいたようです。「あるヨギの自叙伝」は日本のヨーガ界や精神世界では有名な古典で、ヨガナンダのファンも多いと思うのですが、これらの場所には日本人は一年に一人くらいしか訪ねてこないそうです。

 さて、そして後半は、ラーマクリシュナ関係の聖地を回りました。まず目指したのは、「ラーマクリシュナの福音」の著者である「M」ことマヘンドラナート・グプタの家です。

 ところで、ラーマクリシュナ関係の聖地を回るときには、ラーマクリシュナ僧院に頼んで何台か車をチャーターしてもらったのですが、そのうちの一台の車の運転手が、とても感動的なことを言っていたそうです。それは、彼もラーマクリシュナの信者なのですが、あるときから、「もうラーマクリシュナのためにしか働かない」と心に決めたのだそうです。ラーマクリシュナ僧院の僧を乗せたり、我々のようにラーマクリシュナ関係の聖地に行く人を運んだりする以外は、運転をしないという意味です。仮にそのために収入が減っても、単にお金を稼ぐためだけには働かないということです。その代わり、ラーマクリシュナのための仕事ならば、いつなんどき、どこにいても飛んでいくのだそうです。
 何というか、うまく言えないのですが、このラーマクリシュナ関係の場所には、こういう人たちが多くいるように思いました。地域的な問題もあるのかもしれませんが、他の聖地の信者や修行者とはまた違った、ラーマクリシュナ関係の人々独特の、素朴さ、純粋さ、屈託やけがれのなさといったものを、僧たちだけではなく、多くの在家信者たちの中にも感じるのです。
 これもラーマクリシュナの、そしてその直弟子達の持っていた心の純粋さ、エネルギーなどが、今も生きているということなのでしょう。
 この運転手とは私は違う車に乗っていたのですが、車を降りたときに少しだけ話す機会がありました。彼は私のお腹を見て「GOOD!」と言い、次に自分のお腹を指して「BAD!」と言いました笑。見ると彼は、身長が高くてやせ気味なのですが、お腹だけポッコリと出ているのです。しかし彼はまじめな顔をして、「このお腹はプラサードでできているんだ」と言うのです笑。プラサードとは、神に捧げられたお菓子や食事などのお下がりのことです。つまり自分は別に食べ物を貪ってお腹が出てしまったわけではなく、神のお下がりをいつも有り難くいただいていたから、こうなってしまったのだというわけです笑。
 こういう事を、冗談とも本気ともつかない顔で言うのです。おそらく冗談であると同時に、本気なのでしょう。この軽く、熱く、素朴で純粋な感覚。こういった感覚が「ラーマクリシュナ」の名のもとに、その祝福のもとに、今もこのドッキネッショルに充ち満ちている感じがするのです。

 さて、Mの家へと向かう途中、運転手は、「ここがギリシュ(ラーマクリシュナの有名な在家信者で、劇作家だった)の家だ」「ここがギリシュの劇場だ」「ここがニヴェーディター(ヴィヴェーカーナンダの女性の弟子)の家だ」「ここがバララーム・ボース(ラーマクリシュナの有名な在家信者)の家だ」などと、誇らしげに教えてくれます。本当に、「ラーマクリシュナの福音」に出てくるような有名な人々の家や関係施設が、そこらここらにまだそのまま残っており、ああ、我々はラーマクリシュナの世界に来ているんだという、不思議な感動を覚えました。

 さて、そしてついに車は「Mの家」へと到着しました。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする