yoga school kailas

「光明を生じさせる方法」

20090419 解説・ナーローの6ヨーガ⑧

◎光明を生じさせる方法

 今日はナーローの六ヨーガ――まあたぶん最後かもしれないですね。今日は新しい人も含め、結構多くの人が参加していただいて、申し訳ない気がするんですが、かなりマニアックな(笑)――つまりこの六ヨーガ自体がかなり高度でマニアックなんですが、特にこの最後の部分は結構高度っていうか、マニアックっていうか……皆さんにあまりしばらくは関係ない話なので、まあ後々のね、われわれが到達するような話として見ていったらいいですね。はい。じゃあまず読んでみましょう。

【本文】
☆光明を生じさせる方法

1.覚醒時に光明を生じさせる方法

 光明には、「共通の光明」と、「無上ヨーガタントラの特別な光明」の二つがある。

 「共通の光明」は、大乗であろうと小乗であろうと、マントラヤーナであろうとパーラミターヤーナであろうと、所作・行・ヨーガ・無上ヨーガのどの方法によろうとも、有と無や常と無常などの二元を離れ、ものの本質である空性に到達したときに生じるものである。

 「無上ヨーガタントラの特別な光明」も、本質的には「共通の光明」と同じなのだが、サハジャの大楽という方法によって空性を悟り、経験する光明なので、「無上ヨーガタントラの特別な光明」と呼ばれるのである。これは別名、「サハジャの光明」とも呼ばれる。

 ここでいう「光明」というのは、瞑想して、「何か先生光が見えました。明るくなってきました」――というものとは全く違います。つまりレベルが全く違うんだね。
 つまりここに書いてあるように、「どの方法によろうとも、有と無」――有と無って分かるよね?――つまり「物は存在してるんだろうか? 存在していないんだろうか?」。われわれは普段存在していると思ってる。でもある種の瞑想経験では一切が無いような感じがする。しかし最終的にはその有と無を超えた、言葉では表わすことができない、一元的な世界に入るんですね。または常と無常ね。一般的にはもちろん「すべては無常ですね。移り変わりますね。」しかしそうじゃない常に見える世界がある。しかし真実は常と無常を超えてる……とかね。つまりその二元を超えた世界――それを空性といってるわけですが――そこに入ったときに生じる本質的な光なんだね。
 本質的な光ってどういう意味かっていうと、つまり一般的な光ではないんです。一般的な光っていうのは二元でしょ。つまり闇の逆の言葉でしょ、光っていうのは。つまり光があるから闇があると。逆にいうと、闇っていうのが存在するから光っていうのが成り立っている――じゃない光なんです(笑)。本質的な光なんだね。だからこれは本当に最終的な高度な話をしてるんだね。で、それが「共通の光明」。
 で、「無上ヨーガタントラの特別な光明」も、これもいってることは同じ。つまり境地としては同じなんだけど、そこに達する方法論が、サハジャの大楽という方法によって空性を悟る。これはつまり、この前の方でね――これはまたみなさん、この本を買った人はね、最初の方を――まあ全体的に難しいんだけど(笑)――復習したらいいと思いますが、ものすごいエクスタシー、つまりこれも本質的なエクスタシー、気持ちいい状態を経験しつつ、空の世界に入っていく修行。これがこの六ヨーガに代表される「無上ヨーガ」、つまり「この上ないヨーガ」といわれる道の特徴なんですね。で、その果てに経験する光なので、光自体は同じなんだけど、サハジャの大楽という強烈なエクスタシーと共に没入する光なので「サハジャの光明」といわれますよ、ということですね、ここは。

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