yoga school kailas

Mとサティシュ・チャンドラナート(8)

◎1926年12月19日 モルトン・インスティテューション

 寒い冬だった。Mは羊毛のショールをかぶって、長椅子に座っておられた。
 その夜の会合において、彼は師とホーリーマザーのことについて話された。

M「ジャーマプクルでは、師は兄のトル(サンスクリット語の学校)で学んでおられた。
 そのトルはだいぶ前に閉校してしまい、そこにシャーマスンダラ寺院が建てられたのだよ。
 そこにしばらく座ると、目覚めを感じるだろう。
 正真正銘のバクタは、そこに行って師を思うのだ。」

 そうしているうちに、ベルル・マトから信者がやって来た。Mは彼にこう尋ねた。

「誰が師の寺院の礼拝者なのだね?
 誰がホーリーマザーを礼拝しているのか?
 どんなサリーで、母なる神の絵を飾っているのかね?
 ショールは使っておられるかな?
 ベルル・マトのフラワーガーデンはどんな感じかね?
 そこで喜びを感じたかね?」

「はい、感じました。」

M「法悦にはさまざまな印がある。
 その中の一つは、何度も何度も聖地を訪ねることだ。
 未婚の者の心は神に惹きつけられて、すべてを捨てる気にさせられ、ラーマクリシュナ僧院に出家するのだ。
 在家者のアシュラムと出家者のアシュラムの間には大きな相違がある。
 光は在家者の生活には隙間から入ってくる。そして僧院生活の中には、光の流れが全方向から入って来るのだ。
 彼らは内も外も光に満ちている。」

 そうしているうちに、別の信者が、シャーマスンダラ寺院から甘いお菓子と果物のお下がりをもってきた。
 Mはそのプラサードに頭で触れ、信者たちに分け与えた。

M「師はよくこうおっしゃっていた。

『私のことを思うすべての者のことを、私は思っているのだよ。』

 われわれはほんの少ししか師のことを思っていない。それなのにごらんよ、彼はわれわれにこんなにプラサードを送ってくださった。
 われわれが体、心、そしてすべてのものを師の御足に捧げたら、師はわれわれにどんなことをしてくださるのか、私には想像もつかないよ。」

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