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解説「ミラレーパの十万歌」第二回(7)

【本文】

 翻訳者マルパに敬意を表します。
 わたし、存在というものの究極の真髄を見る者は、
 この七つの飾りの歌を歌います。

 あなた方、ここに集まった邪心を持つ悪魔たちよ
 耳を傾けて、私の歌をよく聞きなさい。

 中央の山スメールの横、
 南の大陸の上に、空は青く輝いている。
 その天空は、地の美であり、
 その青さは、地の飾りである。

 スメールの偉大なる樹のいと高き所では、
 太陽と月の光が輝き、
 四つの大陸を照らし出している。
 ナーガの王は、慈悲を持ってその奇跡的な力を行使し、
 広大な天から、雨を降らせる。
 これは地の飾りである。

 大海から蒸気が上がり、
 広い大空に達する。
 そして大きな雲を形成する。
 因果の法則が、諸元素の変化を支配している。

 真夏には、平原の上方で虹が
 丘の上に、やさしくとどまる。
 虹は、山々や平原の、美であり飾りである。

 西方で、雨が冷たい大海に降るなら
 地には茂みや樹木が繁茂する。
 これは、大地のすべての生き物の
 美であり飾りである。

 わたし、隠遁地にとどまることを好むヨーギーは、
 心の空性について瞑想する。
 わたしの集中の力を恐れ、
 お前たち嫉妬深い悪魔たちは、夢中で魔術を使う。
 ヨーギーにとって、悪魔の魔術は、
 美であり飾りである。

 非人たちよ、耳を傾けて、
 わたしの言葉をよく聞きなさい!
 わたしが誰か知っているか。
 わたしはヨーギー・ミラレーパ。
 わたしの意識から、解脱という心の花があらわれる。
 清涼な声によって、お前たちにこのたとえを歌う。
 誠実な言葉によって、ダルマを説く。
 慈悲深い心によって、この助言を与える。
 もしお前たちの心に菩提心が芽生えるなら、
 たとえ他に有益でなくても、
 十悪を断つことによって、
 お前たちも歓喜と解放を得るであろう。
 もしわたしの教えに従うなら、
 能力は、大いに進歩するだろう。
 もし今、ダルマを実践するなら、
 ついには、永遠の歓喜に包まれるだろう。

 はい。この辺はまあ、あまり込み入った解説はしないけども、ミラレーパの歌ってこういう歌が多いんですね。つまり一見ただの自然描写みたいなのがこういろいろ続くんですが、これがさっき言った、ミラレーパが完全に、なんていうかな、このマーヤーの世界の素晴らしさに覚醒している状態なんだね。で、言ってみればただ当たり前のことを淡々とこう言ったり――空が青いとかね、いろいろ言ってるだけなんだけど、それがこの幻影の世界の美しい飾りであると。
 スメールとか云々っていうのは、これはいわゆる仏教宇宙観ですね。まあ、今日はあまり突っ込まないけども、その仏教宇宙観におけるいろんな世界観、あるいはそこにおける現象をいろいろ言ってるんだね。で、それはすべて美であり飾りであると。
 そしてこのヨーギー・ミラレーパが瞑想をしてるときに悪魔たちがやってくると。それもまたわたしにとっては美であり飾りである。
 こういう、非常に余裕があるっていうかな。すべてを――つまりわれわれの馴染んだ言葉で言うならば、「すべては神の愛」と。ね(笑)。「すべては神の思し召し」と。ね(笑)。ちょっと使ってる言葉は違うけどね。その境地にミラレーパはあるわけだね。
 はい。そして、最後にまた教えを説くわけだけど、ここでの教えはまず、「おまえたちの心に菩提心が芽生えるなら、例え他に有益でなくても」云々ってあるね。つまりこれは、分かると思うけど、菩提心、つまり菩提心っていうのは――まずその背景には四無量心とか慈悲の気持ちがあるね。「みんなを愛してる。みんなを幸福にしたい。そのためにはわたしが修行し、ブッダになろう」と。つまり、「みんなほんとに幸福になってほしいな」と。「でも、みんなカルマによって苦しんでいる。」つまり表面的な幸福なら与えられるけど、それじゃちょっと駄目だと。「根本的に彼らを悟らせなきゃいけない」と。「でも今のわたしにはそんな力はないんじゃないか」と。「よって、わたしはみんなのために修行をするぞ」と。これが菩提心だね。そしてこの菩提心っていうのは、一番その菩提心を持った人に利益を与えるんだね。つまりちょっと逆説的な感じなんだけど、菩提心っていうのは「自分を犠牲にして人を救おう」っていう気持ちなんだけど、結果的に菩提心を持った人が一番利益を得ます(笑)。変な話なんだけどね。でもそうなんだね。
 つまり、もちろんほんとにほんとにその人が菩薩となりブッダとなるならば、もちろん多くの周りの衆生が利益を得ます。しかしここで書いてあるのは、菩提心を持ちました、しかしまだそんなに修行が進んでなくて、人にはまだそんないい影響を与えられない。だったとしても、その人自身は大きな利益を得ます。もちろんもっと修行進めば周りにも良い影響を実際に与えられるわけだけど、そこまで行かなくても、「おまえが菩提心を持つならば、まだ周りを幸福にするだけのパワーがなかったとしても、おまえ自身は幸福になるだろう」ということだね。
 はい、そして、「今、ダルマを実践するなら、ついには、永遠の歓喜に包まれるだろう」と。これも単純な言葉だけど、とても重要なことです。今、まさに今、われわれは真理を全力で実践しなきゃいけない。いつも言うように、結局われわれには今しかないんです。「ちょっと今はやめておく」とかね(笑)、こういう人は一生ダルマを実践できない。あるいは「あとで」とかね(笑)。だからこの、なんていうか、変な習性をやめなきゃいけない。まさに今やるべきなんだね。
 でも逆に言うと、つまりわれわれにはそれだけの希望がある。「わたしはこんな悪いことしてきました。過去においてこんなにカルマが悪かったです。」「それは分かりました」と。「しかし今、あなたが真理を実践するならば、どんなに過去にカルマが悪かったとしても、今、真理を実践するならば、必ず永遠の幸福に至れます。」「でも、ああ、わたし駄目なんです。過去こんなに悪かったんです。」「じゃあ今、実践しましょうね。」「いや、ほんとにわたし駄目なんです。」――こんなことばっかり言ってる人は、延々と、「駄目なんです。駄目なんです」で終わってしまう。ね。だからこれは、後悔するなっていう教えとも関わってくるけど、もちろん過去の罪は罪として反省しなきゃいけない。しかし今、真理を全力で実践するならば、どんな人でも永遠の幸福に至れるんだ、っていうことは、忘れないようにしなきゃいけない。

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