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解説・アーナンダマイー・マーの教え(1)


解説・アーナンダマイー・マーの教え

◎至福の聖女

 はい、今日は「アーナンダマイー・マーの教え」ですね。
 アーナンダマイー・マーっていう方は、つい最近まで生きていらしたインドの聖者――一九八三年頃に亡くなったらしいので、本当に最近まで生きてた方ですね。で、この方はみなさんがよく知ってる『あるヨギの自叙伝』に「至福の聖女」っていう感じで出てくるくらいで、あまりよく知られていない方だったんだね。で、この間たまたまインドに行ったときに――この間っていっても大分前、四、五年前ですけれども――リシケシの本屋さんで偶然アーナンダマイー・マーの伝記と教えをちょっと見つけてきて、ただ英語版だったので、しばらくそのまま放っておいたんですけど(笑)、最近ちょっと日本語にね、訳してみて――で、アーナンダマイー・マーっていう方はさっきも言ったように、『あるヨギの自叙伝』でちょこっと出てくるくらいで、どういう方かよく分からない。で、まあいろいろ聞くところによると、かなり――聖者っていろんな聖者いるけれども、ちょっと桁外れの――桁外れっていうのは、それぞれ考え方があるだろうけれど、わたしが言う桁外れっていうのは、例えばラーマクリシュナであるとか、あるいはチベットでいうとパドマサンバヴァであるとか、ああいう桁外れ系がいるんだよね、たまに(笑)。桁外れ系っていうのは、ちょっと誤解を恐れずに言うと――努力はあんまりしてない(笑)。

(一同笑)

 もともと悟ってるみたいな人(笑)。しかもそのレベルが、最初から完成系っていうかな。つまり、もう至高者そのものみたいな(笑)、それ系の聖者が、この地球に今まで何人か登場した。で、アーナンダマイー・マーも、少ない資料を見る限りでは、なんかそれっぽい感じがある。
 でも、本当にそうなのかどうか――あまりにも資料が少なくて分かんないところもあるんだね。で、今回その教えと伝記の本を――まあそれもかなり薄い本なので、それを訳しても情報量は少ないんですけども、まあただわたしの感覚では、少なくとも相当の聖者には間違いないっていう感じがするね、感覚的にはね。
 で、その彼女の、あまり今まで日本では知られていなかった教えの部分をね、まとめたのが今日のものです。

◎ラーマクリシュナに似た聖者

 ただ、今日のこの「アーナンダマイー・マーの教え」っていうのは、どちらかというと、わたしがみなさんが日々読んで自分の教訓としてね、ためになるようにまとめたものなので、論理的な長々とした教えではないです。つまり短いフレーズで、日々忘れてはいけない重要なポイントをポンポンポンとまとめてるものですね。だから逆に言うと、別に説明は要らないっていうか、読むだけで分かりやすいものが多いんですけども、みなさんと味わいながら読んでいこうかなと思います。
 ちょっと刊行案内をいうと、今作ってるのが『聖者の生涯 パートⅡ』ね。このパートⅡは、「ヴィヴェーカーナンダ」と、それから「ナーグ・マハーシャヤ」と、それから「ゴーパーラ・マー」。この三人でいきたいと思います。この三人とも強烈な体験談です(笑)。強烈な内容だね。
 例えばヴィヴェーカーナンダはカルマ・ヨーガの極限みたいな感じだね。もう人生は戦いであると、救済の戦いであるとみて、全力で駆け抜けた。三十九歳くらいで亡くなってるわけですが、全力で救済のために生きた人生だね。
 で、ナーグ・マハーシャヤは、また全然別パターン。今度はバクティ・ヨーガの極限みたいな感じだね。もう「そこまでやるの?」っていうぐらい(笑)。ナーグ・マハーシャヤの伝記、わたし好きなんでみんなに薦めるんだけど、大体みんな驚く。「そこまで?」っていう(笑)、ちょっとこう常軌を逸してるっていうか(笑)。ちょっとこれも桁外れのバクティ・ヨーガの実践者ですね。
 で、ゴーパーラ・マー。このゴーパーラ・マーっていうのはあまりよく知られていないんですが、この人も桁外れです(笑)。ちょっとありえないぐらいの人です(笑)。
 まあ三人ともラーマクリシュナの弟子なので、逆に言うとラーマクリシュナはすごいって感じなんだけど(笑)。この三人の師匠っていうこと自体がすごいんだけど――まあそのラーマクリシュナのちょっと特徴的なっていうかな、代表的な三人の弟子の物語が、今度『聖者の生涯 第二巻』として出るんですけど。その次、第三巻として、おそらく「アーナンダマイー・マー」。あとまあ、まだちょっと終わってないんだけど、「サーラダー・デーヴィー」とかね、その辺が入ってくると思います。
 で、このアーナンダマイー・マーはね、何度もいうように資料が少ないんだけど、少ない資料で見る限りは、ラーマクリシュナととても似たところが多いですね。
 まずさっきも言ったように、最初から完成してたっぽいっていうところもそうだけど、非常に超宗派的なんだね。つまり、宗派にこだわらない。
 ラーマクリシュナが有名なのは、ヒンドゥー教の中でも例えばヴィシュヌ系・シヴァ系全く関係なくいろいろ修行して、で、果てはヒンドゥー教と犬猿の中であるイスラム教の修行までしたり、キリスト教もやったりとか、宗派にこだわらない聖者だったっていうことで有名だけども。アーナンダマイー・マーも同じように、イスラム教の人からも大聖者として崇められているんだね、アーナンダマイー・マーって。つまり、イスラム教も分け隔てなく神への道として、アーナンダマイー・マー自身も認めてたし、イスラム教の人々からも信愛されていた。もちろんヒンドゥー教内においても、全くこだわりが無いってことだね。
 有名なエピソードで、アーナンダマイー・マーがクリシュナへの歌をわーって歌ってて、クリシュナを褒め称えるマントラとか唱えてたら、彼女の夫がボーラーナートっていうんですが、ボーラーナートっていうのは、これはシヴァ神の別名なんだけど、彼女の夫は実はシヴァの大変な信者だったんだね。だから不満があった。つまり、「おれはシヴァ神をすごく敬愛してるんだ」と。で、それなのにクリシュナのことをね――つまり彼にはそういう宗派主義があったんだね。「まるでクリシュナこそが一番であるかのように歌うのはやめてくれないか」と、まだ未熟だったその夫は言ったわけだね。そうしたらアーナンダマイー・マーは全くなんのこだわりもなく、「ああ、いいですよ」って言って、今度は「シヴァ、シヴァ」とか言い出したと(笑)。なんのこだわりも無いっていうか(笑)。つまりすべては一つだっていうことは、もう完全に分かってた。そこら辺も非常に似てる。
 それからラーマクリシュナと同じように、すぐサマーディに入ってしまう。すぐその至福の境地に入ってしまうっていうのが似てるね。あと出身もベンガル地方なので、すごく共通点がある。
 ただ世界的にはやっぱりラーマクリシュナほどには知られていないわけだけど。っていうのは、ラーマクリシュナはやっぱりヴィヴェーカーナンダの働きが大きかったので、今みたいに「インド三大聖者」としてバーンと知られるほどになったけども、アーナンダマイー・マーはあんまり弟子たちのことっていうのはよく知られてないね。アーナンダマイー・マー自身が、インド中を巡って――これはラーマクリシュナとちょっと違うところだけど、ラーマクリシュナはドッキネッショルのカーリー寺院の部屋にいつもいて、いろんな人がやってくるって感じだったけど、アーナンダマイー・マーは鳥のような聖者っていわれてて。つまり一所にいないんだね。ヨーギーみたいな感じだね。一所にとどまらない。で、少数の弟子を引き連れて、いろんなところを巡って布教してたといわれています。その辺は違うけども、全体的にはすごくラーマクリシュナに似てる系統の聖者だね。で、その教えも非常にラーマクリシュナに似ています。今日これから学んでいきますけどね。

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