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菩薩の道(5)その4「菩提心の念正智」


菩薩の道(5)その4「菩提心の念正智」

 
 少し話の流れからは外れますが、大乗の菩薩の道としては、前述のような、四念処や三宝への念だけではなくて、菩薩としての念も持ち、育てなければなりません。そして念正智、つまり菩薩の心(菩提心)を常に忘れず、それに基づいて生きる訓練をしなければなりません。その考え方の一例を挙げましょう。

 まず、遥かに繰り返してきた輪廻転生を考えるならば、すべての魂が、敵であり、友であり、母であったことがある、と考えられます。

 このうち、かつて敵であったことが数え切れないほどある、と考えることによって、対象への愛着を弱めることができます。

 また、かつて友であったことが数え切れないほどある、と考えることによって、対象への嫌悪を弱めることができます。

 また、かつて恩恵を受けた母であったことが数え切れないほどあるのだから、恩返しをしなければいけない、と考えることによって、対象への無関心を断ち切ることが出来ます。

 また、我々は過去世において多大なる被害を、衆生に与えてきました。そういった負債も、我々は抱えています。

 この、衆生への恩、そして衆生への負債を返すためには、自分だけが解脱して幸せになるなどということは、恩を忘れて、恩ある者を見捨てる行為に他ならないので、もってのほかなわけです。ここに大乗の修行の発想があります。つまり自分が解脱するのはもちろんですが、他のすべての恩ある、負債ある衆生も解脱させるまでは、この輪廻から離れないぞ、という勇猛な心が必要なのです。それを菩提心といいます。

 我々は修行に入る前、そして解脱する前は、大変に狂っていた。煩悩の魔に取り付かれ、常に自らを苦しめる身口意の行ないをなし、輪廻の牢獄の奴隷になっていた。
 今私は正気取り戻し、牢獄からも自由になったが、かつて恩を受けた母や友たちが、いまだ正気を失い、輪廻の牢獄で自己を苦しめている。よって何とか、彼らの正気を取り戻させ、苦しみを破壊し、自らを苦しめる行為から救い、そしてこの輪廻の牢獄の奴隷である状態から救わなければならない、と考えるわけです。
 そしてすべての恩を受けた人々のうち、一部を救い、一部を救わないというのは、道理に反します。よってすべての魂が輪廻から解放されたのを見届けるまでは、自らは輪廻にとどまり、菩薩の修行を続けようという勇気が必要なのです。それを菩提心といいます。

 修行者の皆さん、あるいはまだ修行していないけれども、修行に興味がある皆さんも、菩提心を持ちましょう。かつて持っていたけど忘れてしまった人は、思い出しましょう。そして日々、菩提心の念正智をし、心から離さないようにしましょう。
 「身口意において、常に他者の利益となることのみをなすべきである」
と、チベット仏教カギュー派の祖、マルパは言っています。このように日々考え、自分の身口意の行為は、衆生を利しているんだろうか、と日々チェックすることが、菩提心の念正智となり、この修習は自己の修行を一気に進めてくれることになるでしょう。
 人間社会で生きつつも、人間社会の小さな観念の中に埋没せず、菩薩として生きることを誓ってください。

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