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勉強会講話より「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第一回(15)

 現代の人っていうのは、今日の全体の話でいうとね、ここにいる皆さんもそうだし……今日話したような信、つまり純粋な信というその要素と、それから魔的な要素。つまり魔のエネルギーに覆われた悪魔的な要素。両方持っています。はっきり言ってね。だからその両方のせめぎ合いが、皆さんの中であると考えてください。だから甘いもんではないので、常に魔よりも聖を取ることを真剣にやるしかないね。決して魔に巻き込まれないように。
 で、このね、魔と聖の戦いっていうのは、これは前も言ったけども、わたしの瞑想経験で言うと、この世界の裏側の世界ではずっと続いてるんです。つまりこの霊的な世界で、聖なるエネルギーと魔のエネルギーの戦いがずーっと続いています。もちろんこれからも続きます。でね、その投影がこの現象世界、地球に現われるんです。つまり霊的なね、アストラルとかの世界で聖なる軍団がガーッて勝ってるときっていうのは、地球で修行者が増えたりする(笑)。あるいは聖なる教えがはびこるっていうか(笑)、はびこるじゃない(笑)。

(一同笑)

 繁栄したりする(笑)。逆にその魔の軍が、霊的世界で勝ってるときっていうのは、この世において――つまり真理が否定されたりとか、物質主義がどんどん盛り上がったりする。
 そういう意味では今魔の時代だね。魔の軍の勢力が強くなってる。で、それに聖なる軍が対抗してるわけだけど、それはね、われわれ――今生きてる修行者であるわれわれ一人一人も、実は責任があるんです。われわれ一人一人の中で、聖なるものが魔に勝ったと。これが一人、二人、三人と増えると、逆にね、あっちの世界もこっちにも影響与えてるんだけど、こっちの世界もあっちに影響与えてるから。あっちの勢力が盛り返すんです。だから修行者が真面目に修行すればするほど、聖なるエネルギーっていうのは強まる。で、魔的なものは弱まるっていうかな。だからそれは皆さん自身の問題でもあるし、皆さん自身だけじゃなくて、この世界全体に関わる問題でもある。ちょっと大げさに言うとね。
 だからもう一回言うけども、常に、誰だって心の中に魔的なものと聖なるものがある。で、その聖なるものを徹底的に増やして――もちろん最終的には魔的なものは完全にシャットアウトするわけだけど。そうなれるまでに、逆に言うと、そうなれるまで――だってお釈迦様だってね、あるいはキリストだって、最後の最後まで魔との戦いがあったわけです。で、最後はお釈迦様にしろキリストにしろ、魔は諦めて去ってくんだね。「こいつには隙がない」と。「駄目だ」ってこう魔が去っていくわけだけど。それくらいになるまでは、徹底的に魔と戦わなきゃいけない。魔というのは、常に、いつも言うけども、われわれの心の隙を狙っています。で、いつも言うように、非常に巧妙です。あの、漫画みたいにはあまり来ないからね。「バーン」と。「おれは悪魔だ!」と(笑)。

(一同笑)

 「お前が修行者か」と。「お前の修行邪魔してやるぜ!」なんて来ない。非常に巧妙に来ます。まるで自分の修行が進んでるかのように来ます。来て、いつの間にか気付いたら、魔の術中にはまってる。だからもう本当に念正智だね。常に――だからいつも言うように、誠実さ。誠実に教えを学んでれば大丈夫です。どちらかがなくなると駄目です。教えを学んでるけど誠実さがないと、心のね、欺瞞性みたいのを魔につかれてやられます。誠実だけど教えがないと、どう誠実にすればいいか分からないから(笑)、「ぼくは何でも真理に従います!」と。「でも真理ってなんなんだろう?」ってやってると、なんか魔が入ってきたときに、それを真理だと考えてしまう場合もある。だから両方必要だね。しっかりと教えを学び、誠実に自分の心をそれに照らし合わせて――あの、いつも言うようにね、どうしようもないときはしょうがないんですよ。例えば、まだ切れない煩悩があって、「申し訳ありません」と。「これはちょっといただきます」とかそれはいろいろあると思うんだけど、それはしょうがないんだけど、でも自分の中で不誠実さが出ちゃ駄目なんです。「これは多分神の意に反するだろうな。でもやっちゃえ」とかね。それは駄目です。少なくとも誠実な心を持って、常に神とか仏陀に対処する心があって、で、自分のできる範囲で教え通り生きると。これやってたら魔にやられない。でも、そのどちらかが欠けると、やっぱり魔にやられてしまうね。
 だから、それはまさに気付かないうちに――あといつも言うけども、つまり魔の入ってくるところっていうのは、自分の――まあこれは、お釈迦様の言葉で素晴らしい言葉があるんだけど、「魔なるものは、優しい顔をして、聖なるもののような顔をしてやってくる」と。で、「逆にその聖なるものっていうのは、自分を苦しめるようなかたちでやってくる」と。「まるで自分の敵のようなかたちでやって来ることもある」と。だからそこで間違うんだね。だから魔なるものっていうのは、自分の心が喜ぶかたちでやって来るから。「あ、そうですよね?」と。「やあ、わたしもそう思ってましたよ」って感じで(笑)、それにはまってしまうんだね。うん。だから常に念正智する。「あ、自分は今、こっち向かおうとしてるけど、これはエゴかな? エゴじゃないかな?」――あのね、これもちょっと今一つ厳しいこと言うけども、自分が間違ってるかどうかの一つの判断基準として、常にエゴが嫌がる方を取ると。ね(笑)。

(一同笑)

 これは一つの魔にやられない方法です。「え? これどっちが正しいんだろう?」って思ったら、エゴが嫌がる方を取ってください。でもそれもね、この言葉でさえも魔にやられます。「先生、エゴが嫌がるって言ったから、おれこれなんか嫌だな」と思って、本当は実は心の奥底ではそれがいいと思ってるんだけど、「一般的にこれ嫌だよね。しょうがないこっちを取るか」――これも魔にやられてる人です。だからこれがさっき言った、誠実さが大事。誠実な心があれば、よーく考えて、「いや、わたしは実はこれ嫌がってる」と。「だからこれはきっと、こっちを取るべきなんだな」っていうのが分かる。だから言葉尻にとらわれるんじゃなくて、誠実な心があれば、まあ今わたしが言いたいこととか、あるいは今自分が何を取るべきかっていうのが、なんとなく分かってくる。だからそれは常に念正智するしかないね。

 はい。じゃあほかに何か質問その他ありますか? はい。じゃあなかったらこれで終わりにしましょう。

(一同)ありがとうございました。

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