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解説「菩薩の生き方」第四回(5)

◎幸せになるただ一つの道

 まあ、それはいいとして、現世的にいいと言われること――例えば、「ああ、なんか事業が成功して多くのお金が入ってきました」と。それに対する見方は、三段階ある。三段階っていうのは、一番最低の人は、それを妬む。ね。これは最低ですよ。「あそこ大成功した? くそー」と。ね(笑)。これは最低ですよ。慈悲も何もあったもんじゃないっていう(笑)。
 で、二番目は、現世的な慈悲。「よかったねー」と。「事業成功したの? やったね!」と。「あなたの夢だったじゃない」――これは二番目ですよね。
 で、最高の慈悲は、「ああ、悪魔の罠だ」と。ね(笑)。「これで彼は、この間まで事業がうまくいかなくて、人生の苦を感じて、ちょっと『人生って何かな?』とか考え始めてたのに、成功しちゃったよ」と。ね(笑)。「これで彼はまた欲望が増え、もうその世界から離れられなくなってしまうだろう」と。「ああ、悪魔の罠だな」っていう感覚になるね。だから全然見方が逆転するんだね。
 で、ちょっと話が広がっちゃったけど、一般的な見方じゃなくて、智慧のある修行者の見方っていうのは、いかにその魂が、あらゆるこの輪廻、あるいはこの低い世界の束縛から解放されるかっていうところに目が置かれてるわけですね。解放されればされるほどその魂は本質的に幸せになるっていうのがわかってるから。だから解放されてほしいと。
 で、その究極の形態――つまり自分に当てはめればいいんだね。つまり、だいたい人間っていうのは――いいですか、人間っていうのは、自分を投影する。自分を投影するっていうのは、だいたい同情っていうのは――同情と慈悲は違う。同情と慈悲が違うっていうのは、同情っていうのは、自分が苦しいことを――つまり自分も嫌だから、「うわっ、嫌だよね」――これは同情ですよ(笑)。うん。同情と慈悲は違うんです。慈悲っていうのは、慈悲を持つ人っていうのはまず、苦しみに強い。だからそれが「嫌だ」って思ってるわけじゃないんだね。じゃなくて、相手に苦しんでほしくないっていう気持ちがある。相手に苦しんでほしくないっていう気持ちがあって、で、相手が苦しみの道を歩んでたとしたら、それは自分にとってすごい苦しみになるんです。
 じゃなくて、一般の同情っていうのは、自分の中にその価値基準があって、この価値基準の中で「こうなったら嫌だな」っていう、相手がそういう状態にあると「ああ、嫌だよね」と。「おれも嫌なんだよ」みたいな(笑)、そういう感じなんだね。だから自分が幸せだって思ってることも、他人がその状態にあると、――慈悲が全然ない人は、さっき言ったように嫉妬する。でもまあちょっと愛情の強い人は、「ああ、よかったね」と。なんで「よかったね」ってなるかっていうと、自分もそうなりたいと思ってるから。「ああ、よかったね」と。で、もう一回言うけども、修行者っていうのは、あるいは特に菩薩の道を歩む人っていうのは、「菩薩の道こそ最高だ」ってわかってる。菩薩の道――つまり自分の中に菩提心が育てば育つほど、自分は幸せになるんだっていうことがわかってる。だから他人にもそうあってほしいと思うんだね。「みんなも菩提心を早く育ててほしい」と。「みんなも早く慈悲の素晴らしさに気付いてほしい」と。こういう気持ちになってくる。これが、ここに書かれていることだね。
 で、もう一回言うけども――つまりそれはなぜかっていうと、自分でも経験してるから。例えば個人的な話で言うと、わたしもそうです。わたしも、さっき言ったように、修行の過程でいろんな経験をしてきて、で、そのうちに菩提心というのに気付いたと。で、この菩提心がもたらした心の解放、あるいは菩提心がもたらした、なんていうかな――これは肉体も含めて、いつも言ってるけどね――わたし前にトンレンを集中的にやっていたときはもう、心身がエクスタシーの塊になった。「ああ、これだ」って思ったね。あるいはね、これはもう話をすればきりがないんだけど、これも前に話したことあるかわかんないけど、いわゆるバルドの瞑想をしているときにね――バルドの瞑想っていうのは、非常に深い意識に入って、死後の世界と同じような世界に突っ込むわけですね。で、突っ込んだときに――まあ、もちろんわたしの中には、悪いカルマからいいカルマまでいろいろあるわけだけど、その悪いカルマのところにグッとアクセスしたときに、地獄の経験とか、あるいは動物とか餓鬼とかそういう低い世界の経験をすることができるんだね。で、わたしがそういう低い世界にグーッてアクセスしたときに、まあ、地獄と言っていいのかなんと言っていいのかよくわからないんだけど――つまり単純に地獄・餓鬼・動物って分かれるわけじゃないからね。いろんな世界がある。で、その一つのすごい苦しい世界に入ったんだね。もう、なんとも言えない苦しい世界で。で、もう苦しくてたまらないと。で、あまりの苦しさにもうなんていうかおかしくなりそうなぐらいの苦しい世界だったんだけど。しかし、ふっと周りを見たら、自分と同じように苦しんでる魂がいっぱいいたんだね。で、そのときに、まあ、わたしの多分、修行によって培ったデータがよみがえってきたんだろうね。よみがえってきて、「あっ、おれはこんなんじゃない」――そのバルドの状態っていうのは、非常に、意識朦朧状態ですよ。あんまりいつものようなはっきりした意識はない。まあ瞑想に慣れてれば鮮明な状態を保てるけども。ちょっとボーっとした感じです。ボーっとした中で、「あ、おれはこんな、自分の苦しみだけに没入してて――周りでこんなに苦しんでる人がいるのにね、おれは自分の苦しみだけに没入してて駄目だった」って、ちょっと、朦朧とした意識の中で反省したんだね。で、そこで、「さあ、みんな幸福になってくれ」と。「わたしが救おう」と。つまり普段そういうことを考えていたから、そういう意識が出てきたんだね。「さあ、みんな救済されてくれ」と。「わたしがなんとかする」と。「さあ、みんな幸福になれ!」って思った瞬間に、世界がパーッて明るくなった(笑)。なんか漫画みたいな話だけどね(笑)。パーッと明るくなって、「あれ?」って見たら、なんていうか天界のような楽園みたいな世界に変わってたんだね。
 で、そこでわたしはすごく得心したっていうか。「あっ、そういうことか」ってわかった。まさに――ちょっと結論を言うけどね――場所ってないんです。うん。つまり、すべては心なんだね。つまり、地獄っていう物理的な場所があるとか、天界って場所があるとかじゃなくて、まさにわれわれの心がもし菩提心でできてたなら、どこに行っても天界なんです。あるいはどこ行っても楽園なんだね。もしエゴでできてたら、どこに行っても地獄なんです、そこは。ただそれだけなんです。
 ただわれわれはまあ、ちょっと物理的な話をすると、今われわれは人間界という一つの世界に閉じ込められてるので。この人間界の中で何かがすごく急激に変わるとかはないんだけど。ただ、精神的にはそれは今言ったことはまさに言えると思うんだね。同じ人間の世界で人間として生きてても、エゴが強い人にはこの世界が地獄に見えると思います。で、文句ばっかり言ってると。愚痴ばっかり言ってると。で、慈悲が強い人っていうのは、なんかハッピーであると。物理的にお金がなかったとしてもね。あるいはいろんなことが客観的に見たら苦しそうだったとしても、本人は非常にハッピーであると。
 一般的にこういうことってありますよね。その人が、客観的に見てどうかは別にして、他人の基準で見てどうかは別にして(笑)、本人はすごく幸せだと。あるいは逆に、客観的には良さそうなんだけど本人は苦しんでると。で、この基準なんなんだ?ってことになるよね。単純に肯定的とか否定的とかだけではない。で、これを極論すると――本当は極論じゃないんだけどね。答えを言うと、『入菩提行論』にもあるように――まあ『入菩提行論』では「みんなの幸せを願ってた人は今幸せであって、みんなの不幸を願ってたりした人は苦しい」っていう書き方してるけども。もっと単純に言うと、エゴが強い人ほど苦しい。この世っていうのは。そして慈悲が強い人ほど、この世は幸せなんだっていう法則なんだね。
 これが、もう一回言うと、そうだな、普通ちょっと極論に聞こえる。「え、ほかの要素もいろいろあるんじゃないですか?」と。「それは言い過ぎじゃないですか?」ってなるかもしれないけど、途中すっ飛ばしてわたしの到達した結論を言うと、それがすべてです。それがすべて。つまり慈悲が強い人ほど幸せだし、で、エゴが強い人ほど不幸です。
 で、実際には皆さんみたいな人っていうのは、その途中段階なんだね。途中段階っていうのは、混ざってる段階。だから皆さんの中で、慈悲の割合が強まったときっていうのは、多分皆さんは幸せです。逆に言うと、皆さんが「人生苦しいな、なんか最近苦しいな、今日苦しいな」って思うときっていうのは、エゴが強まってるなっていうときです。ただそれだけなんです。外的に見たら駄目ですよ。例えば、「今日、あの人こんなこと言ってきたから、わたし苦しくなっちゃった」じゃないんですよ。まあ、もちろんそれはきっかけとしてはあったかもしれない。でもそれも自分のカルマだからね。自分のカルマによってなんか言われちゃったと。で、それによって苦しみが増大したっていうのは、つまりエゴが増大して、つまり自分の中の敵であるエゴがちょっと幅をきかせてるだけだと。ね。じゃあ自分が幸せになる方法は一つしかなくて、エゴを滅して、慈悲を高めさせるしかないと。こういう発想になるんだね。
 で、ちょっとまた話を戻すけども、そういったことを何度も何度も繰り返して修行したり経験したりしてると、結論として、人間が最高の幸せになる道はただ一つ、菩提心だと。よって、みんなにもそうあってほしいって思うんだね。

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