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ラーマクリシュナの生涯(26)「バーヴァムカにあるラーマクリシュナ」③

◎深遠な意味

 ギリシュは時とともに、最初はよくわかっていなかった「代理人の権限を与える」ということの真の意味を理解し体得したが、この「代理人の権限を与える」ということ以外にも、ラーマクリシュナの何気ない言葉や行為の中に含まれていた深遠な意味に、弟子たちが後に気づいて驚嘆したという例は多い。
 これに関連して、ラーマクリシュナは、よく次のような話をした。

「ああ、私の子供たちよ。お前たちは、ちょうどよいときに成功するのだよ。ちょうどよいときに理解するのだよ。種を蒔いたら即座に結果が得られるかね? まず芽が出る。それが苗になり、木になり、それから花が咲いて最後に実がなるのだ。ちょうどそのようなものだ。しかし、人は辛抱しなければならない。途中で努力をやめるようなことをしてはいけない。この歌の中で言われていることをよく聞いてごらん。

 おお、兄弟よ、喜んで辛抱せよ。
 君はおもむろに成功するだろう。
 うまくいかなかったことは、正されるだろう。
 アンコは救われた。バンコは救われた。
 そして肉屋のスジャンは救われた。
 鸚鵡に(ラーマの御名を)教わって、あの売春婦は救われた。
 ミーラーバーイーも同じように救われた。
 この世の富と財宝を持ちながら、
 商人はなお、牛を追う。
 不意に災難に見舞われたら、
 それらすべての痕跡の何一つとて残らないだろう。
 心にそのような深い信仰を持て。
 偽善とずるさとを捨てよ。
 ラグ族の王(ラーマ)には易々とお目にかかれるだろう。
 奉仕と礼拝とお任せという徳によって。

 <彼>への奉仕、礼拝および服従、お任せ――もし信を抱いてこれらのものに取りすがるなら、あらゆるものが得られるだろう。<彼>の直接のヴィジョンは必ず得られる。しかしもし途中で諦めるなら、すべての進歩は止まってしまう。
 ある仕事を持っている男がいた。かなりの苦労をして、少しずつ金を貯めた。ある日勘定をしてみて、それが一千ルピーになっていることを知った。彼はうれしさに夢中になり、『もう働かなくてもよいではないか。千ルピーも貯まったら、それ以上は要るものか』と思った。そう言って仕事をやめた。
 ちっぽけな男は野心も小さい! 彼はとるにも足らぬこの金額に慢心して、他の人々を見下した。しかし、千ルピー程度を使い切るのに何日かかるか。それは間もなく底をついた。不如意な日々がやってきて、彼は仕事を求めてオフィスの支配人たちの機嫌をとらなければならなかった。
 このようなことをするのはよくない。人は、神の戸口で忍耐強く待たなければならない。それができて初めて、人は成功するのだ。」

 またあるときはラーマクリシュナは、上記の歌の「君はおもむろに成功するだろう」というフレーズを歌いかけて、突然、こう言った。

「ああ、なぜ『おもむろに』などと言うのか。人は信仰において生ぬるくてはいけない。心に燃えるような信仰を持ち、悟りは今来なければならない。自分はたった今、神を見なければならないという衝動を感じるべきだ。本気でない信仰が、悟りの助けなどになるものか。」

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