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パドマサンバヴァの秘密の教え(15)「『外の帰依』のための八つの修行」

◎「外の帰依」のための八つの修行

 それから、ツォギャルは師にこう尋ねた。

「どれくらいの修行の種類を、『外の帰依』の方法は必要とするのですか?」

 師はこうお答えになった。

「帰依をするや否や、あなたの誓いが堕落しないように、八つの修行を修習しなければならない。」

 ツォギャルはこう尋ねた。

「それらの八つの修行とは何でしょうか?」

 師はこうお答えになった。

「まず最初に、三つの特別の修行がある。
①ブッダに帰依し、俗世の神に礼拝するべきではない。
②ダルマに帰依し、衆生に害をもたらすことを放棄すべきである。
③サンガに帰依し、間違った教えを信じる人々と付き合うべきではない。
 これらが、三つの特別の修行である。

 これについてさらに説明すると――まず最初に、ブッダに帰依し「俗世の神に礼拝しない」というのは、俗世の神に礼拝するならば、あなたの帰依の誓いが破れるということを意味する。

 第二に、ダルマに帰依し『衆生に害をもたらすことを放棄する』というのは、あなたが殺生に従事するならば、あなたの帰依の誓いが確実に破壊されるということを意味する。
 怒りから他の生き物を打つだけでも、奴隷にするだけでも、鼻に穴を空けるだけでも、牛小屋に彼らを拘束するだけでも、彼らの毛を引き抜くだけでも、それは破られる。

 第三に、サンガに帰依し『間違った教えを信じる人々と付き合うことを自制する』とは、現実主義またはニヒリズムの振る舞い・見解を持つ人々と付き合うならば、あなたの誓いが破られることを意味する。
 あなたの見解と行為がそれらのものに従うならば、あなたの帰依の誓いは破壊される。

 どんな場合でも、ダルマの実践はすべて帰依の中に包含されている。
 誤った見解を持った人々は、この理解を持っていない。

 次にあげるのは、五つの一般的な修行である。 

①修行を始めるときに、膨大な量の最良の種類の食物、飲み物で供養をする。

 14日目に三宝の前に供養を捧げ、彼らに供養を受け取ってくれるように懇願しなさい。
 それに続いて、15日目にも供養をしなさい。
 これらの供養は4種類ある――礼拝の供養、観想による供養、称賛の供養、修行の供養である。

 まず最初に、礼拝の供養とは、ブッダや菩薩の徳について考え、あなたが礼拝をするとともに、彼らの足に触れていると観想しなさい。

 次に、観想による供養とは、自身の身体と同様である観想された供物を捧げるのである。

 称賛の供養とは、耳に心地よい高さの音声で、称賛をしなさい。

 修行の供養とは、空性と慈悲が不可分である菩提心を培ったことによる善根が、一切の衆生の悟りの達成のためにあるようにという願望を抱くことである。

 三宝は、一杯の水や微塵の尊敬さえも必要としていない。
 あなたが供養をする目的は、あなたがブッダの光を受けられるようにするためである。

 最良の種類の食物や飲み物の供養については、最良の種類の食物の三つの山を作り、オーム・アー・フームと三回唱える。
 それによってあなたの供物が甘露の海になると想像する。
 それに続いて、三宝の無限の集いによって囲まれたイダムを観想し、この甘露の供養を捧げ、それを受け取ってくれるように彼らすべてに懇願する。

 もしそのように観想することができない場合は、単に「三宝よ、これを受け取りたまえ!」と言いながら供養をするだけでもよい。

 供養するものが何もなければ、少なくとも毎日一杯の水を供養すべきである。
 もしそれをしないならば、あなたの帰依の誓いは堕落するだろう。

 三宝は、それらの物質的な栄養の供養を必要としていない。
 食物の供養は、あなたの功徳の集積を集めるために行うのである。

②第二の修行は、身体に代えても、人生に代えても、財物に代えても、崇高な三宝を放棄しないことということである。

 身体のためにさえ帰依を放棄しないことに関して――たとえ誰かがあなたの脚、耳、鼻、あるいは腕を切り落とし、目を切り抜こうと脅しても、三宝を放棄せず、なすがままにさせるべきである。

 人生を犠牲にしてさえも帰依を放棄しないことに関して――たとえ誰かがあなたを殺そうと脅しても、三宝を放棄せず、なすがままにさせるべきである。

③第三の修行は、病気や困難、悲しみなどがあなたの身にふりかかってきたとき、曼荼羅と五種の供物を並べ、三宝に供養をするべきである。

 そしてこの懇願をしなさい。

『神聖なるグルよ、偉大なるヴァジュラダラよ、
 すべてのブッダおよび菩薩方よ、
 私の言葉をお聞きください!
 すべての病や、否定的な力によって引き起こされるものから、私をお救いください。
 そしてどうか、平穏、吉兆および長所をお与えください。」

 これに加えて、聖典を声を出して読み、そして食物などを供養することによって功徳を積むことも、同様に適切である。

 苦難の中にあっても、『三宝の祝福はない! ダルマは虚偽である!』などという誤った見解・思考を生じさせてはならない。

 そうではなく、『私の悪業のカルマが尽きるとき、すべては太陽が昇るように晴れ渡るであろう!』と考えなさい。

 苦難の中にあっても、予言やシャーマニズムの儀式のような方法を追い求めずに、帰依にのみ従事しなさい。

④あなたがどの方向に旅しようとも、諸々のブッダと菩薩方を思い起こし、供養し、帰依しなさい。
 例えば明日、東の方へ行くならば、その方向の諸々のブッダや菩薩方に帰依し、曼荼羅を並べ、供養しなさい。

 どのような懇願をするべきであるか?
 出発する前に、以下のように懇願をすべきである。

「グルよ、ヴァジュラダラよ、
 すべてのブッダおよび菩薩方よ、
 私の言葉をお聞きください!
 どうか人間および人間でないものによって引き起こされる障害から私を守り、
 今から私が目的地に着くまで、
 すべてのものを幸運にしてください。」

出発するとき、入り口から出て10歩以内に帰依の心を思い起こさなければ、あなたの帰依の誓いは破られる。

 ひとたびあなたが帰依に心を任せるならば、障害に惑わされることはないだろう。

⑤帰依の良い特質について学び、何度も何度もそれを修習しなさい。
 三宝に帰依し、それらを希望の場と見なし、それらを信頼の場として見なさい。
 帰依の源として三宝を保持し、三宝に懇願をしなさい。
 祝福のために三宝に祈りなさい。

 像、絵、ストゥーパ、本などは、三宝の現前の現れであり、ダルマカーヤであると思いなさい。
 ダルマカーヤの本質は、礼拝し、供養し、懇願をしているときに、突然に悟られるのである。
 それが起こらないとしても、礼拝し、三宝に帰依し、縁を強めることによって、未来際においてブッダの弟子となるだろう。

 悟りや徳や幸福のようなものがあなたの中で生じたとしても、それらはすべてあなたのグルと三宝の祝福だと見なしなさい。
 そのように考えることによって、祝福を受けるだろう。

 あなたが出会う問題や苦難は何であろうと、自分の悪業の浄化だと見なしなさい。
 それにより、あなたのすべての否定的なカルマに終止符が打たれるだろう。

 総じて言うと、三宝に心を任せず、誤った見解や思惟を持つならば、三宝の祝福はない!
 そしてあなたは無間地獄から逃れられないであろう。」

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