yoga school kailas

「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第一回(8)

【本文】

バクティの道を妨害する五つの棘

1.生まれに関するプライド

2.知識に関するプライド

3.地位に関するプライド

4.美しさに関するプライド

5.若さに関するプライド

バクティヨーガの道における二つの内的な敵

1.愛著

2.怒り

 はい。はい、じゃあパーッといきますが、まずさっきのバクタの四つの資格で挙げられてる――ポイントはさ、これはつまり見て分かるように、この四つの資格は、謙虚さっていうのがやはり中心になってるわけですね。で、逆にバクタの道を妨害する五つの棘と表現されてるのは、今度はプライドというのがそれに対抗するものとして出てきてる。
 まあつまり結局、バクティの基本はやはり謙虚さなんだね。謙虚さがすべてだと。プライド、つまり慢心を持ってはいけない。
 もちろん、いつも言うように、誇り高き、気高き菩薩やバクタとしてのプライド、これは必要ですよ。これは言葉の問題なんですけど。まあ一般的にいう慢心、一般的にいうプライドね、これは捨てなきゃいけない。で、逆に謙虚さ、慎み深さを自分のものとすると。これがまあ、一言で言ってしまえば、バクティの最重要項目の一つであるっていうことですね。
 はい、で、そのプライドを、ここでは便宜上五つに分けてるけども、実際にはもっといろんなプライドがあるよね。だからこれは、自分で当てはめてやったらいいと思います。
 ただまあ一応でここで読んでいくと、まず「生まれに関するプライド」。この生まれに関するっていうのは、あまり日本人は関係ないかもしれない。つまりカーストがあるから、インドはね。で、カーストにおける考え方っていうのは、もう、それがないわれわれからはちょっと考えられないほど、計り知れないほど強いと思ってください。もう全然違う世界っていうか。だから当然、高いカーストにいる人っていうのは、低いカーストにいる人に対する、もう強烈な、もう拭いきれないような、もともとのそういうのがあるんだね。だからわれわれはそれはないので、それはないけども――まあ分かんないけどね。この中でだから、そういう生まれ――「おれは高貴な生まれだ」っていう人が(笑)……まあ、いそうにないけどね(笑)。

(一同笑)

 ちょっと見当たらない感じ(笑)。でも、もしかすると隠れているかもしれないよ。あのー、なんとか家の代々伝わる家なんだとかいう人がいるかもしんないけど。まあこれはちょっとあんまり普通はいないでしょうね。

 はい、「知識に関するプライド」。これは、もちろんここでいう知識は、宗教的知識が中心ね。つまりこれは、いつも言ってるように、まあ例えば仏教、あるいはヒンドゥー教にしろ、聖典や、あるいはいろんな論書をたくさん学び、哲学的に――つまり知識的にそういうのが頭にいっぱい入っていても、あまりしょうがないんですね。実際にその真理をつかまなきゃいけないし、あるいは実際にそこで書かれてることを実践しなきゃいけないわけだから。でもやはり現代的な、頭中心の教育を受けてるわれわれは、知識で満足してしまう。あるいは、知識が自分のその――まあ、実際にそういう人いますよね。つまりその、多くの教えを学んだと。でもそれはものになっていない。ものになってないけども、なんかこう学んだことによって、自分がそれを得たような錯覚に陥ってる。で、それで慢心に陥ってしまうっていうかね。「え、あなたヨーガスートラも知らないんですか? ははは……」みたいな感じでね(笑)。こうなってしまうと、それはバクティにとっては、大変な害になってしまう。だったらヨーガスートラなんて学ばない方がよかったっていうくらいになってしまう。だからもちろん、われわれは実践項目として知識、教えの知識を学ばなきゃいけないんだけども、それはあくまでも、ただの知識にすぎない。われわれが成長するための糧にすぎないっていうのは認識しなきゃいけない。だから知識はいっぱい持ってたとしても、それに対して決してプライドを持っちゃいけないっていうことですね。

 はい、「地位に関するプライド」。はい。これもまあ人によるでしょうけどね。この中でそういう人がいるかどうかは分かんないけども、社会的地位、社会的にわたしはこういうふうに認められてると。あるいは、わたしは苦労してこういう地位にのぼりつめたんだと。これはすべて邪魔になるっていうことだね。まあ当然ですね、これは。

 はい、「美しさに関するプライド」。これはそうですね、特に女性とかは引っかかる人は、特に日本人は、逆にこれは多いかもしれない。っていうのは日本人っていうか現代人というのは、自分をきれいに着飾り、そして実際に、さまざまな美しい服を選べるし、あるいは化粧とかもいっぱい発達してるし、あるいはその、なんていうかな、清潔さもね、清潔に保つ習慣があるので、まあつまり昔のインドみたいに、人間は不浄なりとかあまり思いづらくなってしまった。だから特に女性とかは――この後の若さもそうですけどね、若さに関するプライドや、美しさに関するプライドっていうのは、特に女性でちょっと引っかかる人が多いかもしれない。まあ男性ももちろんいるでしょうけどね。
 でもそれも本当にちっぽけなもんなんだと。つまりもし、そういう人がここにいるか分かんないけど、もし女性にしろ男性にしろね、「わたし美しいのよ」と。ね(笑)。「あなた全然かなわないじゃない」みたいな(笑)。あのー、こういうのって結構無意識的なもんですからね。普段から考えてる人はたぶんこの中にはいないと思うよ。普段から周りを見渡してね、「わたし一番ね」みたいに思ってる人がいたら、ちょっと問題(笑)。普段からは思ってないだろうけど、ちょっと内面的にね、ちょっとあると思うんだね、なんかこの美しさっていうものを一つの基準にしちゃってて、善し悪し、あるいは他人との競争の基準にしちゃってると。で、だいたい錯覚が多いんだね。錯覚っていうのは、「わたし一番よ」って言ってる人が、別にそうでもないと思うんだけど、でも自分の中でなんかこう基準があって、で、それに則って自分が一番なんだって思ってしまう。もしくは一番とまではいかなくても、他者との優劣によってね、「まあ、わたしは結構いい方だ」って思ってしまうと。で、これはもう、それが事実かどうかは別にして、もとから間違ってるんだね。そこで勝負してどうするんだって話だね。うん。
 だからこの美しさ、あるいは若さね。若さっていうのは当然――若さなんて一番迷妄ですよね。だって、絶対老いるでしょ。若さに対するプライドを持つっていうのは、あまりにも無智過ぎる。ちょっとすれば老いるわけだから。だからこれも若さ、あるいは美しさも同じね。美しいっていわれてるその状態が、もちろんいつ壊れるか分かんないし、あと観念的なものですからね、美しさってね。いつも言うように、平安時代とかは、ねえ、おかめみたいなおたふく顔みたいなのが美人と言われてる時代もあると。あるいは、世界によっても違うよね。世界によっても――前も言ったけどさ、わたしパソコン通信とかインターネットの初期の頃に、まあ今みたいにミクシィとかああいうのがまだない時代に、なんかそういうののはしりみたいなのがあって。で、そのときに、わたしそれに登録したことがあるんです。……世界的なやつね。世界的なやつに登録したら、英語とか分かんないから、ほとんど実際はやらなかったんだけど……それは顔写真で登録するやつね。顔写真登録したら、放っておいたら――あれ、どこだったかなあ、ちょっと忘れちゃったけど、チリだったかなあ。チリかどっかの南米のどっかの国からの女性からだけ、ラブレターがいっぱいきたんです(笑)。

(一同笑)

 「あっ、この国では、わたしの顔モテるんだ」と(笑)。

(一同笑)

 その国限定なんだけどね(笑)。だからそれはもう完全に、なんていうか、その時代やあるいは国によって、全然違う美しさとかの観念がある。だいたいみんなそうですよね、例えば外国のトップ女優とか見ても、えっ? ていう感じがある。で、無理やりなんていうか、それにわれわれは意識で、「ああ、そうなんだ、トップ女優だからきれいだよね」みたいな感じだけど、正直そうじゃない人って多いよね、結構ね。アメリカですらそうですよね。アメリカ人の――まあ、みんなはどうか分かんないけど、アメリカ人のきれいだーって言ってる人、わたしはそんなにきれいだとは思わない。まあ、観念の違いですよね。だからその、社会的にも違う。
 で、もちろん物理的にももちろん、美しさも衰えていくわけだから。あるいはもっと言えば、例えば顔に火傷を負ったりとか傷を負ったりしたら、当然美しさはなくなってしまうと。だからそんな無常なあやふやなものに心の多くの部分を奪われててはもちろんしょうがない。しょうがないし、それにプライドを持つなんてこと自体が、ちょっとこう、無智過ぎるということですね。
 はい、でもこれもね、一つの一面です。こんなことだけじゃなくて、例えば細かく言えばいろいろありますよね。いろんな意味でわれわれは、本当にちっぽけなことで慢心を持ちやすい。慢心を持ち、プライドを持ち――ねえ、ラーマクリシュナがよくたとえとして言ってるのが――なんだっけ? 前も言ったけど、これはたとえ話なんでね、おとぎ話みたいな話だけど、蛙がいて、蛙が一ルピーを拾ったと。ね(笑)。一ルピーを拾ったら、それまではいろんなその――蛙だからさ、牛が通ったり、いろんな人間が通ったりすると、「ああ、つぶされちゃう」って感じで逃げ惑ってたんだけど、一ルピーを拾った瞬間、気が大きくなっちゃって、牛がこう歩いてきたら、「どきなさい」と(笑)。

(一同笑)

「なんでわたしの前を歩いてるんだ!」――で、たかだか一ルピーでそうなってしまうと。これはまあ、お金のプライドですけどね。だから本当にその、プライドの罠っていうのは、いろんなところに潜んでいます。で、これは本当に客観的に見ると、もう笑ってしまうんだね。本人だけが分かんないんで、「えっ、なんでそんなんで気が大きくなってるの?」と。「なんでそんなので慢心してんの?」っていうことで、人間って慢心しちゃうんだね。
 だからこの慢心の種が、芽がちょっとでも出たら、すぐにこう取り除くと。「わたしは謙虚の塊」――さっきも言ったように、「宇宙で一番謙虚になるぞ」と。あるいはシャーンティデーヴァが言うような、『入菩提行論』に書かれてあるような、謙虚の塊になるぞと。もう、ちょっとでも、一つの慢心の種さえ許さないぞっていう気持ちでないと――つまり、逆にいうと、それでちょうどいいんです。それでちょうどいい。それくらい思わないと、どんどんどんどんその慢心の種が育っていきます。だからこれは、特にバクティ――まあバクティだけじゃない、もちろん菩薩道でもそうだし、ほかの修行でもそうなんだけども、特にバクティの道においては――もう一回言いますよ、徹底的な謙虚さ、そして慢心を徹底的に取り除く。これが非常に重要だっていうことですね。

 はい。で、次の「バクティヨーガの道における二つの内的な敵」。愛著、怒りって書いてますが、これは全部そうですよ、実際はね。ヨーガにおいても、あるいは仏教においても、一番最初に出てくるのがこの愛著、およびその裏側の嫌悪、怒りってやつですね。だからこれはまあ、どの道を行くにしろ、もちろんそうだね、これはね。

 はい、じゃあちょっと、だいぶもう時間になっちゃったんで、一応今日はここで終わりにして、最後にもし全体的に質問があったら、質問を聞いて終わりにしましょう。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする