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「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第一回(7)

【本文】

バクタの四つの資格

1.謙虚であること

2.樹木のように慎み深くあること

3.自分に対する称賛や尊敬を望むことなく、他者を称賛し、尊敬すること

4.常に主の御名を唱えること

 はい。はい、だんだん具体的な話になってきましたね。バクタの四つの資格。
 はい、だからこれはしっかりと自分に言い聞かせたらいい。つまりバクタ、つまりバクティの修行者っていうのは、ただ単純に「神よ、神よ」って言ってればいいいんじゃないんだと。それは、ここでは資格って言い方していますけども、こういうのがちゃんとなかったら、それはバクティの修行者、あるいは神のしもべ、神の道を歩く者として恥ずかしいんだ、という厳しいものとして考えたらいいね。
 はい、で、まず第一番が「謙虚である」と。つまりその、もしここに傲慢な人がいたら、もうその時点で駄目だと。つまり傲慢に、「おれはバクタだ!」みたいな、「お前らふざけるな、おれバクタなんだから」「もうちょっとおれのこと、ちゃんと尊敬しろ!」みたいな(笑)、この段階で、はい、駄目です(笑)。はい失格です、ってなるわけだね。だからもう――あのさ、ここで「資格」とまで言ってるっていうことは、最低限のっていうよりは、徹底的じゃなきゃいけない。つまりまずは、皆さん第一に、これが一番目に挙げられてるわけだから。まず皆さんもし――もちろん、この中にさ、ここに来てながらね、「いや、おれはバクタじゃない」っていう人いるかもしれないけど(笑)。それは別にいいけども、もし皆さんがバクタの道を歩きたいんだったら、第一に、誰よりも謙虚になってください。誰よりも。あのね、この道で、なんていうかな、ちょっと変な話なんだけど、この道でトップを狙うのはオッケーです。この道でトップを狙うっていうのは、「宇宙で一番謙虚になる!」と。これはオッケーです。「宇宙で一番謙虚になるんだ!」――やってることはすごい謙虚な実践。この道で競うことはね、いいんですよ。
 あの、妬みは駄目ですよ、妬みね。「あいつ、おれより謙虚だ」っていう妬み(笑)。

(一同笑)

 これはちょっと、わけが分からない(笑)。もちろん、本当に謙虚だったら、妬みもわかないからね(笑)。本当に謙虚だったら、「ああ、あの人はわたしより謙虚だ」ってなった段階で、ああそうです、と。「わたし、だって、謙虚の道を歩こうとしてるのに、まだ傲慢なんです」。これは謙虚ですよね。うん。「あいつ、おれより謙虚だったんだ!」――その段階で謙虚じゃないから(笑)。だからその、なんていうかな、宇宙で一番謙虚になると。で、宇宙で一番謙虚っていうことは、それはいったいどういう意味なのか、ということを考えながら、宇宙で一番謙虚になる。これは素晴らしいことです。

 はい。で、二番目に「樹木のように慎み深くあること」。
 この「樹木のように」っていうのは、これは、チャイタニヤがそういうたとえを出してるわけだけど、つまり樹木っていうのは――イメージしてください。木ですね。木っていうのは、いつも雨にさらされ、あるいは人間からは切られたり殴られたり、あるいはおしっこされたりとか、まあいろいろひどい目にあってるわけだね。でも、なんの文句も言わない。文句を言わないどころか、人や動物に、暑いときには木陰を提供してあげて、そして果物とか提供してあげて、そして美しい花を咲かせて、喜ばせると。でも自分は何も、なんていうかな、何されても文句は言わないと。まあこれが一つのイメージなんですね。だからこのような樹木のように、ただひたすら周りに恩恵を与え、自分はそれを、何も鼻にかけないどころか、逆にひどいことをやられたとしても、まあ耐えるというよりは、なんの反応もないっていうかな。そのような樹木のような慎み深い人であってくださいと。これもバクタの資格ですよと。

 はい、三番目、「自分に対する称賛や尊敬を望むことなく、他者を称賛し、尊敬する」。
 はい、これもだから、なんていうかな、このようにしたらいいっていうことではなくて、資格とまで言ってるから。そういう人でないと資格がない、とまで言ってるからね。だから、これも肝に銘じてください。自分に対する――これは『入菩提行論』でもひたすらこういうことが書かれてますが、もう極端なぐらいに、自分に対する称賛や尊敬は望まない。もちろん自然に与えられたものを、無理やりこう、頑なにこう、拒否する必要はないよね。ないけども、自分の中では一切ゼロ。まあ、逆に逃げるぐらいの気持ちの方がいいかもしれない。称賛や尊敬がきませんようにと。いわゆる陰徳っていうやつですね。自分はいっぱい善いことを、もちろん自分の修行として積んでるけども、これによって、まだこんな未熟なわたしにそんな称賛がきてほしくない、という気持ちで陰徳を積むと。
 もちろん、もう一回言うけども、称賛――たまにいるけどね、称賛が来たときに頑なになっちゃう人ね。これは逆に駄目ですよ。「称賛しないでって言ったのに!」

(一同笑)

 ――これは逆に、周りをなんかこう嫌な空気にさせるから(笑)。逆になんていうか、こだわり過ぎっていうか。もうそういう段階だったら、ただニコニコしてればいい。だけども、普段からは望まないという感じですね。
 で、逆に他者を称賛し尊敬する。これはもちろん心からね。つまり逆に言うと、言葉だけではなくて、普段からいいところを探す。
 あのね、これは特に阿修羅的な人にはいい修行です。つまりその、普段から――だって誰だっていいところあるから。誰だって長所と短所あるわけだから。だいたいね、われわれがある人の中に長所を見つけ、ある人の中に短所を見つけるっていうのは、完全にカルマです。つまり鏡です。自分の中に引っかかるものが、嫌な感じがするんだね。ただそれだけ。で、自分と同じような、あるいは自分が褒めたいと思うような要素に引っかかる人だけが、われわれにとっては称賛の対象になってるだけであって。じゃなくて、誰だっていいところはある。逆に誰だって悪いところはある。で、その悪いところは見なきゃいい。ね。サーラダーデーヴィーやプレーマーナンダが言うように、欠点を見てもしょうがないと。つまり自分がけがれるだけだと。だから見ないと。じゃなくて、われわれのカルマによって、発見できてないけども、誰の中にもいいところはある。だからそれを普段から探す訓練をする。で、言葉にしようがしまいが、それを称賛し、心から尊敬する訓練をするっていうことですね。

 はい、で、四番目が、「常に主の御名を唱える」と。
 まあこれは、バクティヨーガの一つの特徴ですね。まあこれは実際にはいろんな修行法があるので、ほかのなんか修行をやってる場合はこの「常に」っていう言葉が――例えばほかのなんかマントラ唱えてる場合はね、唱えられないから、それは別にいいんですけども。そうじゃないときっていうのは、常に主の御名を唱えると。
 この主の御名っていうのは、これはもちろん言葉通リです。つまり、皆さんが好きな神様の名前をただ唱えるだけです。「ラームラームラーム」でもいいし、「クリシュナクリシュナクリシュナ」でもいいし、「ゴーパーラゴーパーラ」でも、あるいは「シヴァシヴァシヴァ」でもいいし、あるいはラーマクリシュナみたいに、別に決めなくてもいい。あの、なんか一つ自分のイシュタっていうか、「この神!」っていうのがいる人は、その名前をずーっと唱えてればいいんですけども。そうじゃない場合は、まあ心に浮かんだ神でかまいません。例えば「シヴァシヴァシヴァ、ああクリシュナクリシュナ、ラーマラーマラーマ……」。これでも全然かまわないよ。とにかく崇高なるもののお名前をひたすら唱え続けると。これでもう二十四時間頭をいっぱいにするっていうことですね。

 はい、これが四つの資格ですよと。このうち、ちょっと最後の四番目に関しては、実際には修行法によってちょっと変わってくるので、まあこれはケースバイケースとして置いといて。少なくともその前の三つは、徹底的にそれを身につけないと、それはバクタとして、つまりバクティヨーガの実践者としては資格がないんだ、ぐらいの気持ちで、厳しく自分に言い聞かせたらいいですね。
 謙虚であること。
 そして樹木のように慎み深くあること。
 そして自分に対する称賛や尊敬を望むことなく、他者を称賛し尊敬すること――っていうことですね。
 はい、じゃあここまで質問、その他ある人いますか? 大丈夫かな? はい、じゃあ次もいってみましょうかね。

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