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自己正当化ではなく、何を学べるか


 人は常に、無意識のうちに、「いかに自己正当化するか」という方向に思考を持っていきやすい。

 特にそれは何かトラブったとき、苦境に陥ったとき、自己の安定状態がかき乱されたりしたときなどに、その傾向が出やすい。普段は非常に冷静で自分を客観視できる人も、そのようなときには「自己正当化」の罠に陥りやすい。
 この自己正当化の罠は、非常に巧妙だ。知性が高い人ほど、自分で自分をだましてしまう。もっともらしい理由をつけて、自己正当化し、エゴを被害から守ってしまう。

 常に心がけるべきなのは、「いかに自己を正当化するか」「いかに自己を守るか」ではなく、「この現象から何を学べるか」という発想ではないかと思う。 
 それによって自己(エゴ)が傷ついたり壊れたりするなら、それでいいじゃないか。すべては何かを学ぶために、魂の成長のために、神の愛としてこの人生があるなら、積極的に「ここで何を学べるか」という発想を常に適用すべきだ。

 エゴが破壊されるということは、苦しみが破壊されるということであり、また心や智慧が広がるということだ。学びを得、苦しみが減り、心と智慧が広がる。こんなすばらしいことはない。

 だから実体のない自己を守る方向に心を使わず、「何を学べるか」という人生の本義に常に集中すべきだ。そのようにして形成されていく自己こそ、価値ある自己だと思うよ。少なくとも今あなたが守ろうとしているその自己よりも。

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