「ウサギの供養」
ジャータカ・マーラー 第六話
「ウサギの供養」
偉大なる魂たちは、動物の生を得た時も、全力の布施を続けていました。ならば人間の生を得た者が、なぜ布施をしないという道理がありましょうか。
昔、菩薩はある森で、ウサギとして生まれました。彼は品があり、美しく、優雅であったために、小さな動物たちからも恐れられることがありませんでした。彼自身、動物を殺生をすることなく、ただ草の芽を食物として暮らしていました。
彼はウサギの姿をしていてもまるで聖者のようであり、慈愛に満ちていたので、他の動物たちも彼に害意を持つことなく、まるで弟子のように従っていました。
彼の殊勝な徳に引き寄せられ、特に親しくなった、カワウソと山犬と猿がいました。彼らは互いに友情に結ばれ、尊敬しあい、仲良く暮らしていました。彼らは動物の本性に反して、他の生き物にも慈悲を持ち、ダルマを重んじ、自己を抑制して生きていたので、神々も驚いていました。
さてある時、そのカワウソと山犬と猿は、教えを聴くためにウサギのところへやってきました。ほとんど満月に近い月は美しく光り輝き、銀の鏡のようでした。その月を観察して、ウサギは言いました。
「あの月を見たところ、明日は満月である。明日、君たちは、正しい方法で得た特別な食物を、たまたまやってきた客人に差し上げて、そのあとで、自己の生命を維持するために食事をとりなさい。
会った者はついには別れる。昇れる者はついには落ちる。生命は稲妻の如くはかない。それゆえに君たちは、断固、怠惰を捨てて、正しい道に励むべきである。
それゆえに、布施の実践によって、功徳を増大させることに努めなさい。輪廻を転々とする衆生にとって、功徳こそが最上のよりどころであるから。
苦しみは功徳の増加によって滅ぼされ、逆に悪業を積む者に苦しみはつきまとう。
苦悩のよりどころである悪業の道をやめて、君たちは、幸福を生み成就させるところの功徳を積むことに専心しなさい。」
彼らは「そうします」と、ウサギの教えを受け入れ、丁寧に挨拶をして、右回りの礼をすると、それぞれの住居に帰って行きました。
彼らが帰った後、かの偉大なる魂であるウサギは、こう考えました。
「やってきた客人に、さまざまな供物を差し上げる能力が、彼らにはある。しかし私だけは嘆かわしいことにその能力に欠けている。
私の食物である苦い草の芽は、客人に差し上げることなど到底できない。私の無能の、なんと嘆かわしいことよ。
このように無能で哀れな私の生命は、何の役に立つであろう。」
このように落胆して思いを巡らしていた時、ウサギはハッとして、良い考えを思いつきました。
「私にはこの身体があるではないか。心よ、落胆と失望を捨てよ。もし客人がやってきたならば、私はこの身体をもって供養をなそう。」
かの偉大なる魂はこのように決心して、まるで最高の財物を得たかのように、喜んでそこにとどまりました。
ウサギの心にこのような殊勝な思いが沸き起こった時、大地は歓喜したかのごとくに震動し、空には神々の太鼓の音が鳴り響きました。雲は稲妻とともに花の雨を降らせ、ウサギを供養しているかのようでした。
このウサギの稀有なる思惟を知って、インドラ神は驚きと好奇心をもって、その偉大なる魂の本心を知りたいと思い、翌日、飢えと渇きに苦しむブラーフマナの姿となって地上に降りると、声高に叫びました。
「隊商から一人はぐれ、深い森の中をさまよい、飢えと疲労に疲れ果てた私を、どうか救ってください!」
その時、ウサギたちは、彼のその哀れな叫び声に心を動かされ、あわててその場所にやってきました。そしてこのブラーフマナに礼儀正しく近づくと、彼を元気づけながら話しました。
「森の中で迷ってしまった、と言って取り乱さないでください。自分の弟子たちのそばにいるがごとく、私たちのそばにいてください。
私たちは今日、あなたに接待をいたしましょう。そして元気になって、明日、あなたは望みのままに行ってください。」
その時カワウソは、七匹の赤い魚を持ってきて、そのブラーフマナに話しかけました。
「漁師たちに忘れられたのか、あるいは驚いて飛び上ったのか、この魚は、陸地に上がっていたのです。この魚を食べて、ここに滞在してください。」
次に山犬がやってきて、ブラーフマナに言いました。
「旅人よ。一匹のトカゲと一皿のヨーグルトを、誰かがここに放置していました。これをあなたに布施します。」
次に猿がやってきて、マンゴーの実を差し出して言いました。
「このマンゴーの実は熟しています。ここの水は心地よく、木陰は清涼です。ここに滞在して、このおいしいマンゴーを召し上がってください。」
次にウサギは、ブラーフマナに近づいてお辞儀をすると、こう言いました。
「森で成長し、日々草の芽を食べているウサギである私には、あなたに差し上げられるような食物の持ち合わせがないのです。
ですからどうか、私の身体を火で燃やして清めて、召し上がってください。
私には、この身体よりほかに財産はありません。それゆえに、私の全財産であるこの身体を受け取ってください。」
ブラーフマナは言いました。
「どうして私のような者が、他者を殺害してまで自分の飢えを癒すことができようか。このように友情を示してくださったあなたに対しては、なおさらそのようなことはできません。」
ウサギは答えて言いました。
「そのような言葉は、慈悲に満ちたブラーフマナ様にふさわしい言葉です。あなたは自ら私を殺害する必要はありません。あなたに私の厚意を示す方法を、私は自ら見つけましょう。」
このとき、インドラ神はウサギの心を理解して、ある場所に、燃え上がる炭火を出現させました。
周囲を観察していたウサギがその炭火に気づくと、歓喜の心をもってブラーフマナに言いました。
「あなたに厚意を示す方法を、私は見つけました。さあ、見てください、ブラーフマナさま。
布施したいという思いと、施物と、あなたのような布施の対象に会うこと、この三つは容易に得ることはできません。
私のこの施物が、あなたに布施することによって、空しいものとなりませんように。」
こう言うとウサギは、最高の歓喜をもって、あたかも宝を求める人が宝の山を見つけた時のように微笑んで、ハクチョウが真っ赤な蓮華の花の上に降り立つように、その燃え上がる火の中に飛び込んだのでした。
それを見たブラーフマナは、最高の驚きに心奪われて、自らの正体であるインドラ神の姿に戻ると、ウサギの体を自らの両手で受け止めて、それを見ていた天の神々たちに向かって言いました。
「ここに居合わせる神々は見よ。そしてこの偉大なる魂のまことに驚くべき偉業を喜べ。
ああ、他人を愛するこの魂は、恐れることなく自らの身体を施した。勇気のない人たちは、残り物でさえも布施することは難しいというのに。
ああ、まことにこの者の心は、徳の反復によって薫習されている。ああ、真に高潔なこの行為によって、素晴らしき善行がここに示された。」
そしてインドラ神は、世間の人々にこのウサギの行ないの卓越さを知らしめるために、その満月の月面に、ウサギの姿を描きました。
よって今でも満月の月面には、ウサギの像が見えるのです。それはインドラ神によって記された、かの偉大なる菩薩の、身体の布施という素晴らしい偉業の印なのです。
このように、偉大なる魂は、動物として生まれたときも、極限の布施を実践したのです。ならば人間となったものが、誰が布施をしないでいいといえましょうか。
このように、徳を愛する者は、たとえ動物であっても、賢者たちから尊敬されるのです。よって人々は、もろもろの徳をこそ尊重すべきなのです。
そしてこのときのカワウソはのちのアーナンダであり、山犬はモッガッラーナであり、猿はサーリプッタであり、偉大なる菩薩であるウサギは、お釈迦様だったのです。