yoga school kailas

◎生きる指針に

【本文】
『快いことに出合っても喜ばず、不快なことに出合っても悲しむことなく、
しっかりと覚醒していて、何事にも惑わされない人は、自我と至高者とが一体となっている人である。』

 はい。これも同じですね。だからこのバガヴァッド・ギーターは非常に素晴らしい経典ですが、『ボーディチャリヤーヴァターラ』と同じで、これは日々しっかり読んで、自分の生きる指針としたらいい経典だね。
 ざーっとこう読んでくと、日々自分の反省点ていっぱい出てくるでしょう。ああ、私はいつも快いことに出合っては大喜びして、不快なことに出合ってはしゅんとして、生きてきたなと。昨日もそうだったなと。よし、じゃあ今日はそんなふうにしないようにしようと。
 そして、『しっかりと覚醒していて、何事にも惑わされない』。ああ、私は今日一日も神とか真理のことを考えなかったなと(笑)。で、惑わされてばかりいたなと(笑)。駄目だと(笑)。常に神やブッダの、あるいは真理というものに対して心を合わせるようにしようと。
 で、これはもちろん、最終的には、自我と至高者が一体となる。つまり自分がその至高者の中に溶け込むわけですが、まあそこまでいかなくても、最初の段階では少なくともイメージとか、あるいは意識の状態において、そういった崇高なものから心を離さないという実践をすると。
 だいたいね、崇高なものを常に考えてたら、あんまり間違った生き方はしないと思うんだね。うん。もちろん教えが間違ってたら駄目だよ。例えば、ブッダっていうのがいて、ブッダの教えっていうのを全然学んでなかったら、「ああ、ブッダー」って考えてても、「じゃあ泥棒でも行こうか(笑)」と、そういう、そういうふうにずれが生じるけど、だからさっきも言ったようにまず教えっていうのが必要なんだけど。教えっていうのがある程度ベースに入ってて、で、その上で神やブッダをずーっと思ってたら、恥ずかしくてあんまり変なことはできない。恥ずかしくて、悪い思いもあんまり抱けないし。だからそれは段階的な問題ですが、最初の段階でもすごくそれは、常に心をそういったものに向けるっていうのは、カルマ・ヨーガとしてすごくメリットがありますね。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする