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ド・キェンツェー・イエシェー・ドルジェの生涯(終)

 1836年、彼はラウタンへ行き、ロンチェン・ニンティクの伝授を授けました。ラウタンはド・キェンツェーの座の一つになりました。近年、ラウタンはラウタン・トゥルク・ドチェン(1959年死去)、つまりドドゥプチェンのトゥルクの座でした。

 彼らがラウタンにとどまっているあいだ、ド・キェンツェーは自分の息子のレルティを、驚くべき家の中に入れました。多くのダーキニーたちが彼らに様々な食べ物を与え、素晴らしい宝を目の前に出しました。ド・キェンツェーはキーラをレルティに与え、それから彼らはその家から出ました。レルティが振り返るとその家は消え去っていましたが、キーラはまだ彼のもとにありました。

 1844年、キェンツェーはヤルルン・ペマコを訪れ、ジグメ・プンツォク・ジュンネーとドドゥプチェン二世に、ロンチェン・ニンティクの伝授を授けました。その後、彼は彼自身のテルの教えを公開しました。それらにはヤンサン・カド・トゥクティクとチョ・ツィンパ・ラントルが含まれています。

 1847年、ラウタンで、彼はユタンのティメー・タクパを、彼の死んだ息子のシェーラプ・メパル、つまりドドゥプチェンのトゥルクとして認定しました。ティメー・タクパは、子供の頃から肉を食べることを拒否し、後年、ド・リンポチェとして有名になりました。

 1856/57年、彼がゴロクのユツェ山脈を訪れているとき、パトゥル・リンポチェがユムカ・デチェン・ギェルモのイニシエーションを受けにやって来ました。それから、ドドゥプチェン二世とともに、彼ら三人はサン(お香を焚くこと)の供養を行いました。

 多くの証拠にもかかわらず、なかにはド・キェンツェーの悟りの力を疑う者もいました。彼の叔父はド・キェンツェーの修行法を全く信じていませんでした。ある日、ド・キェンツェーがマーモットを銃で撃った際、彼の叔父は彼を叱ってこう言いました。

「なぜトゥルクが罪人と同じように殺生ができるんだ?」

 その後、ド・キェンツェーがその死体をむちで打つと、マーモットは走り去りました。それを見て、彼の叔父はこう言いました。

「今やお前は魔術も身に付けたのか!」

 ユツェ山脈において、ド・キェンツェーは日中はゲームを楽しみ、夜は瞑想を楽しみました。彼は数多くの人や無数の人以外の生命を、ダルマの平安な道に導きました。ギェロンのサマンの王の招きで、王とその臣下たちに教えを与えました。そしてついにギェロンの十八の公国の指導者となりました。

 1858年、トキャプのカウコン・センゲ・ヨンゾンにて自伝を書き始め、1860年にはそれを書き終えるいっぽうで、ゾクチェンの教えをトキャプの国王と他の者たちに与えました。そして彼らはみな高い悟りを経験し、驚くべきしるしを目にしました。

 彼はカウコンにとどまっているとき、東の羊の年(1860年)の最初の月の8日目の早朝、ミラレーパの姿をしたドドゥプチェンを目にし、次のような詩を聞きました。

  マディヤマカ、マハームドラー、ならびにゾクチェンは、
  土台、道、ならびに結果の本性である。

  精緻なる四つの極端からの解放が、
  外的で粗雑なマディヤマカと呼ばれる。

  鋭い智慧を伴い、誤りから解放された〔見解〕、
  つまり、仏性という精髄の精神を伴った叡智が、
  微細で内的なマディヤマカである。

  悟りを進める巧みな手段を使ってその見解を持ち、
  そして四つのヨーガの修行を通じて、
  最終的に瞑想のない状態を完成させることが
  マハームドラーの道に沿って進む方法であり、
  心に関する理解から解放された空性と明晰さの意味〔またはその結合〕である。

  自然なゾクチェンにおいて、
  生来的な覚醒を直接的に悟ることは
  理解することと理解する者の一切の結び目を解く。
  それから、〔光の〕イメージと輪を認識することによって、
  生来的な覚醒の顕現的な力がサンボーガカーヤとして完成されるだろう。
  輝かしい四つのヴィジョンが完成されるなら、
  現象は究極の本性という偉大なる広がりに溶解し、
  ‘壺の中の若々しい身体’という究極の領域への解放が達成されるだろう。

 その後、熱を帯びた光が師から放たれ、ド・キェンツーェの頭から入って来て全身を満たし、彼の最も微細な汚れさえをも浄化し、偉大なる至福の叡智で彼を満たしました。
 
 1866年、彼はタルツェドに戻り、いたるところで、町の通りにおいてでさえ、人びとに教えを与えました。そして第2の月の20日、彼はダルマカーヤの座法で座り、自分の肉体的な変化身を究極の本性に溶け込ませました。すぐさま様々な音が鳴り響き、地震が起き、縞模様、円形、ならびに柱型の虹の光が数日間にわたって空を覆いました。荼毘にふされた場所で、彼の弟子たちはその灰の中に数多くの舎利(真珠や水晶のようなビーズ型のもの)を見つけました。その中の一つは、五色で卵大をしていました。

 

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