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「私が見たアドブターナンダ」より抜粋(7)

 アヴァドゥータが少し回復すると、ラーム・バーブは、毎晩彼にチャイタニヤ・チャリタームリタ(シュリー・チャイタニヤの生涯)を読んで聞かせていた。
 ラトゥは、それを一度も聞き逃さなかった。
 この本には、主と帰依者の主従関係について多くのことが論じられており、ラーム・バーブとアヴァドゥータはよくこれについて論じ合った。
 ラトゥは、それらの会話を耳をそば立てて聞いていた。
 ときどきラーム・バーブは、シュリー・ラーマクリシュナのおっしゃったことや例え話を引用して、自らの解説を装飾した。
 これは、非常に明快な効果があった。
 われわれは、ラトゥが大事に心にしまい込み、後になってわれわれに語ってくれた一つの話を以下に綴ろう。

「ほら、村には機織りが住んでいた。
 彼は敬虔な男で、人々は彼を心から愛していて、彼に大きな信頼を置いていた。
 彼はよく市場で布を売っていた。
 あるとき買い手がやってきて、彼に布の値段を聞いた。彼はこう答えた。

『ラーマのご意思により、糸の値段はこれくらいで、ラーマのご意思により、労働の費用はこれくらいでしたので、ラーマのご意思により、私の利益はこれくらいでしょう。』

 そのようなことから、人々は彼を信頼し、すぐにお金を払うと、布をもっていくのだった。
 ある日、夜に彼が神に祈りを捧げ、御名を唱えていると、強盗を犯した追いはぎの集団がそこを通りかかり、彼を無理やり荷物持ちにして同行させた。
 彼らが機織りの頭にその荷物を載せて帰っている途中、警察と出くわしてしまった。
 追いはぎは皆、頭に荷物を載せた機織りを残して逃げた。
 その哀れな男は、警察の手によるさまざまな尋問に耐えなければならなかった。
 しかし機織りは、『ラーマのご意思』と言うのをやめなかった。
 彼は法廷にあげられた。
 そして事実を語るように求められると、彼はこう言った。

『主よ、ラーマのご意思により、私は神の御名を唱えていました。そうしたら、ラーマのご意思により、追いはぎがやってきて、私を無理やり同行させました。
 そしてラーマのご意思により、彼らは私の頭に荷物を置きました。ラーマのご意思により、われわれは歩き出しました。
 するとラーマのご意思により、警察がやってきました。ラーマのご意思により、追いはぎ達は逃げました。
 ラーマのご意思により、私は捕まりました。
 ラーマのご意思により、私は尋問を受けました。
 そしてラーマのご意思により、あなた様方の前に連れてこられたのです。』

 判事はその状況を理解し、その機織りを解放した。
 法廷から帰る途中、彼は『ラーマのご意思により、私は解放された』と言っていた。」

 この主従関係を、ラトゥ・マハラージは晩年によく、非常に生き生きと力強く語ったので、聞き手の心に消えることのない印象を残した。

「息子よ、君は神にお仕えするためにいるんだよ。媚びへつらうためじゃない。
 主は、金持ちがするようなごますりがお好きだと思うかい?
 君は、金持ちがおべっか使いに囲まれているのを見たことがないか?
 彼らは大げさに話す。なぜだかわかるか? それによって何かを得るためだよ。
 しかし彼らは何かを得るとすぐに、その金持ちのところを去って、別の金持ちのところに行って、同じように彼にひと芝居打つ。
 彼らは、二人目の金持ちを喜ばせたなら、最初の金持ちを悪用したことをちっとも悪いと思わないだろう。
 こんな感じで、彼らはまた三人目、四人目と続ける――これが彼らのやり方なのさ。
 君はこのようにして主にお仕えすることができるか?
 彼にお仕えしたいならば、すべてのもの――財産、評判、名声、羞恥心、屈辱への恐れ――それらを全部投げ捨てなければならない。
 下心をもって主にお仕えしてはならないんだ。
 さらに、人は彼が恐れ多くもわれわれに与えてくださったものに対して、たとえ小さなものでも感謝の気持ちでいっぱいになるべきだ。
 われわれは何と愚かなんだろう!
 彼は初めからずっと、最高のもの、一番有益なものをわれわれに与えてくださっているということを、われわれは理解していない。
 われわれはそれを忘れている。彼を忘れている。
 われわれは彼にお仕えしていない。
 われわれの苦しみはすべて、それが原因だ。
 君は、自分のために良くしてもらっているということを忘れてしまう者が、向上すると思うかい?
 われわれは彼を忘れているばかりに、苦しみが終わらないんだよ。」

 この神との主従関係について、ラトゥ・マハラージによって説かれたものはたくさんある。
 それらはわれわれに、この主従関係という考え方についての正しい発想を与えてくれる。

 シュリー・ラーマクリシュナは、八か月の長い期間の後に、ドッキネッショルに戻ってきた。
 その戻ってきた日に、師はラームの家を訪れた。
 その日は、ナヴァラートリの7日目(ドゥルガー・プージャの日)で、ドゥルガーが礼拝されていた。
 女神の偉大なる信者(シュリー・ラーマクリシュナ)が、女神の到来と共に現われたので、カルカッタの信者たちは歓喜と至福の恍惚の中に投げ入れられた。
 そしてラーム・バーブの家の寺院は、歓喜の声が響き渡っていたのだった。

 そして、ラトゥの歓喜は!
 それをどうやって、言葉で言い表わすことができようか?
 冬の冷気が去って、春の風が木や植物に触れたかのように、シュリー・ラーマクリシュナの帰還は、ラトゥの中に新たなを命を自然に芽生えさせたのだった。
 皆が、彼が喜びに満ちた顔で機敏に動き、大きな声で話し、活発に活動していることに驚いた。
 驚いたことに、ラーム・バーブは、彼の助けだけで多くの仕事をすぐに片づけることができた。
 ラーム・バーブは彼に命じて、師がお帰りになったことをカルカッタ中の信者たちに知らせ、このおもてなしの用意をし、サンキールタンの一団などを招いたのだった。
 この少年の人生の引き潮の流れは、ちょうど、哀れに雨の滴を切望するチャータカ鳥が、突然遠くに雷鳴が轟き渡る黒い雨雲を見つけて忘我の喜びに心躍らせるように急展開を迎え、突如満潮になったのであった。
 

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