要約・ラーマクリシュナの生涯(15)「タントラのサーダナー」
15 タントラのサーダナー
ブラーフマニーは、ゴダドルが至高者の化身であると確信した。しかしゴダドルと話をするうちに、ブラーフマニーは、ゴダドルが師につかずに、聖典の規則に則ることもなく、非凡なる信仰心のみによって母なる神のヴィジョンを見始めたものだから、彼はまだ自分の経験に自信が持てないのだろうと思った。そこでブラーフマニーは熟考の末に、正式なタントラの聖典に命じられている修行を実践することをゴダドルに勧めた。ゴダドルは、それが正しいことであるか、その必要があるのかどうかを母なる神に尋ね、その承認を得て、ブラーフマニーの指導のもとで、他の一切を忘れて、タントラのサーダナーに専念した。
人間と動物の頭蓋骨で作られた座が、一つはビルヴァの木の下に、もう一つはパンチャヴァティーの木の下に作られた。ゴダドルは必要に応じてこれらのどちらかの頭蓋骨の座に座り、時を忘れてジャパ、瞑想などに没頭した。
後にラーマクリシュナは、この頃のことを回想してこのように言っている。
「昼間はブラーフマニーは寺院から遠く離れた様々な場所に行って、タントラ聖典に記されている様々な得がたい品物を集めては持ってきた。夜、それらをビルヴァの木の下やパンチャヴァティーの下に置き、私にその使い方を教え、それらを使って聖典の規則通りに母なる神の礼拝をおこなうように導き、最後にはジャパと瞑想に没入せよと言った。私は言われたとおりにしたが、ジャパと瞑想はほとんどできなかった。数珠を一回り回さぬうちに完全にサマーディに入り、それらの儀式にふさわしい結果を得たからである。そういうわけで、私の得たヴィジョンや経験には限りがなく、すべてが全くたぐいのないものであった。ブラーフマニーは私に、64の主なタントラ聖典に命じてあるすべての行を、一つ一つおこなわせた。いずれも成就するのが非常に難しいものであって、大方の修行者が実践の半ばで迷いに陥ってしまうものである。しかし母のお慈悲によって、私はその全部を無事に通過した。」
あるときはブラーフマニーは、夜中に、どこからともなく一人の若く美しい女性を連れてきて、ゴダドルに、「我が子よ、彼女を女神として礼拝しなさい」と言った。礼拝が住むとブラーフマニーは今度は、「彼女の膝の上にお座りなさい、我が子よ。そしてジャパを行じなさい」と言った。ゴダドルは驚き、ひどく泣きつつ、母なる神にこう言った。
「おお母よ、宇宙の母よ、一切を捨ててあなたにおすがりしている者にくださるこのご命令は一体なんですか? あなたの弱い子供が、そんなに厚かましく大胆になれるような力を持っているというのですか?」
しかしそう言うやいなや、ある異常な力がゴダドルの心を満たした。そしてマントラを唱えながら、ゴダドルは自分が何をしているかも意識せずに、その女性の膝の上に座ると、完全にサマーディに没入した。
またあるときはブラーフマニーは、死体の頭蓋骨で魚を煮て、それを神々に供養した。ブラーフマニーはゴダドルにもそれをさせ、さらにその魚を食べることを命じた。ゴダドルは少しも嫌悪を感じることなく、言われたとおりにそれを食べた。
しかしあるときブラーフマニーが腐った肉を持ってきて、それを神々に捧げた後に舌で触れるように命じたときは、ゴダドルは嫌悪感に震え、「そんなことができますか?」と言った。するとブラーフマニーは、「そこに何があるというのですか、我が子よ。まあ見てごらん、私がします」と言うと、腐った肉の一部を口に入れて、「嫌悪感は抱いてはなりません」と言った。そのとき、宇宙の母の恐ろしいチャンディカーの姿があらわす概念が、ゴダドルの心の中に吹き込まれた。そこでゴダドルは繰り返し「母よ」と言いながら、バーヴァ・サマーディに入った。ブラーフマニーは腐った肉をゴダドルの口の中に入れたが、ゴダドルはもはや嫌悪感は感じなかった。
このようにしてブラーフマニーはゴダドルに、毎日数え切れないほどのタントラの儀式や修行をおこなわせた。その一つ取っても、人によっては成就するのに一生かかる場合もあるほどのものであるが、ゴダドルはどの修行においても成就に三日以上かかったことはなかった。
また、これらのタントラの修行においては一般には性的な行為も含んだ女性のパートナーが用いられるものも多いが、ゴダドルはそのような性的な女性パートナーを一切用いずにすべてのタントラの修行を完成させた。
このようにしてゴダドルは、三年から四年の間、タントラの修行に没頭した。この期間、ゴダドルの性質は以前とは全く変わったものとなっていた。
たとえばジャッカルや犬は、ヒンドゥー社会では一般には不浄視されるものであるが、母なる神は時折ジャッカルの姿をとるし、また犬はバイラヴァ神の乗り物であるため、ゴダドルはそれらの動物の食べ残しを神聖視し、少しのためらいもなくそれらをプラサードとして食べた。
身も心も生命も、一切を供物として母なる神の蓮華の御足の下に心の底から捧げてしまい、ゴダドルは、自分が内も外も不断に叡智の炎に満たされているのを見た。
これらのタントラの修行によってゴダドルのスシュムナー気道は全開し、彼の性質は永久に子供の性質に変わってしまった。この時期以降、彼の心は常に母なる神の蓮華の御足に没入するようになったため、彼はいくら努力をしても、衣や聖糸などをちゃんと身につけて置くことができなくなった。
また、この時期の終わりの頃になると、すべての事物に対する非二元性の悟りが非常に深くなり、ごくつまらぬものを見てもすべてが最も清浄なもののように見えるようになった。
またゴダドルは、タントラの修行によって得た神秘的な力によって、将来、母なる神の恩寵によって多くの人々が彼のもとにやってきて悟りを得、今生の目的を達成するであろうということを知った。それをモトゥルに話すと、モトゥルはこう言った。
「何という良いことか! 父よ、私たちは皆、あなたのおそばにいて、さぞ楽い思いをすることでしょう。」