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解説「ラトナーヴァリー」第一回(1)

2006年10月15日

解説「ラトナーヴァリー」第一回

 『ラトナーヴァリー』はまず、ナーガールジュナっていうのは皆さん知ってますよね。龍樹。龍樹菩薩とかいいますが。ナーガールジュナというのは、インドの仏教界の、なんていうかな、のちの大乗仏教の論理的な教えはすべてナーガールジュナをもとにしてるとも言われるるぐらい、おおもとになった人ですね。いろんな伝説があって。ナーガールジュナがどの論書を残したかっていうのはいろいろ説があるみたいですが。一応この『ラトナーヴァリー』っていうのもナーガールジュナの作とされていて。
 これは王様へ教えですね。友人の王様に宛てた教えっていうかたちでいろんな教えが説かれてるのがこの『ラトナーヴァリー』ですね。
 で、この『ラトナーヴァリー』の全体を見ると、王様に対する政治的な、仏教的な政治の仕方とかから、あるいは仏教の基本的概念から菩薩の修行まで、すごくね、まあ、どうでもいいような細かい論理的なことは抜いて、すごくこう、エッセンスがまとめられてるいい聖典なんですね。

第一章「繁栄と至福の教え」より

 はい。もう一回言うと、ナーガールジュナというのは大乗仏教の、まあ開祖というと変だけども、開祖といってもいいぐらいの人で。大乗仏教というと、日本の仏教ってだいたい大乗仏教ですが、日本で有名な、人気のある、例えば法華経とか、あるいは浄土経とか華厳経とか、ああいうのちの大乗仏典の最も原初的な大乗仏典っていうのは般若経群ね。『プラジュニャーパーラミター』っていうやつですね。日本で有名な『般若心径』っていうのはその『般若経』――まあ『般若経』っていっぱいあるわけですね。『般若経』の中の『般若心径』っていうのは、よく英語でかっこよく『ハートスートラ』とかいわれてるけど(笑)、あれはフリダヤっていうんだね、心っていうのはね。あのフリダヤっていうのは心髄、つまり『般若経』の心髄をあの短いものにまとめましたよっていうのが『般若心径』ですね。で、『般若経』っていうのは実際はたくさんあって。ものすごい膨大なものもあるし。その『般若経』というのは空の教えが中心的になってて。でもその空の教え、空の智慧の教えっていうのは『般若経』を見るだけではなかなか分かりにくいというのがあって。で、それをすごく論理的に、「こうだ」ってバシって一番最初に理論づけたのがこのナーガールジュナですね。で、その後の大乗仏教のいろんな展開っていうのはこのナーガールジュナをすべてもとにしてるっていっても過言ではないので、例えば大乗仏教のいろんな、中国、日本、チベット、インドのいろんな導師とか聖者の中で、あいつはこうだよとか、これはわたしは信じないとかいろいろあるだろうけど、ナーガールジュナを信じないっていうのはあんまりないと思う(笑)。ナーガールジュナはおおもとになってるんだね。そこから大乗仏教の様々な論理が派生してる。
 で、ナーガールジュナの一番有名な作品が『中論』ですね。それもまたさらにそれに対するいろんな解説とかもいっぱい出てる。で、そのナーガールジュナの考え方、『中』の考え方を受け継いできてるのが中観派といわれてる人たちですね。今のチベット仏教もダライ・ラマとかは中観派。中観の、まあ難しくなるけど中観帰謬論証派っていう人たちになるんですね。そういう、つまりその中にもさらにいろんな派の分かれがあるわけですが、まあとにかくそれらの一番おおもとになってるのがこのナーガールジュナ。
 例えばシャーンティーデーヴァの『入菩提行論』もやっぱりナーガールジュナのエッセンスがいっぱいあるような感じがする。とにかくおおもとになってるような人ですね。で、さっきも言いましたが、ナーガールジュナが王様に説いた教えといわれるのがこの『ラトナーヴァリー』ですね。

三宝に礼拝し奉ります。

 あらゆる悪を離れ、あらゆる美徳で飾られ、すべての衆生の唯一無二の友であられる全智者に礼拝して、
 王よ、あなたにダルマが栄えますように、ひたすら善なるダルマを説きましょう。
 ダルマは、あなたのような正しいダルマの器において完成するのでありますから。

◇繁栄と至福の道――信仰と智慧

 先にダルマによる繁栄があるところには、後に至福(解脱)が現われます。繁栄を達成した人は、順次に至福へと向かうのですから。

 繁栄とは幸福であり、至福とは解脱に他ならない、と説かれています。それを達成する道は、要約して言えば、信仰と智慧です。

 信仰があればダルマを受け入れ、智慧が具わるとダルマを真実に理解します。このうち智慧が要であって、信仰はそれに先行します。

 愛欲や嫌悪や恐怖や迷妄のためにダルマに背くということがないならば、その人は信仰ある人である、と知らねばなりません。その人は至福を受ける最上の器であります。

 はい。これは最初の部分ですが。これはなんというか、そうですね、当たり前のことを書いてるなと思う人もいるかもしれませんが、これは非常に、なんというかな、仏教の真髄を表わしてると思うね。ここだけ見てもね。
 つまり、繁栄と至福の道がありますよ。ここでいう繁栄の道っていうのは、つまりしっかりと悪業を断じ、徳を積み、この世で幸福になる道だね。で、至福の道っていうのはそうじゃなくて、もうそういった苦楽とか善悪とかすべて超えた完全な空の悟りの道。つまり仏教っていうのはその二つの段階的な教えなんだよと。
 で、

 「先に法による繁栄があるところには、後に至福(解脱)が現われます。」

と。つまりしっかり法に則って、教えに則って善を積み、悪を捨て、しっかり瞑想してってやってる人は、この世でほんとに幸福になってると。で、その果てにはその二元性をも超えた悟りの至福の境地に至りますよと。
 はい。そして、

 「それを達成する道は、要約して言えば、信仰と智慧です。信仰があれば法を受け入れ、智慧が具わると法を真実に理解します。このうち智慧が要であって、信仰はそれに先行します。」

 つまり結局、要は智慧なわけですね。真理とは一体なんなのかと。それをもう学問ではなくて如実に理解すると。如実にそれを知ると。これが智慧ですね。これがもう仏教の要なわけですが、当然まずはその前段階で、われわれは智慧がない。だからその前に信仰が必要なんですね。ここでいう信仰というのはもちろん、かなり大きな意味での信仰かもしれないね。つまり、ただうちの師匠を信じますとかだけじゃなくて、もちろんブッダとその教えとその弟子たちに対する信仰もそうだし、それから自分が今からやる修行に対する信というのもそうだろうし。こういった信仰だね。その信仰によってまずそのブッダや、あるいは自分が出合った真理というものに対する、まず開かれた心を持って、まずしっかり修行を学ぶと。それによって実際の如実な智慧が生じていくわけですね。

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