解説「菩薩の生き方」第三十回(7)

【本文】
言葉を語るときは、信ずるに値し、正しく整えられ、意味は明快に、心に楽しく、聞いて楽しく、慈悲心に基づき、柔軟で、音声に節度がなければならない。
【解説】
言葉を語るときの具体的な指示がありますね。
ここで根本となるのは「慈悲心に基づき」というところでしょう。すべての言葉は、慈悲の心に基づいて語られなければなりません。「音声に節度」というのは、大声過ぎず、また聞こえないほど小さな声でもいけないということですね。あとは読んだままの意味なので、説明は不要ですね。
はい、これは本当に説明不要っていうか、このままですね。言葉を語るときの注意ですね。ここに書いてあるように、まずベースに来るのは、「慈悲心に基づき」と。つまり慈愛、慈悲の心。相手に対する慈悲、慈愛の心を持って話しなさいと。
で、つまりいつも言うようにこれは、この『入菩提行論』的に言うと、念正智を常にわれわれはしなきゃいけなくて。つまり逆に言うと、カルマによって、あるいはエゴによって、勝手に言葉がしゃべるままに任せてはいけないと。だから慣れる前はというかちゃんと念正智ができていないうちは、いったんやっぱり一呼吸置いた方がいい。わーって適当にしゃべっちゃうんじゃなくて、自分が何か言うときは――これは相手への愛から発される言葉だろうか? じゃなくてエゴで言っているんじゃないか? あるいは相手への批判心で今言おうとしているんじゃないか?――別の言い方をすると、神のご意思に適っているだろうか?――でもかまわない。そういうふうにワンクッション置いて語ると。これがだからすべてと言ってもいいね。これがベースであると。
はい。で、その上に、もうちょっと表面的なアドバイスとして、「意味は明快に」とか「心に楽しく」とか「聞いて楽しく」とか、あと音声の節度っていうのは、これもよく出てくるけど、つまり菩薩は騒々しくあってはいけないとかいう教えもあるけどね。つまりもちろんいろんな人がいるだろうからさ、人の心にちょっと恐怖を与えたり、あるいはちょっと人の気持ちを荒々しくさせるような、荒々しい言い方をしては駄目だと。
なんていうかな、方言とかもあるからさ、例えばね、関東とかから見ると関西弁ってなんかすごく強く感じるよね。でも関西の人たちは別にそんなに悪い気持ちじゃなくて言ってたりする。だから別に、分かり合えてれば別にいいんだけどね(笑)。分かり合えてる上での激しい言葉ならそれはいいんだけど、でも一般的にそうではなくて、あまりにも荒々しい、あるいは大き過ぎる言葉は、人によっては相手にショックを与えるかもしれない。あと逆にボソボソと聞こえないようにしゃべってても、それは、なんというか、相手に伝わらないし、あまりいい言葉でもないと。
日本人っていうのは、いつも言うように、そのようなさまざまな所作、作法にも美を求める、あるいは節度を求めるから、とてもその辺は日本人のいいところですよね。それは別に型にはまる必要はないんですけども、菩薩として、あるいは修行者として、なんていうかな、理想的な、それぞれのイメージでかまわないけど、理想的な話し方。だからといって別に気取る必要はないよ。――ちょっと今何も例が浮かばなかったけど(笑)。気取る必要はないけども、節度を持った、美しい、そしてもちろん一番は、根本に慈愛のある、慈悲のある言葉を語りなさいと。
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