yoga school kailas

2006・9・3「解説・入菩提行論」読書会 その④

ヨーガスクール・カイラス 勉強会より
2006年9月3日 「解説・入菩提行論」読書会 その④

※いずれ全文をまとめて本にする予定ですので、ご期待ください。

まぁ入菩提行論の解説っていうのは話が広大過ぎて、なかなかあれだね(笑)、あの、毎回毎回、その、広大過ぎて困ってしまいますね…。はい、ここまでで何か質問等ありますか。」

Uさん「例えば、世界中の人たちが、少なくとも、仏教的な教えとか菩薩的な教えを正しいと踏む段階。できてるできてないに関わらず、に全ての世界中の人がなったとしたら、もっと世の中は変わるんですか。」

先生「いや、もちろんそれはそうだねぇ。それはだから限定的なね、ことだとは思うんだ。
 例えば、ちょっと前のチベット。ね。ちょっと前のチベットっていうのは、まぁ諺で、あのー、盗賊でさえも仏陀に祈りを捧げる、っていう言葉があったくらい(笑)、つまり、カルマによって盗賊やっちゃうような人でも、一応仏陀に帰依しているっていう(笑)、ぐらい、あるいは、そこら辺歩いている子供でも、衆生のために祈りを捧げると。あるいはそこら辺の工事現場で工事している人でも、虫を見つけたら、工事が遅れても、あの、取り除いてあげると。つまり、それが、実現できるかどうかは別にして、それが素晴らしいんだっていう概念が、まぁ、一時期のチベットまでにはあったわけだね。うん。
 それはまぁなんていうか、まぁ、地球の僅かなテリトリーだけれども、それがまぁもし地球上全体に広まったとしたら、それはまぁ素晴らしい世界になるだろうね。実践できるかは別だけどね。だから私はそれがね、ある意味ではその、えっとー、社会形態としては、あのー、一番の理想だと思うんですよ。いつも言っているけども、その、例えば政治を考えた場合ね、私は政治とかあんまり、あんまりっていうか全く興味無いんだけど(笑)、政治を考えた場合、政治の仕組みを整えるのも大事だろうけど、やっぱり、そこにいる人々の心の問題であってね、あの、よく言うように、その、資本主義社会っていうのは、人間の貪りを増大させて、あのー、格差を生み出すと。じゃあ共産主義はいいのかというと、あの、平等にすると人は怠けるんだね(笑)。あるいは一部の者が搾取する。
 やっぱりその、貪りと無智っていうのがある場合、あるいは怒りってのがある場合、上手くいかないんだね、社会を整えようとしても。でも、そうじゃなくても、菩提心っていうのが一つあれば、どんな形態だって上手くいくんです(笑)。ねぇ。だからそれが広まりさえすれば、理想社会ができる。

 うん。あの、チベットではそういう、あの、なんっていうんだっけCさん、そういうグループがあるんだよね。」

Cさん「ガル」

先生「ガルか。ガルって呼ばれる小グループがあるらしくて、まぁ、一つの村がね、もうその村だけで完結しているその、なんっていうか、社会があるんだね。そこでみんなこう役割があって、ある人は医者だったり、床屋だったり色々あるんだけど、皆が修行者なんです。で、皆がその、お互いに菩提心を持って、お互いのために、皆幸せになってくれって思って生きている。そういう社会がある。一見するとちょっと共産主義に近いんだけどね、共産主義に近いんだけど、精神性が全く違う。面白い話があって、あの、えー、虹と水晶とかを書いたナムカイノルブっていう人の、あの、師匠かな、の人が、そのガルって言われるそのグループのね、まぁリーダーだったのかな、で、あの中国共産軍がチベットに攻めてきて、あのー、チベットにその、なんていうか、チベット仏教に染まっている人々を、お前達は悪しきね、古い、その、迷信に染められているダメな奴だと、俺達の共産主義で教育してやるって言ってバーーーっと、その、なんっていうかな、教育に入っていったんだね。

 その、ある聖者の所にも、そのガルの所にもやってきたんだけど、よし教育してやると思ったら、ちゃんとしたそのシステムがもうできてたんだね(笑)。ね。だから何にもする必要がなかったんだ。でそこで、でも中国人達にはプライドがあるから、あの、俺達がこういう風にやってやったんだっつって、そのグループにかってに名前をつけたんだ。それは、中国人が、お前らを解放したって言って、解放公社っていう名前をつけたらしい。で、そこにいた人達は逆に喜んで、俺達にぴったりだと(笑)。輪廻から解放するための(笑)、解放公社だと(笑)。そういう話があったけど。
 ただ、そういうのは小さい世界では可能だったわけだけど、それがまぁ全世界に広がるくらいだったら素晴らしいね。

 あの、仏教の一応、その、伝説では、人間界っていうのはその、精神性っていう意味においてはね、あのー、落下と上昇を繰り返していると言われているんです。で今は、人間界は相当、落下の極地にいる時代で、それが、しばらくしたらまた上昇に向かうだろうと。で、その最大の上昇の時っていうのは、まぁ人間と神の差があんまりなくなる時代があるっていうんだね。その時は人間が、寿命が八万歳になって、で、あのー、まぁ菩提心があるかどうかは別にして、人々がその、善しかほとんど実践しないと。悪の名さえないと。
 ね、あのー、これも前ちょっと話したけど、ある仏典に面白い話があって、その頃の話にね、人間の寿命が八万歳の時、まぁ、この話っていうのは、そっからどんどん落下していく時の話なんだけど、あの、ある王様がいて、その、王様の後継ぎにまぁ、当然、長男の王子様がなるわけだけど、その次男の王子様がいてね、その次男の王子様に悪い、あの、まぁ、大臣がついていて、ちょっとそそのかしたわけだね。
 あのー、あなたは、今のままだと長男が王権を奪取するから、あなたが王になりなさいと。でも、次男は、え?何を言っているのと。そんなんできるわけないじゃないかと。でも大臣は、できますと。嘘をつきなさいと。で、その頃世界には、嘘ってほとんど知られていなかったっていうか(笑)、だからその次男の王子様は、え、嘘って何と(笑)。それは、本当のことと違うことを言うことです。え、それで王になれるんだったらやってみようかっつって、この話の面白いところは、そこでその王子様が、民衆に布告したって言うんだね、皆さん何月何日に私は嘘をつきますから集まってください(笑)。で、民衆も嘘ってのよくわかんないから、嘘って何だっつって、皆で集まったんだ。ね。そして、その頃の、その、王子様っていうのは、まぁ、徳が高い人間世界の中でもさらに徳が高いから、あの、宙に浮いていたっていうんだね。空中に浮いていたと。で、空中に浮きながら、さぁみんな集まりましたねと、私は今から嘘というものをつきましょうっつって(笑)、なんか、問題が本末転倒してきたんだけど(笑)、あのー、そこで皆の前で、私は長男であるって言ったんだね、一言。そしたら、宙に浮いていた彼の体が、ポトって地に落ちたんだ。で、これが、もちろん悪業によってそうなっちゃったんだけど、バカなその次男はそれが分からずに、もう一回、私は長男であると。そしたら体がずぼっと大地に埋まったっていうんだね(笑)。これはなんか、おとぎばなし的な話だけど、そういう時代があるっていう話がある。ね。だからまぁ、人間世界もだからそういう理想郷になる可能性はなきにしもあらずだね。うん。

 一応ねぇ、あのー、仏教最後の経典と言われるカーラチャクラという経典があって、このカーラチャクラには、あの、最終戦争と思われる描写がある。これは二つの説があって、一つは単純にあの頃、そのカーラチャクラの経典ができた頃って、イスラム教徒がインドに攻めてきて、仏教寺院をどんどん破壊してたんだね。だからあれは、仏教徒とイスラム教徒の戦いを描いたっていう説がある。で、もう一つの説はそうじゃなくて、もっと未来の話として、の、説だっていう話がある。
 この未来の話の説を取った場合、どういう話かっていうと、あのー、まぁ、この地球のどこかにね、シャンバラっていう国があると。そこは聖なる国で、あの、まぁ、仏教の教えが代々、その、営まれてきた国だと。で、そこに王様がいるんだけど、あの、王様っていうのは当然、あの、代々受け継がれるんだけど、何代目かの王様で、あの、ラウドラチャクリンっていう王様がいるんだね。このラウドラチャクリンっていう王様になった時に、その頃世界は、もう、まぁ蛮族っていう表現がされているんだけど、蛮族と呼ばれる、その野蛮な、真理を全く知らない民によって世界が支配されていると。で、ついに、堪忍袋の尾が切れたラウドラチャクリンが、シャンバラからやってきて(笑)、蛮族と戦うと。で、最終的に蛮族を打ち倒して、世界を、世界全体をシャンバラに変えてしまうと。そういう伝説があるんだね。

 で、これは、一説によると、さっきも言ったけど、単純に仏教徒が、イスラム教徒への負け惜しみとして(笑)、イスラム教徒にやられていたから、俺らはイスラム教徒を打ち破ってね、あの、またインドを仏教国に変えるんだっていう意味で作ったのか、もしくはそうじゃなくて本当の未来予言として、この地球がまぁ将来そうなっていくっていう予言なのか、それはまだわかんないけどね。でも仏教にはそういう神話もあるんだね。で、それは一つの理想ではあるんですね。

………はい。他に何かありますか。………はい。」

Cさん「密教の戒律で、あの、一人でも慈悲の心を持てなかったら、その人の修行は終わり、ってあるじゃないですか。どうやってチェックしたりするんですか」

先生「アハハハ(笑)。それは、また、難しい問題だね。それはだからねぇ、あのー、えっとー、それを客観的にどうやってチェックするんですかっていうよりも、あの、チェックする行為自体が修行になると考えた方がいい。つまりそのような戒律がポンと定義されていて、それを真剣に受け止めて、よし、私は、決して一人にさえも、あの、慈悲を捨てることはしないぞって、思うことができたら、それでその戒律は成功している。って考えたらいい。うん。

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