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「解説・マルパの生涯」(5)

【本文】
 マルパはいったんチベットに戻った数年後、再びインドに旅立ち、ナーローを初めとする師たちに再会し、以前受けた教えを復習すると共に、新しい教えを受けました。マルパはナーローにまた必ず戻ってくることを約束し、チベットへと帰りました。

 マルパはチベットで偉大な仏教の師として有名になりました。彼はダクメーマという本妻と、他の八人の妻と多くの子供を持ち、ビジネスを行ない、大きな家に住み、多くの弟子や信者を持ちました。無一物で洞窟から洞窟へと放浪して修行した彼の一番弟子のミラレーパとは全く逆のスタイルだったわけですが、これが良いとか悪いとかではなく、これが彼のスタイルだったのです。
 ちなみに、マルパの妻ダクメーマとは、彼のイダム(守護尊)であったへーヴァジュラの妃の名であり、彼女も含めた彼の九人の妻たちは、『へーヴァジュラ・タントラ』に出てくる九人の女神たちを表わし、マルパの家はへーヴァジュラのマンダラを表わしていたといわれています。

 はい、マルパは、まあいったんチベットに帰ったんだけど、また数年後にインドに旅立って、前の教えを復習し、で、新しい教えも受け、またチベットに戻ってきたと。で、それからまあ本格的に、チベットで教えを広め始めるわけですね。
 で、マルパのスタイルは、ここにも書いているように、九人の奥さんを持ち、で、大きな家に住み、で、まあ、仏教を教えるだけではなくて、ビジネス的なことを行ない――まあつまりさっきから言っているように、すごい現実的な、合理的な人だったんだね、マルパっていうのはね。例えばその教えを与える、教えを広めるには金がいると。ね(笑)。だからその金を稼ぐためのビジネスもしっかりやると。で、しっかり家族を育て、で、多くの弟子や信者を持ち、あの、なんていうかな、まあ言ってみれば世俗的な成功者みたいな感じで、修行してたんだね。で、これが彼のスタイルであると。
 つまり、さっきから言っているように、ナーロー、マルパ、ミラレーパ、そしてガンポパと、この連なる人達ってみんなちょっとスタイルが違う。ナーローは完全にまあ密教行者で、放浪行者なわけだね。で、マルパは今言ったように、大きな家に住んで家族もいて、ビジネスマンであると。ね。で、ミラレーパは、まあミラレーパもナーロー以上に、まあ裸で雪山を放浪するような、無一物の放浪行者であると。で、ガンポパっていうのは、まあなんていうかな、聖僧っていうかな。つまり聖なるお坊さん的な人だったんだね。だからちょっと、ミラレーパとかナーローパーともちょっと違う。その放浪、ちょっと狂ったような放浪者ではなくて、まあ非常にまともな――まあ、最もだからこの中で一番多くの人から尊敬されるような、聖なる――つまり戒律をしっかり守って、教えをバシッと理解してて、誰からも慕われるような、まあ聖なるお坊さんだったんだね。
 で、このガンポパが――まああとでガンポパも出てきますけど、ガンポパもそのカギュー派の礎ね、体系、組織としての体系の礎を作った人なんだね。まあだからその使命がガンポパにあったから、そういうスタイルだったんだろうね。
 で、もう一回戻すけども、マルパは全然違うタイプで、多くの奥さんと、多くの家族と、多くの仕事に囲まれたビジネスマンだったと。しかし大聖者だったんだね。
 マルパに関しては、あんまり――そんなに普通にね、日本で教えとか学んでたら、マルパについてはそんなに聞かないかもしれないけど。チベットではマルパはすごく尊敬されています。つまりもうこれも大聖者として尊敬されているんだね。で、マルパのスタイルっていうのは何度も言うように現世的なスタイルだったわけだけど、密教っていうのはもともと――まあ密教だけじゃないな。ちょっとこれは誤解を恐れずに言うけども、密教に限らず、菩薩道というかな、まあ修行そのものもそうなんだけど、特に菩薩道とか密教の道っていうのは、ある段階以上になると、あまりかたちは関係なくなります。つまりスタイルとか、表面的な生き方のかたちっていうのは関係なくなる。まあ、それは皆さんも、「八十四人の成就者」とかでよく分かっているかもしれないけどね(笑)。あまり表面的な生き方のスタイルとかは、どうでもよくなるんだね。
 ただ普通は、例えば周りとかね、あるいはのちの者たちに模範を示すために、まあ聖者っていうのは、みんながね、それを真似して利益のあるようなスタイルをとるわけですね。つまり、いかにも聖者らしい生き方をするわけだけど。本来はある段階以上に行くと、どうでもいいんです。
 これはちょっと、なかなかあの、まあ上手く伝えるのは難しい話なんだけど、まあちょっと大ざっぱに言うけどね、大ざっぱに言うと、つまり、この現実と言われる、本当は幻影でしかないこの現実の世界から、ちょっと足を離し始めた人だから。ちょっと、どっぷり浸かってたところからちょっと抜け始めた人なので、まあある意味ちょっとこう、現実世界を超越したかたちになっているんだね。で、その人にとっては、この現実世界ってのはもう夢みたいなもんなんで、まあどうでもいいっていうかな、どんなスタイルでも全くかまわないと。で、その人が持っている、もともと持っている、なんていうか、カルマの特徴であるとか、あるいは使命であるとか、それに応じて、まあいろんなかたちをとるわけですね。
 で、マルパの場合は、もう一回言うけども、ちょっとこう、聖者とか密教の聖者の中でもちょっと変わった、独特のスタイルを取ってたんですね。
 はい。で、ここにも書いてあるように、マルパの……だいたい密教の行者っていうのは、まあ何か一つの神を、自分のね、まあチベットではイダムって言いますけど、インドではイシュタと言いますけども、その一人、一つの神をね、例えばクリシュナだったらクリシュナ、まあ仏教の場合、例えばカーラチャクラとかグヒャサマージャとか、ヘーヴァジュラとか、一つの神を自分のイダム、自分と縁のあるメインの神と定めて、で、それに関する修行を中心的にやるわけだけども。このマルパのイダムが、このヘーヴァジュラっていう神だったんだね。このヘーヴァジュラの修行法っていうのがあって、それは自分がヘーヴァジュラに変身して、で、まさにね、このヘーヴァジュラの奥さん、ヘーヴァジュラの妃がダクメーマっていうんです。ダクメーマって呼ばれるその妃を抱いてね、そしてそのほかに、まあ八人の女神が登場するっていうその瞑想法があるんだね。で、そういうマンダラがあって。で、マルパはそれを中心的にやってたんで、それをその現実世界でも、自分の家をマンダラと見立てて、九人の奥さんを持って、まあ家もそういうマンダラ風に作ってたって言われている。はい。これがマルパのスタイルだったっていうことですね。
 はい。じゃ次いきましょう。

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