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随筆マハーバーラタ(3)「アンバー姫の復讐」

 今回は、第三話の「アンバー姫の復讐」をテーマに、つらつらと思うところを書いてみたいと思います。

 ビーシュマが、義理の弟である若きヴィチットラヴィーリヤの花嫁を探しに、カーシー国の美人姉妹の婿選びの儀式にやってきたとき、ビーシュマ自身が嫁探しに来たと勘違いした近隣諸国の王子たちは、ビーシュマの強さにはかなわないと落胆し、悔しさのあまり、ビーシュマに侮蔑の言葉を投げかけます。

「このビーシュマという老人は、自分がもう年をとりすぎていることも、一生独身を通すと誓ったことも、忘れちまったんじゃないか? ちぇっ、やなこった!」

 ――いつの世も、人間というのは弱いもので、自分のことは棚に置いて、なんだかんだと相手を非難して、自分を正当化しようという癖がありますね。

 他者を非難することで、自己を正当化する。

 過去の自分を非難することで、今の自分を正当化する。

 自分がとらなかった道を非難することで、今の自分を正当化する。

 このような悪癖が、人間にはあるようです。

 これは、弱い心の働きです。

 相対するものを非難し貶めることで現状の自分を肯定しようというのではなく、ただただ、現状の自分を向上させることだけに励めばいい。本当はただそれだけでいいはずなのです。

 たとえばこのエピソードで言うならば、まあビーシュマが嫁探しに来たというのは勘違いだったわけですが、ビーシュマが独身の誓いを破ろうが破るまいが、王子たちには全く関係ないはずです。もともと王子たち自身はそんな誓いをする勇気もないわけですから、ビーシュマがそれを破ろうが、非難する権利はありません。
 これはちょうど、たとえばスポーツ選手や芸能人などがなかなか頑張れなかったり、不祥事を起こしたのを見て、全く関係ないのに非難をする評論家や視聴者などにも似ていますね(笑)。非難するくらいなら、その評論家や視聴者が、同じ土俵で、同じことをやってみればいいのです。

 この王子たちの場合、ビーシュマという最強のライヴァルが現われたなら、自分にその力があろうがなかろうが、黙って、勇気を持って、ただ全力で挑むべきだったのです。しかしその潔さも勇気もないため、ビーシュマの非難をすることによって、その自分の弱さや勇気のなさを正当化しようとしています。

 これはわれわれも、気をつけなければいけませんね。概して他人の悪口や非難というのは口にすべきではありません。特にこの話のように、一見、正当なことを述べているようでありながら、実は自分の弱さを正当化しているだけということはないか、自分をよく観察してみてください。

 
 さて、すべての王子に打ち勝ち、見事ヴィチットラヴィーリヤのために三人の王女を連れて帰ったビーシュマでしたが、ここでその一人のアンバー姫が、自分には愛し合う相手がいるのに、このように連れてくるのは、武士道に反するのではないかという異議申し立てをします。
 本来、婿選びの祭典の場で、正々堂々と戦って勝ち取った権利ですから、いまさらとやかく言われる筋合いはないはずなのですが、人のいいビーシュマは、『それもそうだなあ』という感じで、アンバー姫の言い分を認め、彼女を意中の人(シャルヴァ王)のもとへ送ってあげます。

 しかし公衆の面前でビーシュマと婿選びの戦いをして負けたシャルヴァ王は、いまさらアンバー姫を受け取るのはプライドが許さず、拒否します。ヴィチットラヴィーリヤも、他の男性が好きだと公言したアンバー姫をもらう気になれず、拒否します。ビーシュマももちろん、独身の誓いを立てているので、拒否します。他の王子たちも、この一連の成り行きを知って、あまりかかわりたくないという感じで、拒否します。
 こうして、美しさの誉れ高かったアンバー姫は、誰にも嫁にもらってもらえないという、予想だにしない結果に陥ってしまったわけですね。
 これは彼女のカルマだったわけですが、おそらくアンバー姫は、「女性としての幸せ」という自分のイメージに、強く固執していたのでしょう。その現実を受け入れることができず、ビーシュマを逆恨みし、この後の人生は、ただビーシュマへの復讐のためだけにささげます。恐ろしいですね。
 しかし当時最強と言ってもいいほどの強さを誇っていたビーシュマを倒せる者は、誰もいませんでした。そこでアンバー姫は、最後の手段として、苦行をしてシヴァ神に祈りをささげます。シヴァ神はその願いを聞き入れ、アンバー姫が死んで生まれ変わったとき、ビーシュマを殺すだろうという予言をします。

 ここで、なぜ偉大なるシヴァ神が、一人の女性の自分勝手な復讐劇に力を貸すのだろうかという疑問もわきますが、私はこれは、そもそもこのマハーバーラタという大いなる神の意思の下の一連の物語において、ビーシュマがクルクシェートラの戦争において、他の勇者たちと共に戦死しなければいけないというのは、決まっていたのだと思いますね。

 「マハーバーラタ」の後の方で、この戦争は実は神が、重くなりすぎた地球のカルマを軽くするために計画されたものだったという話が出てきます。
 これは特殊な見方かもしれませんが、ビーシュマも、他の戦士も、あのドゥルヨーダナでさえ、地球の悪しきカルマを引き受けて戦って死んでいった救世主であるという見方もできます。
 しかしビーシュマは非常に強く、クルクシェートラの戦争時はもう相当な老人であったに関わらず、誰もビーシュマを倒すことはできませんでした。しかしビーシュマも、神の計画では、死ななければなりません。
 そこでアンバー姫の生まれ変わりであるシカンディンが出てくるわけですね。ビーシュマは武士道を守り、「女とは戦わない」という信念があったので、もともと女性であるシカンディンを攻撃することができず、シカンディンの後ろにいたアルジュナの弓で殺されてしまいます。
 普通なら誰も倒すことのできないビーシュマを殺す運命を神から授けられたアンバー姫。こういう観点から見ると、復讐とか、アンバー姫が抱いていた感情なども、すべてはただのつじつまあわせという気がしますね。もう最初からすべては決められていたのです。

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