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解説「菩薩の生き方」第二十七回(6)

 「悪業を犯すことを恥じ、おそれる。」

 はい、まあ、これはこのままですね。「罪を恥じ、恐れ」っていうやつだね。われわれはダルマに巡り合いましたと。そしてさっきの歌にもあったように、特にこの菩提心っていうものをわれわれが持ちました、もしくはその教えに出合って、わたしもそうなりたいと思いましたと。そしてその修行を曲がりなりにも少しでも始めましたと。これはね、言い換えると、さっきの歌にあったように、仏陀の家族の一員になったっていうことなんです。あるいは、菩薩っていうのは、別名、よく日本語だと「仏子」っていうわけだけど、仏子っていうのは、「仏陀の子」。ね。よく「仏陀の御子」とか「仏陀の子供」っていう単語表現が出てくるけど、これ、菩薩のことです。皆さんが菩薩道、菩薩の道を歩み始めた瞬間から、皆さんはもう仏陀の子供なんです。仏陀ファミリーの一員です。もちろんまだ末席をけがすだけかもしれない。その大いなる菩薩道の道を歩いてるファミリーの、端っこの(笑)、入口の辺りで、ちょこんと座ってるだけかもしれない。でもだからといって、家族には変わらないからね。この家系、清らかな聖なる仏陀の家系の一員であると。よってわれわれはそこに恥ずかしくない生き方をしなきゃいけないと。
 だからわれわれにとって、悪を犯すこと、これはまず恥なんだと。恥ね。悪っていろいろあるけどね。つまりそれは社会的な悪ではなくて、ほんとに真理の意味においての悪ね。あるいはわれわれの心のけがれとか、そういったものを肯定し、実践したりするっていうことは――つまりそれは別に、道徳的に駄目ですよっていうんじゃなくて、もう誇り高き菩薩の心としては恥なんだと。もうこれは、つまり武士が、ね、武士道精神に反することを恥じるように、菩薩は、菩薩道に反する諸々の悪を恥と考える。で、その気持ちを常に持ち続けなきゃいけないんだね。
 まあ、その恥の感覚、いい意味での恥の感覚を「慚愧」っていうわけですけども。その恥の感覚によって悪を避けると。つまり別にわれわれは、誰から何か言われて、無理やり悪を避けてるわけじゃないんだと。わたしの誇りにとってこれは恥だから避けてるんだと。だからその気持ちがあったらさ、別に人が見てる・見てないは関係ないですよね。ただ言われてやってるだけだったら、人が見てなかったらいろんな悪いことをするかもしれない。あるいは心の中で、心の中は誰も見てないから、いろんな悪い思いを抱くかもしれない。でもこの恥っていう感覚があれば、誰が見ていようが見ていまいが、われわれは誇り高く、心の中で、あるいは実際の面において、悪を避けると。
 あるいはさ、まだまだいろいろ避けられないっていうか、やめられない執着とか悪とかあるかもしれない。でもこの恥の心があれば、結構ブレーキになるよね。肯定しちゃってたらいつまでもやめられないかもしれないけども、「今、わたしは煩悩を満たしてしまったけど、これは恥である」という感覚があれば、それはブレーキとなっていつかはやめられるだろうと。

 はい。そして、「恐れる」。これはまさに、カルマの法則っていうのをどれだけ信じてるか。一つはね。わたしはだからよくその意味では、ね、多くの人は――多くの人っていうのは皆さんも含め、教えを学んでる人の多くの人は、ほんとの意味ではカルマの法則を信じてないんじゃないかって思うときがある。つまり、いろんな懺悔を聞いてもそうだけど、すぐ、なんていうか、心に悪い思いを持ったり、あるいはすぐ悪業を犯すと。カルマの法則を信じてたら、「え、信じてたらそれできないでしょ?」と。「だってそれ、返ってくるから」と。そんな思いを相手に持ってしまったりあるいは実際にやってしまったとしたら、将来返ってくるわけだから。で、しかもそれがたまりたまって、もし一気に返ってきたら、膨大な苦しみとなって返ってくるわけだから。それが分かってたら、普通に、つまりエゴの観点からいっても悪業を犯せないはずなんだね。エゴっていうのはつまり、自分の幸せを願ってるわけだから。自分の幸せ願ってたら、少なくともカルマどおりに、自分が「これやられたら嫌だな」っていうことは人に対してできなくなる。
 わたしは真面目だったからそうだったけどね。真面目だったからっていうか、何度か言ってるけどわたし、小学生のころから、こういう教えを学ぶ前からね、なんか直感的にって言ったら変ですけど、心の中でカルマの法則を信じてるところがあってね。「絶対これ、やったことって返ってくるな」っていう、なんかそういう確信があって。だからその観念によって、ちょっとブレーキが掛かるんだね。なんか心の、自分の、悪いっていうよりも、いろんな軽い気持ちによって、こういうことを相手に対してやりたくなったりとかね、悪いことをやりたくなったりとかするときもあるんだけど、なんかそういうことを考えちゃうんだね。「これ返ってきたら嫌だな」とかね。で、もちろん教えを学んでから明確に、なんていうかな――だからといって子供のころとか若いころとかに全然悪いことをしなかったわけじゃないんだけども、特に教えを学んでからは、人に対する悪いことっていうのは、もう心が完全にカルマの法則を信じてるから、別に頭で考えなくても、ちょっとブレーキが掛かっちゃうんだね。
 はい。だからこれは「恐れる」っていうことだね。つまりわれわれは、ほんとにカルマの法則を信じてたら、罪を恐れると。悪を恐れると。それは自分に返ってくるから。あるいはそれによって、ね、今日の歌にもあったように、「わずか一瞬の罪悪からも無間地獄に落ちることもある」と。つまりこの悪の基準っていうのは、宇宙の法にのっとってるわけだけど、われわれではちょっと分かんないところもあるんだね。なんとなく軽く思ってたのが実際には大きな悪影響を人に与えちゃったりして、それが返ってくるときにものすごい膨大な悪となって返ってくるときもあると。だからそれもまた信じてたら、慎重にならざるを得ない。これは悪ではないだろうかと。これは人を苦しめることにならないだろかと。そのようにわれわれは慎重に、悪を犯すことを恐れて生きなきゃいけない。

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