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要約・ラーマクリシュナの生涯(12)「修行の最初の四年間のその他の出来事」②

 サーダナーの最初の四年間は、すでに述べたように、ゴダドルは、誰か師につくこともなく、また聖典によることもなく、ただ神への強烈な熱意のみによって母なる神のヴィジョンを得た。つまりこれは、ただ熱意だけでも神を悟ることができるという例ではあるが、それを可能にしたゴダドルの熱意は、たぐいまれな、全く常軌を逸したものであったことも事実である。その強烈な熱意の衝動によって、飲食、眠り、羞恥心、恐怖等のような、行動や感情の中のゴダドルの今までの心身の習慣や印象は、希薄な空気のようになって消えてしまった。彼は肉体の健康はおろか、生命の維持にさえ意を用いなかった。
 後にラーマクリシュナはこう言っている。

「当時は身体を清めることも考えなかったものだから、髪の毛は伸び放題、埃や塵にまみれて、もじゃもじゃにもつれていた。瞑想のときにはいつも、身体は樹の幹のように不動になった。小鳥たちは物品だと思って平気で頭上にとまり、塵まみれの髪の毛を叩いて埃をたてたものだよ! 
 また、主なる神から離れていることに耐えかねて自分の顔を激しく地面にこすりつけたので、顔には傷ができてあちこちから血が流れた。
 祈り、瞑想、勤行、自己奉献その他のことに没頭して、一日の時が過ぎるのを意識せず、やがて日暮れが近づいて法螺貝や鐘の音が聞こえ始めると、その日が終わりに近いことに気づいた。また一日が虚しく過ぎ去った。私はまだ母なる神を見ていない。深い悲しみに襲われ、心は不安になって、私はもはや静かにしていることができなかった。荒々しく地に身を投げて、『母よ、あなたは今になってもまだ、私にお姿を見せてくださらないのですか』と言った。大声で泣き、苦痛に身もだえた。人々は言ったものだよ、『彼は疝痛が起こったのであんなに泣いているのだ』と。」

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