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スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(41)

                       1915年7月4日
                         アルモラにて

 親愛なるDへ

 1915年6月26日付けのあなたの手紙を受け取りました。
 人は過去生の大いなる功徳の結果として人間の身体を得ます。いったん人間として生まれると、解脱への門が開かれます。人間の身体を持ったとしてももし人が解脱を渇仰しないなら、いつ再びそのようなチャンスが来ると誰が分かるでしょうか? したがって、人はまさに今生で輝きを得るためにあらゆる努力をしなければなりません。
 聖典にも同様のことが記されています。

「多くの有徳な行為の結果として、あなたは不幸の大海を渡るための船としてこの身体を受け取りました。それが壊れないうちに使いなさい。」

 バーガヴァタムにはこう書かれています。

「解脱への開かれた扉のような人間としての誕生を得た者が、鳥のように家庭に執着する――賢者はそのような者を、高い状態から落ちた者と見なします。」[第六巻、第七章、七十四節] 

 解脱への門に到達したときでさえ、人は富、親類、家庭、自分の身体への執着によって何度も失敗します。したがって、人は自分の執着を世俗から神へと移し変える必要があるのです。このようにして、人は神への執着や愛によって自由になります。それ以外に方法はないのです。

 神は本当に慈悲深い御方です。もし人が神へと一歩近づけば、彼は百歩、いや千歩近づいてくださいます。それは絶対的な真実です。それは単なるお話ではなく、実際にそうなのです。もし誰かが心と言葉を一致させ、心から「主よ、わたしはあなたに帰依します。わたしには他に何もないのです」と言うならば、主は彼を絶対に受け入れてくださいます。それ以外にはありえないのです。
 人はこのように言ったり、感じたりしなければなりません。
 
「あなただけが私の父、あなただけが私の母。
 あなたが私の友、あなただけが私の身内。
 あなたが私の宝、あなただけが私の智慧。
 あなただけが私のすべてのすべて。おお、至高の神よ。」
[プラパンナ・ギーター]

 このように祈る者を、主が拒むことがおできになるでしょうか? 
 さあ、こう問いかけてください。「誰がこのように真摯に祈り、考えているだろうか?」と。

 主チャイタニヤは、こうおっしゃっています。

「おお、主よ! あなたのお慈悲はとてつもなく広大です。
 そして、この虚しい人生とハートの中に、
 あなたの御名への信愛を見出さないなら、
 私の不幸はなんと大きいことでしょう。」
[シクシャシャカム、二]

 人には愛と渇仰が必要であり、そのときにはじめて人は霊性の生活の結果を得るでしょう。こう祈ってください。

「師よ、わたしにあなたへの渇仰をお与えください。わたしに信愛をお与えください。」
 
 師は、真摯な祈りにはおこたえになられます。真摯に、そして心から祈ってください。そのとき師はお喜びになられるでしょう。彼がお喜びになられるとき、あなたは一切のものを手にし、あなたのハートは愛と献身でいっぱいになり、あなたの人生は祝福されるでしょう。そのときあなたは、この歌の至福を味わうでしょう。

「母なる神を瞑想する者にとって、
 天の豊かさは貧しさでしかありません。
 もしシャーマーが彼に一瞥を投げかけるなら、
 彼は永遠なる至福の中を泳ぎます。」

                        最高の願いを込めて
                         トゥリヤーナンダ

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