決定的な意味の灯 パート2(5) 帰依の意味(4)

ブッダの身体・言葉・心を象徴し、それらの依処となるものを、真の三宝そのものであると認識し、それらに対して礼拝し、供養し、信と敬愛を持ちなさい。古くなったものを修復し、新しいものを作りなさい。
それらをむき出しの地面に置いたり、傷つくような場所に置いたりしてはならない。それらを利益のために売ったり、質入れしたりしようと考えることさえ不適切である。
壊れたツァツァの欠片であっても、あるいは経典の文字一字であっても、それをまたいではならない。
三宝の恩恵を思い起こし、身・口・意を敬虔に保って、礼拝し、供養し、讃嘆するなどしなさい。
慈悲をもって他者を帰依へと導き、三宝のすぐれた功徳を称えなさい。
帰依の利益を思い起こし、昼に三回、夜に三回、帰依の修行を行ないなさい。
たとえ生命がかかっていたとしても、帰依の対象を決して捨ててはならない。そのように帰依を捨てることの過失を心に留めなさい。
自信をもって、幸福であれ不幸であれ、優れた境遇であれ卑しい境遇であれ、自分のもとに何が訪れようとも、ただ三宝だけに信頼を置き、決して絶望してはならない。
要するに、ブッダに帰依したならば、世俗の神々に頼ってはならない。
ダルマに帰依したならば、衆生を害する行為や考えを捨てなさい。
サンガに帰依したならば、誤った見解を持つ者や、それに類する者たちと親しく交わってはならない。
これを真正に実践するなら、スートラヤーナとマントラヤーナの多くの道を正しく進むことができる。
しかし、帰依という実践をまったく欠いたまま、空性についての高尚な言葉を口にしているなら、それは大きな断崖へと向かう誤った道を歩んでいることになる。
結論として、もし決して帰依の実践から離れないなら、その者は仏教徒とみなされる。小さな悪業は浄化され、大きな悪業は軽減され、その力を失っていく。また、人間および非人間による障害によって害されることもなくなる。
さらに、戒を守ること、祈願を唱えることなどによって生じる善の根は、指数関数的に増大していく。
三宝に対する完全な信があるなら、たとえ誰かが力ずくであなたを押し落とそうとしても、悪趣に堕ちることはない。
帰依の利益は計り知れないほど大きく、ここで述べたのはそのほんの一部にすぎない。
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