yoga school kailas

恩寵

ラマナ・マハルシ「【行為における技がヨーガである。】
【平静がヨーガである。】
【ただわたしに明け渡しなさい。】
【一なるものだけが存在し、二は存在しない。】
 これらの言葉はそれぞれ、カルマ、ヨーガ、バクティ、ジュニャーナをあらわし、しかも同じ意味を持っています。それらは一つの真理を異なった相において表現しているのです。」

質問者「そのためには恩寵が必要なのでしょうか?」

ラマナ・マハルシ「そうです。」

質問者「どうすれば神の恩寵を得られるでしょうか?」

ラマナ・マハルシ「明け渡すことによってです。」

質問者「それでもまだわたしは恩寵を感じられないのです。」

ラマナ・マハルシ「誠実さが欠かせません。明け渡しは言葉の上だけだったり、条件を伴ったりしてはならないのです。」

※ここで、これらの言葉を説明するジャスティニアンという聖者の一句が読み上げられた。
「祈りは言葉の上だけのものではありません。それはハートからあらわれるものです。ハートに溶け入ること、それが祈りであり、また恩寵でもあるのです。」

ラマナ・マハルシ「アルヴァールはこう語っています。【わたしはあなたをずっと探し求めていました。しかし真我を悟って、あなたが真我であることを見出しました。真我はわたしのすべてです。ですから、あなたはわたしのすべてなのです。】」

質問者「限定や無智や欲望といった不純性が瞑想の障害となっています。どうすればそれらを克服できるでしょうか?」

ラマナ・マハルシ「影響を受けないことです。」

質問者「恩寵が必要なのです。」

ラマナ・マハルシ「そうです。恩寵は始まりであり、終わりでもあるのです。内面に向かうことは恩寵のおかげです。忍耐も恩寵であり、悟りも恩寵です。それが「ただわたしに明け渡しなさい」という言葉の理由です。もしも自分自身を完全に明け渡したなら、どこに恩寵を求める人が残っているでしょうか? 彼は恩寵の中に飲み込まれてしまったのです。」

質問者「障害はとても強力なため、瞑想を妨げるのです。」

ラマナ・マハルシ「高次の力を認め、それに明け渡したなら、あなたを妨げるものがどこにあるというのでしょうか? それでもあなたが【障害は強力だ】と言うのなら、その力の源をとらえなさい。そうすれば、それがあなたを妨げることはなくなるでしょう。」

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