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シヴァ・サンヒターより 宇宙観

 ヴェーダにはカルマの部門と智の部門の二部門があるとされている。
 カルマ部門はさらに、禁止規定を主とするものと、指示規定を主とするものの二種に分かたれる。
 禁止された行為をなすときには必ず罪が生ずる。指示された行為をなすときには功徳が生ずる。
 行為の結果には二種ありと知るべし。天界と地獄とである。天界はさまざまであり、地獄も同様である。
 功徳ある行為の結果は天界であり、罪の行為の結果は地獄である。万物の創生は行為の束縛によってなるもので、断じて他の何物でもない。
 天界においては生類は種種の楽を受け、地獄界においては耐え難い苦を受ける。
 悪行の力で苦が生じ、善行の力で楽が生ずる。それゆえに、楽を望むものはいろいろな善行を励んで行う。
 
 天界においても、他人の繁栄を見たりすることで苦を感ずる。それゆえに、この全世界は苦であるということになる。これは疑う余地がない。
 行為の規定化は善と悪の二元を説いたが、霊魂にとってはそれぞれが良きまたは悪しき束縛になる。
 現世と来世における果報を嫌うものは、果報を伴う行為をすべて捨てるべし。定例と臨時のどちらの行為に対する執着をも捨てて、ヨーガの道に進むべし。

 賢明なるヨーギーはカルマ部門の霊験を知って後、この部門を捨て去るべし。善悪の両者を捨てて智部門の道に進むべし。
 「まことにアートマン(真我)こそは見るべく、聞くべきものなれ」
などとヴェーダ聖典にある。この聖典は解脱を与え、解脱の因についての知識を与えるものであるから、謹んで奉事しなければならない。
 われは知性の働きを刺激して、善悪の道へ向かわせるものである。動くものも動かないものも、すべてのものがわれから展開する。万物はわれの内から現れ、そしてわれの内に消え去る。われは万物と分かれて存在せず、一物としてわれを離れては存在しない。
 水を満たした無数の皿の中には唯一の光体の無数の影が見られるが、その間に何らの差別も見られない。無数という数は皿という限定的付加条件に基づいて成立する。この巨大な数が唯一の太陽について成立するように、唯一のアートマンについて個我の無限数が成立するのである。
 夢の中では、ただひとつの夢見る心が多くの形で発現するごとく、覚醒時においても、アートマンは唯一であるが、万物は種種雑多の形を有しているのである。
 縄を蛇と錯覚し、真珠母貝に対して銀の錯覚を起こすごとく、宇宙万象は至上我の上に似現したものである。
 それが縄であることを知れば、錯覚である蛇の姿は消え去るごとく、アートマンを知れば、錯覚によって存立するこの万象は消え去る。
 それが真珠母貝であることを知れば、銀だと思う迷いが去ってしまうごとく、アートマンに対する智が生ずれば、万象についての迷いは消え去る。
 あたかも人がまぶたにがまの油を塗ると、竹を蛇と思い違いするごとく、この宇宙万象は付加条件たる想像力の塗布によって生じた妄想に過ぎない。
 あたかも蛇の正体が縄なることを知れば蛇はもはやそこにないごとく、アートマンを知れば宇宙万象は存在しない。また目を病めば白色が必ず黄色に見えるごとく、無智という病のためにアートマンが宇宙万象に見えるのは避けがたいことである。
 胆の病気がなくなると、白色の智が生まれて、病人自身で白色を知覚するごとく、無智が消え去ると、アートマンは明白になる。
 縄は過去・現在・未来の三世に渡って蛇にはならないように、アートマンは三つのグナを超え、穢れなきものとして、決して宇宙万象となることはない。

 風の力で海の表面に泡沫が生ずるごとく、アートマンの上に、はかなく滅びやすい輪廻の世界は出現する。
 無差別平等な実体は常に輝いている。実体の差別相は輝かない。二様とか三様などという差別相は迷妄に帰着する。
 過去に存在し、未来に存在するであろうもの、有形、無形のものなど、要するにこの宇宙万象のすべては至上我の上に妄想せられたものである。
 無明とは分別心によって妄想されたものであって、誤りから生じ、その本質は偽である。この宇宙万象は無明を根源としているから、どうして真実在でありえよう。

 動くもの動かざるもの、すべてを包むこの宇宙万象は宇宙精神から生まれでたのである。それゆえに、これらのすべてを放棄して、かの宇宙精神に帰依すべし。
 瓶の内外に虚空が行き渡っているごとく、アートマンは被造物の内外に常に行き渡って存在する。
 虚空が五つの偽りの存在の内に偏在していて、しかもそれらと混合しないように、アートマンもこの被造物の内に偏在していて、しかもそれらと混合しない。
 上は自在神をはじめとして、この宇宙万象のうちにアートマンはあまねく行き渡って存在する。アートマンは唯一者にして、実在性と智慧と至福とからなり、充実して、欠けたところがなく、対立するものを有さない。
 アートマン以外に照明者はないから、それは自己照明者である。自己照明者であるから、それは光明を本質とするものである。
 アートマンには、時間と空間を本質とする限定が絶対に存在しないから、アートマンはまことに完全円満である。
 アートマンには、偽妄を本質とする五大元素から成っている現象世界とは違って、滅亡がないから、アートマンは永遠であって決して滅びることがない。
 この世界にはアートマン以外のものは存在しないから、常に唯一のアートマンが存在する。それ以外のものは虚妄であって、アートマンだけが実在である。
 
 宇宙万象の原因である無明は智によって消されるがゆえに、アートマンは智である。智はそれゆえに永遠である。
 この多種多様な万有は時間によって存在するが、かのアートマンだけは唯一絶対の実在であって造作の途を絶している。
 これら外界の存在はすべて時間によって滅びていく。アートマンはすべての言語表現を拒否するもので、相対を絶している。

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