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四つのヨーガ

1.クンダリニー・ヨーガ

2.タター・ヨーガ

3.バクティ・ヨーガ

4.ボーディサットヴァ・ヨーガ

 仏教やヨーガの修行には様々なスタイルがありますが、私になりにちょっとまとめてみると、この四つのヨーガの総合的な修練が必要なのではないかと思います。

 この中で2番目の「タター・ヨーガ」とは、私の造語です。適当なネーミングがなかったのでとりあえずつけました。

 これらはお互いに絡み合っていますが、しかしそれぞれ別次元の軸を持ってもいます。ですから全体を進めるとともに一つ一つを確定させなければいけませんし、たとえば個々人において一つだけ突出したり、一つだけダメであるという場合もあり得ます。

 そしてこれらの達成というのは並列的なものではありません。
 クンダリニー・ヨーガとタター・ヨーガは、ある程度並列で論じられるでしょう。
 ボーディサットヴァ・ヨーガとバクティ・ヨーガも、ある程度並列で論じられるかもしれません。
 しかしこの二つのグループは、並列ではありません。前者は個人的な探求であり、その生その生で達成が必要になります。
 そして後者は、遙かな転生の中で成熟させていくものです。
 たとえるなら前者は、毎年ある期末テストのようなものであり、後者は、小学校、中学、高校と、全体のスケールをアップしていくことだといってもいいかもしれません。 
 そして同じ「期末テスト」でも、1年生の時と2年生の時では違うように、クンダリニー・ヨーガやタター・ヨーガによる同じ悟りや解脱も、バクティ・ヨーガやボーディサットヴァ・ヨーガの成熟度により、実際には違うものへと変容していきます。

 詳説すると膨大になるので、各パートについて簡潔に説明します。

1.クンダリニー・ヨーガ

 これはインドのクンダリニー・ヨーガやクリヤー・ヨーガ、チベットのトゥモ(チャンダーリー)や生起と究竟の密教ヨーガ、中国の仙道などと呼ばれるものと共通の道です。
 要は、クンダリニーその他の名前で呼ばれる生命エネルギーを覚醒させ、上昇させ、アムリタ(甘露)を発生させ、それらを気道・チャクラに循環させるという、人体のエネルギー組織を活用した修行です。
 それらにはマントラやイメージも使われ、最も「ヨーガ的」な行法が主になります。
 現代、日本や欧米やインドでおこなわれているアーサナやプラーナーヤーマを中心にしたヨーガのほとんどは、このクンダリニー・ヨーガの準備運動のようなものであるといえるでしょう。
 体中の気道を浄化したエネルギーは最終的には中央気道(背中のスシュムナーとは別の中央の気道)に流入され、強烈なエクスタシーを経験します。
 そしてある種のリミッターが外れることによって、この世を超えた様々な幻影と真実を実体験します。
 またクンダリニーとアムリタの結合により、化身(ニルマーナカーヤ)や報身(サンボーガカーヤ)などの、「肉体とは別のもう一つの身体」を作っていきます。
 これらによって、生命エネルギーによるある意味物理的なプロセスによって、魂の自由=解脱を獲得します。

2.タター・ヨーガ

 これは、マハームドラー、ゾクチェン、ギャーナ・ヨーガなどが目指す、心の本質、空、ブラフマンなどと呼ばれるものを悟る道です。
 それらを便宜上、「タター・ヨーガ」と名付けました。 
 タターとは、如、ありのまま、それ、というような意味ですが、つまり言葉にできない、すべての本質のことです。
 主に瞑想によりこのタターを悟ることがこのヨーガの目的になりますが、実際には、特に現代では、クンダリニー・ヨーガとの併用がないと、ただ黙って座っていても、この種の悟りはなかなか難しいと思います。また、バクティ・ヨーガやボーディサットヴァ・ヨーガが十分に併用されるならば、この道も速やかに進むことになるでしょう。
 クンダリニー・ヨーガがある種の霊的システムに則った道だとするならば、タター・ヨーガはシステム自体からの解放です。しかしそれにはクンダリニー・ヨーガのシステムが大いなる補助として働きます。

3.バクティ・ヨーガ

 これはバガヴァーン(如来・至高者)への愛・帰依を高めることであり、
 バガヴァーンの愛を悟る道です。
 これは言葉にすると最も簡単に終わってしまいますが、
 その真義を悟るのは最も難しいといえます。
 一般に「信仰」というのは昨今は低いものに受け取られがちですが、
 ここでいう「信仰」とは、「○○だから信じる」とか、何かを期待して信じるといったこととは全く関係のない、極限的に純粋な信仰です。
 この道こそが最も高度な道であり、未成熟な魂には理解不能、あるいは勘違いする危険性の大きい道でもありますが、他のパートのヨーガを確実に進めることで、このヨーガへの理解も進んでいきます。
 この教えの根本聖典たるものは、「バガヴァッド・ギーター」および「バーガヴァタ・プラーナ」にある「クリシュナ物語」などですが、大乗仏教の一部の教えもこれにつながるものがあります。
 バクティ・ヨーガの道を歩く者は「バガヴァーンのただの道具」となり、自己を滅してひたすら働きます。そしてその究極の境地は、言葉にできませんが、誤解を恐れずにあえて一つの表現をするならば、宇宙の本質であるブラフマンのさらに根本にあるバガヴァーン・クリシュナの聖地ヴリンダーヴァンで、クリシュナの「永遠の友」となって一緒に遊ぶことです笑。

4.ボーディサットヴァ・ヨーガ

 いわゆる「菩薩行」です。
 これも一言ではいえないので、詳しくは「入菩提行論」や「シクシャー・サムッチャヤ」のような菩薩の経典を読んで頂きたいと思いますが、
 慈悲・菩提心を土台とした、菩薩としての生き方を貫き、菩薩の素養を高めていくことです。
 もちろんそれには「タター・ヨーガ」であらわされる、「空の悟り」を進めていくことも同時におこなわなければなりません。
 バクティ・ヨーガとボーディサットヴァ・ヨーガは「カルマ・ヨーガ」にもつながってくるのですが、一つ一つの行法というよりも、人生全体を通じて自分と戦い、エゴや魔と戦い、成熟させていかなければいけない修行です。
 そしてこの道やバクティ・ヨーガの道を歩く者はもちろん、輪廻を去ってニルヴァーナに入ることは目指しません。衆生のために、バガヴァーンの道具として、すべての衆生が解脱するまで、自分も繰り返し輪廻に生まれ、自我を滅して働き続けることを喜びとします。

 多くの魂がこの四つの道と出会い、真剣に修習し、速やかに達成し、真のシッダ、ブッダ、バクタ、菩薩となっていきますように。

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