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「ヴィヴェーカーナンダ」(5)

 真理は一つですが、人々の智性に応じて、その教えは様々な形をとります。
 ラーマクリシュナは弟子たちの能力とタイプを見極めて、それぞれの弟子にあった教えを与えていました。
 そしてナレーンドラは最高の段階にいる修行者であったので、ラーマクリシュナはナレーンドラに最初から、最高哲学である不二一元論の真理を理解させようとしました。
 しかし当時のナレーンドラは、神と自分たちは違うものであり、神は形を持たないものであるという理解をしていたので、「存在するものもしないものもすべてはただひとつの神である」という不二一元論の思想を、受け入れることができませんでした。ナレーンドラは言いました。
「この不二一元論と無神論の違いは何ですか? 創造された人々と、創造主が同じだというのですか? これ以上の罪はありますか? 私もあなたも神で、すべては神だなんて。これを書いたリシは、狂っていたに違いありません。」

 ラーマクリシュナは、ナレーンドラのこのような飾らない言い方を聞いて微笑むと、優しくたしなめるように言いました。

「今はまだお前はこうした真理を受け入れられないかもしれない。しかしだからといって、そうした真理を教えた偉大な賢者を責めるのかね? どうして神の性質を制限しようとするのだね? 神に呼びかけなさい。神は真理そのものだ。どんな形でお姿をあらわされても、彼の真の性質であると信じなさい。」

 このように言われても、ナレーンドラは、不二一元論への批判をやめませんでした。当時のナレーンドラは、自分が理性によって確認したもの以外は信じようとせず、また議論好きで言葉がきつかったので、師や他の様々な人々にも皮肉な言葉などを言って、攻撃を繰り返したのでした。

 しかしそんなナレーンドラの見解が、ラーマクリシュナによって劇的に変えられる日がやってきました。
 ある日ラーマクリシュナはナレーンドラに、不二一元哲学による、人々の魂と絶対者ブラフマンの一体説について、様々なことを説法していました。ナレーンドラは注意深く聞いていましたが、理解することができませんでした。話が終わるとナレーンドラは、同じく不二一元論を理解できないでいるハズラという男のところへ行って、不二一元論の批判を始めました。
「水差しが神で、茶碗が神で、見るものすべてが神だ、などということがありましょうか?」
 ナレーンドラとハズラは、二人でどっと笑いました。

 ナレーンドラの笑い声を聞いたラーマクリシュナは、子供のように着物を小脇に抱えて部屋から出てくると、法悦状態のまま、
「何の話だね?」
と言って、ナレーンドラの体に手を触れました。
 その瞬間、ナレーンドラの中に、劇的な変化が起こりました。

 そのときのことを、後にナレーンドラ(ヴィヴェーカーナンダ)は、このように語っています。

「その日、師の不思議な一触れによって、私の心に完全な革命が起こったのだった。
 私は、本当に全宇宙に神以外何も存在しないことを見て、すっかり仰天してしまったのだ。
 この心境がいつまで続くのだろうと思いながら、黙っていた。この感覚は一日なくならなかった。家に帰った後も、全く同様のままだった。
 見るものすべてが神だった。食事の席に着くと、皿、食べ物、給仕してくれる母、そして自分自身のすべてが神なのを見たのだ。
 とても言い表せない、ある種の酩酊状態だった。たとえ通りを渡っている自分に馬車が向かってきたとしても、いつもどおりひかれないように道を開けようという気にもなれなかったほどだ。私は一人語ちた。『私は馬車だ。私と馬車は一つだ。』この間、手足の感覚はなかった。
 ものを食べても、何も感じられなかった。誰か他の人が食べているかのようだった。
 この最初の酩酊状態が弱まると、今度は世界が夢のように見え出したのだった。へドゥアやコーンウォーリス・スクエアーを散歩しながら、鉄の柵に自分の頭を打ち付けて、夢の柵なのか、本物の柵なのか確かめたりもした。頭や足の感覚がなくなっていたので、麻痺してしまうのではないかと思った。
 この圧倒的な酩酊状態は、しばらくは去らなかった。とうとう普通の状態に戻ったとき、自分が体験していたのが、不二一元の啓示だったことを確信した。そして聖典に見られるこうした体験がすべて真実であることを悟ったのだ。このときから、不二一元の真理を疑ったことはなかった。」

 
つづく

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