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勉強会講話より「解説『至高のバクティ』」第二回 「バクティ」②(5)

(S)あの、仏教では、仏教の人達は『ラーマヤナ』とかを読んでるんですか?

 ん? 仏教の人?(笑)

(S)仏教をやっている、仏教の修行している人達とかは、ああいう物語を読んでたりはするんですかね?

 仏教をやっている人っていうかさ、まずね、インドにおいては、この『ラーマーヤナ』、それから『マハーバーラタ』、これはもう誰でも知っている本当にスタンダードな、宗教的な教えですね。だからインド人は――現代は分からないけど、もともとそういうものを聞いて育ってるっていうか。ただ、今、仏教の人って言ったけども、現代インド人って仏教徒ってほとんどいません。ほとんど、つまり半分以上がヒンドゥー教徒で、何割かがイスラム教徒で、さらに少ない何パーセントかがキリスト教徒で。で、さらに少ないのが仏教徒。つまり仏教っていうのは、一旦、さっき言ったアショーカ王の時代に全インドが一旦仏教徒になった時代があったんだけど、でもその後やっぱり衰退しちゃったんだね。イスラム教に押されたりとかして衰退して、姿を消しちゃったんだね。今は復興運動みたいな感じで、またちょっと増やそうみたいになっているみたいですけど。でもほとんどいないんだね、仏教徒っていうのは。ということは今の仏教徒ってどこにいるかっていうと、つまり南方のスリランカとか、タイとかあっちの南方の方と、それから北方のチベット、中国、日本、この辺が仏教徒なんですね。で、チベット、中国、日本に関しては、当然『ラーマーヤナ』なんて知らないよね(笑)。でも南方に関しては――私はよく知らないんだけど、南方に関しては『ラーマーヤナ』とか『マハーバーラタ』は結構、根付いているみたいですね、あれはあれでね。
 前も何だっけ? わたしは小さいころにさあ、テレビで日本とタイの共同制作の『ウルトラマン対ハヌマーン』っていうのを(笑)、

(一同笑)

 なんか観たような記憶がある(笑)。『ウルトラマン対ハヌマーン』みたいな感じで(笑)、巨大なサルみたいのが出てきて(笑)。つまり、タイではハヌマーンって普通に英雄みたいな感じになってたり。つまりタイって仏教国ですけど、あっちのタイとか、だから南方のいくつかの国では『ラーマーヤナ』とか『マハーバーラタ』――まあそういうその、いろんなレリーフも残っているみたいですね。あれはあれで結構スタンダードな神様。だからそういった国の性質として、普通にそういうのが語り継がれてて知ってるっていうのはあるかもしれないけど、でももちろん修行としては読まないですよ。修行としては当然、仏教っていうのはヒンドゥー教を否定するから。ヒンドゥー教の代表的な聖典でもある『ラーマーヤナ』とか『マハーバーラタ』とか別に読まない。
 ただちょっと一つ面白いこと言うと――ちょっと若干ずれますけども、大乗仏教の、まあそうですね、大乗仏教の経典ってたくさんあるわけですけど、中心的なのは皆さんもよく知っている、例えば般若経や、華厳経、法華経みたいなのが中心的になるわけですけも、まあそうじゃない、若干あまり、重要だけどそんなに一般的には有名じゃない経典もたくさんあるわけですね。その中で……何だっけな? ちょっと正式名称は忘れたけども、『ランカースートラ』だったかな? 『ランカースートラ』みたいな経典があるんだね。ランカーっていうのはスリランカのことですね。で、これどういう経典かっていうと、ランカーって皆さん覚えてるだろうけど、『ラーマーヤナ』で魔王ラーヴァナの王国だったわけですね。で、ラーヴァナがシーターをさらって、ランカーに幽閉して、それをラーマとかがこう助けに行って、戦争が起きるっていう物語ですけども。で、この仏教の『ランカースートラ』はどういう経典かっていうと、お釈迦様がスリランカに行って、ラーヴァナに教えを説く(笑)。

(一同笑)

 ラーヴァナってさ、『ラーマヤナ』とか見ると分かるけど、決してラーヴァナって、絶対悪じゃないんですね。ラーヴァナって、もともとは偉大なるシヴァの信者なんです。つまりシヴァ神を信仰して、で、すごい苦行をしてね、その苦行の力によって、シヴァの恩寵によって、無敵の力を手に入れるわけですね。だから決して最初からただの悪ではない。なんていうかな……ヒンドゥー教って――仏教もそうだけど、そういうところがあるよね。絶対悪を設けないっていうか。
 で、その信仰心もあるラーヴァナがいて、そのラーヴァナが、その経典ではお釈迦様に教えを懇願してね、で、お釈迦様が大乗仏教の教えをラーヴァナに説くっていう経典があるんだね(笑)。それは面白い。そう考えると、仏教徒達も実はラーヴァナのことは知っているわけだね(笑)。ラーヴァナを知っているっていうか、全然違うシチュエーションで知っているわけですけど(笑)。例えばラーヴァナ――ええと、日本でどう訳されているかは分かんないけど、多分あっちの言葉だったらそのまま「ラーヴァナ」ですから――例えばあっちの方の、もしインドとかの原典が読める仏教徒とかにね、「ラーヴァナって知ってる?」て言ったら、「ああ、知ってる知ってる」と。「お釈迦様に教えてを説いてもらった人でしょう?」っていう、とんちんかんな答えが返ってくるかもしれない(笑)。

(一同笑)

 でもそういうのもあるんだろうね。つまりそれは多分ね、仏教徒が取り入れようとしたんだと思うね。つまりそれだけ『ラーマーヤナ』とか『マハーバーラタ』っていうのはスタンダードなので、それをちょっと仏教徒が取り入れるかたちで、多分そういう経典を作ったんだと思うね、その経典に関してはね。
 ちょっと話がずれちゃったけど、まとめると、そもそもインドでは仏教徒はほとんどいないから、ちょっとあんまりその質問自体が成り立たないんですけど――それから仏教の修行としては当然、ヒンドゥー教とかは外道とか言って否定するから、当然『ラーマーヤナ』とか『マハーバーラタ』とかは読まないね。だからここぐらいじゃないですか? その、仏教の真理と、『ラーマーヤナ』とか『マハーバーラタ』とかをどっちもその――例えばダライ・ラマ法王とかはね、やっぱりすべて認めるタイプなんだね。ただ、やっぱりそれでも、そうはいってもチベット中心です。チベット仏教中心ですよね。チベット仏教が真理であって、しかしほかの真理も、まあ認めますよみたいなスタンスですよね。でもそうじゃなくて、カイラスの場合は全部……まあ全部っていうか、もちろんここでは絞ってはいるけども。絞ってはいるけども、ヒンドゥー教のバクティも最高の真理であるし、あるいは仏教のダルマも最高の真理であるし、あるいはそこから派生する、クンダリニーヨーガやバクティヨーガや、さまざまなタイプのヨーガも、すべて真理であると。ラーマクリシュナももちろんそういう方向性ですけどね。っていうふうに――そうだな……何度もこれは言っているけどさ、近代において、やっぱりそうなっていかなきゃいけないと思うね。
 これはヴィヴェーカーナンダもアメリカでそういうふうに宣言したわけですけども。「これからはそういう時代になっていかなきゃいけない」と。つまり、自分の教えだけが真実だと凝り固まっている人は、どんどん堕落していくと。で、多くの近代的な聖者が――つまりインテグラルヨーガといって、総合的にいろんなタイプの真理のいいところを認めて、包含していかなきゃいけないっていうことを言っているね。だから、これからはそういう時代になっていくでしょうけどね。
 ただまあ、伝統的な宗教っていうかな、伝統的な道っていうのはやっぱり、その伝統的に、自分達だけであって、ほかは外道というスタイルを取りたがるというか、それが伝統になってしまってるから。
 ちょっと話を戻すと、まあ仏教徒の人、仏教の修行をしてるお坊さんとかは当然『ラーマーヤナ』とか読まないでしょうね。『マハーバーラタ』も読まないでしょう。いいですか?

(S)はい。ありがとうございます。

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