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「解説『至高のバクティ』」第二回 「バクティ」②(4)

(S)お釈迦様が生まれた時には、『ラーマーヤナ』はあったのですか?

 『ラーマーヤナ』?

(S)はい。

 『ラーマーヤナ』はどうでしょうね……『ラーマーヤナ』自体は――なんていうかな、ちょっとまずここで原則的なことを言いますね。原則的なことを言うと、まず歴史っていうかいろんな学者が認めている歴史があります。それから学者というよりは、伝説的な、宗教的な歴史があります。で、一般の考えではこの前者――つまり学者が認めている歴史を真実と考え、伝説的なことっていうのはただの伝説ととるわけだけど。一概に――あ、今言っているのは、ちょっと一般的なことを言ってますけどね――一概にそうとも言えないところもあるんだね。
 ――っていうのは、絶対的にまあそうだろう、っていうのがあります。絶対的にそうだろうというのは、近代の歴史ね。近代の歴史というのは例えばね……そうだな、まあ仏教で言うと、みんなも聞いたことあるかもしれないけど、例えば中国のね、天台智という人が仏教の教えをね、彼なりに勝手に区分けして――つまりお釈迦様がまず最初に説いたのは例えば阿含経で、とか、次にこれを説いてとか、で、最高の教えが法華経で、とかね。そういう感じで、お釈迦様が生きてるうちに、段階的にこれとこれとこれを説いたんだ、みたいな感じで勝手に教義を作ったんですね。でもその後の経典の文献の研究によって、結局お釈迦様がストレートに説いたといえるのは、阿含経だけであるってのが分かった。それ以後の大乗仏典というのは、お釈迦様以後の人達が作ったものであると。これは比較的近代のことでもあるし、こういう研究っていうのは、まあ多分正しい。多分、現実的にそうだったんだろうと。あるいは例えばそうだな、『ヨーガスートラ』が五世紀ぐらいにできたとかね。その辺の話っていうのは、いろんな文献的な調査によって分かってるわけだけど。でも実際はね、その前というのは――つまり紀元前後、あるいはさらに前の紀元前の話っていうのは、われわれが教わっている程にはよく分かってないんだね。われわれは学校とか、あるいはいろいろな本とか読むとさ、いろんな学者の人達が、さも事実であるかのように「これは何年に作られた」とか(笑)、「何年にこの王が……」とか言ってて(笑)。
 わたしは昔そういうのを学ぶとね、まるで事実のように思ってたけども、でもいろいろこう読んでいると――前も言ったけどインドの歴史もそうなんですけども、実際にはかなり分かってないんだね。お釈迦様の年代も、実は説がいろいろあるんです。お釈迦様の年代というのは、定説では二千五百年ぐらい前と言われてる。でもこれはね、実はなんで二千五百年前といってるかっていうと、アショーカ王という王様がいたんだけど、アショーカ王という王様がお釈迦様よりかなり後に現われて、お釈迦様にすごい帰依を持って、いろいろな言葉を記した柱を建てたんだね。それが残ってて。で、そこから逆算してお釈迦様の年代を計ったに過ぎない。まあ言ってみればそれだけなんです。で、アショーカ王って実は、歴史上二人いるんです。つまりもっと昔のアショーカ王がいるんです。こっちだとしたら、お釈迦様は二千五百年前どころじゃなくて、もっと三、四千年とか相当前の人ってことになるね。で、これ、あり得るんです。で、そうだとしたならば、今残っている原始仏典……パーリ仏典とか阿含経といわれるものも、あれはお釈迦様の死後、数百年後にまとめられたと言われているけども、実際にはもっと後かもしれない。つまりお釈迦様の本当の教えっていうのは、全然違うものだった可能性もあるよね。お釈迦様は実は「ラーマ!」とか「クリシュナ!」とか言ってた可能性もあるよ(笑)。まあ、でもそれだけ分かんないっていう話だね。
 まあ、でもちょっとそれはおいといて。まあその歴史の分かんなさっていうのはおいといて――で、一般的な歴史でいうと、『ラーマーヤナ』とか、あるいは『マハーバーラタ』とかの、原初的なのができたのはよく分かんないってことになってるけども、よく分かんないけども、まあお釈迦様と同時期か、もっと後だろうと言われている。しかし伝説ではもちろん違うね。伝説では違うっていうのは、そもそもお釈迦様が現われる――まあつまり、お釈迦様自体がクリシュナの化身といわれているから――お釈迦様が現われるさらに数千年前にクリシュナが現われ、そのさらに数千年前にラーマが現われたんだね。で、この考えで言うと、じゃあ『ラーマーヤナ』はいつできたってなるよね。
 これは皆さん、『ラーマーヤナ』とか『アディヤートマ・ラーマヤナ』とか読んでると分かるけど、ラーマが現われて、あの『ラーマーヤナ』の物語があって、その後に『ラーマーヤナ』がまとめられたんじゃなくて、ラーマが現われて、いろんなこと始まる前にもうあるんです、『ラーマーヤナ』が(笑)。だから、面白い表現でさ、ラーマがさ、父親の約束を守り、森に追放されるときにね、奥さんのシーターがラーマについて行きたいと言うわけだけど、そこでラーマが「いや、森は危険だから、女性には危険だからついて来るな」って言うんですけど、そこでシーターがいろいろ言って、「ついて行く」って言うわけですけど、そのときのシーターの言葉で「どのラーマーヤナを見ても、シーターがついて行かないラーマーヤナなんてないじゃないですか」って言うんだね(笑)。これは不思議な話だね(笑)。これから始まるのに、『ラーマーヤナ』が(笑)。そもそもあるんですね。ちょっとこう時空を超えた話っていうか。うん。これでいうと、そんな、お釈迦様の時代というよりは、遥か遥か昔からこの地上には『ラーマーヤナ』があったということになるね。
 これをさっき言ったように、ただの現代的な学術的なものを信用して、それは絵空事だって言うのは簡単だけど、そうともいえないかもしれない。つまり遥か昔から『ラーマーヤナ』があった可能性はありますね。だからそれはよく分からない。ただ、もし現代的な発想で言うならば、多分多くの学術的な人達は「いや、そうじゃない」と。「もっと近代だ」って言うでしょうね。近代だっていうのは――流れとしてはね、一応その表面的な流れとしては、いいですか、何回か言っているけど、昔のインドっていうのは、もともとはヴェーダっていうのが中心にあって――このヴェーダっていうのは、いわゆる世界中にある、言ってみれば「お祈り宗教」です。つまり神に捧げ物を作って、あるいは火にいろいろ焼べたりして、言ってみれば、現世利益を願う宗教ですね。現世利益というよりは、生活そのものを神にうまくいくように願うっていうか。つまり無病息災、あるいは豊作にしてくださいと。そして神に対する祈りをひたすら続けると。このようなヴェーダ宗教がずっとあって。で、それから智慧の時代に入っていってる。この智慧の時代っていうのは、ただ儀式を行なう世界ではなくて、自らが無智を破壊し、智慧を得ると。悟りを得ると。このような時代が始まったと。で、これが正統的なヒンドゥーの流れでいうと、いわゆるヴェーダーンタといわれる、ウパニシャッドといわれる時代なんだね。ヴェーダからヴェーダーンタになる。ヴェーダーンタってヴェーダの究極とかヴェーダの終わりって意味があるわけですが――ヴェーダが最終形態としてヴェーダーンタになって、シャンカラとかああいう聖者がそれをまとめたわけですけども――その時代に入っていったと。で、その亜流みたいな感じで、お釈迦様が現われたんですね。
 お釈迦様自体は正統的なヴェーダーンタではないけども、同じように、ただ神に祈ってりゃいいっていうんじゃなくて、自らが自分のエゴと闘い、それを滅して、心を浄化して、悟りをこの手でつかむんだと。そのような智慧の道が始まったんだね。これがもし、お釈迦様が二千五百年前ぐらいというのが正しいとするならば、面白いことに、西洋でも同じ時代にソクラテスが現われ、無知の知であるとか、あるいはさまざまな、あっちふうの智慧の道を説いたわけだね。あと孔子とかもそうですね。まあ、そういう形で原初的な、いわゆるヨーガ、原初的な修行の芽が出始めたと。
 で、その原初的な修行の世界から、さらにそれがさまざまな要素と混じり合って、ヨーガという道でいうならば、さまざまなタイプのヨーガ、あるいはさまざまなタイプの仏教が出てきたのが、それからさらに数百年後になるんですね。で、その中に、バクティヨーガもそうだし、あるいは大乗仏教もそうだし、あるいはタントラ的な修行ね、つまりそこからハタヨーガとかクンダリニーヨーガにつながるようなタントラ的な道もそうだし、こういった――もう一回言うよ、正統派ヴェーダの流れを汲むヴェーダーンタ、それからその亜流であるお釈迦様の仏教、これが原初的な修行の悟りの道だったわけだけど、この非常にシンプルな智慧の道だけではない、まあバクティで言うならば……そうですね、さっきのヴェーダの時代のお祈りの世界をもっと純粋化させた、つまりここで教えてるような「もうわたしのすべてを供物として捧げます」と。「わたしは神の道具に過ぎない」と。あるいは「神への愛で心がいっぱいである」と。このような純粋な心のバクティを育てる道が、一つの道として確立していったと。これが今の流れでいったら分かるように、お釈迦様の時代より遥かに後だね。
 でもこれも、ある意味表面的な歴史学なんです。うん。これが真実かどうかは分かりません。つまり確かにインドの中で、バクティヨーガというのが力を持ち、教団化し、発展したのはかなり後なのかもしれないけども、でもその芽みたいなものっていうか、おおもとのものっていうのは、もっともっと前からあって当然おかしくないっていうかな。うん。それは全く分からないんだね。クリシュナとかラーマも、当然そのいろいろな学術的な話ではね、モデルとなる人物は実在したっていわれている。でもそれも学術的な言い方であって。「いや、モデルじゃなくて、そもそもいた」っていう発想もあるわけですね(笑)。信仰的に考えると「いやモデルとかいうんじゃなくて」――例えばね、クリシュナっていうのは、こういうふうに言われています。クリシュナは実際にヴリンダーヴァンっていうかあの付近で、バクティの教えを説いたクリシュナっていう存在がいたといわれていると。うん。で、それがのちに死んだ後に神格化されて、あのように神の化身と言われるようになったんだ、みたいな、もっともらしい説明がある。あるいはクリシュナって、今言ったヴリンダーヴァンでの笛を吹く童子としてのクリシュナ、それから『マハーバーラタ』とかに出てくるドワーラカーっていう土地の王としてのクリシュナ、あるいは中間のマトゥラーという土地でのクリシュナ――っていうさまざまな様相のクリシュナがあるわけですけども、これもその当時――その当時っていうか、大昔に実際に存在した、ちょっとカリスマ的な人物が何人かいて、その人達をひっくるめて全部クリシュナにしちゃった、みたいなことを言う人もいるんだね。うん。だからもう一回言うけども、それくらいの昔の歴史になっちゃうと、実際にはよく分かっていないことが多過ぎるんだけど、現代人っていうのは、いくつかの非常に小さな証拠によってね、なんとかこうまとめちゃいたがるから、それによってなぜか、それが事実のような感じでこう、教えとして説かれてしまうっていうかな、あるいは本とかに載ってしまうので、それはちょっとわれわれは柔軟な発想で見なきゃいけない。
 じゃなくて、信仰的に言うならばね、あるいはバクティの人達はもちろんそうは思っていない。そうじゃなくて本当に、お釈迦様のさらに前の化身としてクリシュナという方はいらっしゃったし、さらにその前にはラーマという王がいらっしゃって、あのような物語が実際にあったんだと。そのようにバクティの人は見てるね。いいですか?

(S)あ、はい。もう一つ質問してもいいですか?

 うん。

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