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密教の教え


2008.09.07 解説・ナーローの六ヨーガ①

◎密教の教え

 はい、今日は「ナーローの六ヨーガ」ですね。「ナーローの六ヨーガ」っていうか、今日はおそらくこの加行、つまり準備段階の教えでほとんど終わってしまうと思います。しかも、多分ちょっと言葉の説明とかがかなり時間とっちゃうんで、あまり進まないと思います。最初のね、準備修行の最初の方で終わるかもしれません。
 はい、まずこのナーローの六ヨーガ、これについてちょっと説明すると、これは仏教の中の密教的な修行だね。仏教っていうのは、みなさん知っての通り、ある時期から――つまりお釈迦様が教えを説いて、それからお釈迦様の死後、教団がどんどんこう分裂していくわけですが、その中で大乗仏教っていうのが現われます。つまり、単純にそれまでお釈迦様が説いた教えを守っていくだけではなくて、人々の救済のために、あるいはより深い悟りのために、新たな教えを展開していったわけですね。
 しかしこの大乗仏教っていうのは、理論は素晴らしいんだが、実践面がちょっと追いついていなかった。その大乗仏教の実践面を補うものとして、密教が現われるんですね。
 この密教っていうのは、実際は、いわゆるヒンドゥー教の、つまりヨーガ的な流れとお互い影響を与えながら進んでいくんだね。最期の方は密教の行者っていうのは、仏教の密教の行者も、あるいはヒンドゥー教の密教行者ね、これも区別がつかないような感じになっていく。非常に似た感じになるんだね。
 ただ仏教側の言い分としては、「いや、われわれはヒンドゥー教の密教とは違うんだ」と。それは何が違うかというと、菩提心があるんだと、そういうふうに仏教はいうわけだけど。ただもちろんヒンドゥー教にも菩提心というかバクティ・ヨーガ的な、神を愛し、すべての衆生を愛するっていうのはあるから、もちろんね。だから本質的にはあんまり変わらないんだね。体系が違うだけで。
 その密教の中から、この六ヨーガっていう教えが生まれていきます。これはチベットのカギュー派に伝わる教えだね。

◎古派と新訳派

 チベットの流派っていうのは、これは前にもちょっとやったけど、ちょっとみなさんの知識的な意味でね、もう一回復習すると、インドで発達していった、発展していった仏教がチベットに伝わっていくわけですね。その中で、流派が生まれていきます。チベットに仏教が来たのは、細かく言うといろいろあるけど、大きく分けると二期、二つの時期に分けられます。
 一番最初にチベットに仏教が入ってきた時――これは有名な、例えばパドマサンバヴァとか、その他何人かのインドの成就者および学者たちがチベットにやってきました。ここでいったんチベットで仏教っていうのがとても盛り上がる。しかし、歴史がグーッと立つうちに、ある時期に――このパドマサンバヴァとかが来たときっていうのは、王様がね、とても仏教を愛してたんで、インドから仏教を呼んで、逆にチベットにはボン教とかポン教とか呼ばれる、まあ日本の神道みたいなやつだね、日本の神道みたいな土着の教えがあったんだけど、仏教が入ってきたんで、このボン経とかがちょっと潰されるような感じになって、で、仏教がしばらく中心的な宗教としてあったんだけど。王様が替わって、ある時期の王様が逆に仏教を弾圧し出したんですね。仏教なんてあんなのは間違いだと。このボン教の方が正しいんだっていって仏教を弾圧して、一時期仏教がちょっと駄目な時代、弾圧されながら細々とやってた時代があったんだね。
 しかしその後、また仏教が認められ出す時代がやってきた。しかしこの仏教が認められ出した時代に、この古い、かなり昔にチベットに入ってきた仏教っていうのは、まあもちろん素晴らしいところもあったんだけど、かなり昔に入ってきたやつだし、それからずーっとチベットの中でね、いろんな、ボン教と混ざったりとか、いろんな解釈の間違いとかもあって、ちょっと本来のインドの仏教と違うんじゃないかっていう考えも出てきた。そこで、この第二期。仏教が盛り上がる第二番目の時期に、いろんな人がインドに出かけてね、しっかりとした正しい教えを持って帰ろうといって、持って帰ってきたわけだね。
 だから大きくこう二期に分かれるわけだけど、この古いタイプの、つまり古い時代に入ってきて、いろんなボン教とかの影響も受けながらぐーっと続いてきた仏教を守っている人たちをニンマ派っていいます。ニンマね。聞いたことあると思うけど。
 ニンマ派で有名なのはゾクチェンっていう教えですね。ゾクチェンっていう教えがとても有名ですが。ニンマ派。
 それに対して正統的に、インドからできるだけ――つまり原理主義っていうかな、本当ににインドで正統派といわれるものを持ってきて、チベットでやりましょうっていう人たちを、新訳派といいます。新訳派ね。
 だから大きく分けるとこのニンマ派――ニンマ派っていうのはこれは古い派っていう意味だね。古いニンマ派と、新しい新訳派の二つに分かれる。で、この新訳派がさらに三つに分かれるわけだね。それがゲルク派とサキャ派とカギュー派。この三つですね。
 だから大きく分けると、時代的な流れでいうと、この二つに大きく分けられる。古いニンマ派と新しいこの三つの派。まずニンマ派は今ので分かったと思うけど、まず古い、パドマサンバヴァとか偉大な大聖者が大昔にチベットにやってきて、それを受け継いできた派だね。

◎実践的な派

 新訳派の方は、まずゲルク派。これはダライ・ラマとかも所属する派ですが、このゲルク派っていうのは――あまり細かく言うと時間がなくなるので簡単に言うけども――アティーシャとかツォンカパといった人たちが重要なポイントになるんですが、このアティーシャとかツォンカパとかの特徴は、戒律主義、そして正統な教学主義だね。つまりどういうことかというと、そのころチベットは乱れていた。乱れていたっていうのは、特にその密教的なものがチベットに入ってったわけだけど、密教っていうのはちょっと読み方を間違うと、まあ何でもありみたいになっちゃうんだね。つまり修行のためにはセックスもあり、酒もOK。あるいは、場合によっては敵を呪い殺してもいいと。実際にそういう教えもたくさんある。それは実際は非常に深い意味があって、しかもそういうちょっとこう常識を超えたような教えっていうのは、ある程度の聖者っていうかな、煩悩を超えた段階でないとやっちゃいけないんだけど、多くの人が自分の煩悩を満たすためにね、その密教の教えを間違って理解して、ちょっとこう収拾がつかない状態になってた。つまり、すごい煩悩まみれの人が「おれは密教徒だ」って言って、いろいろ煩悩をいっぱいやって、「おれは修行してるんだ」みたいな感じになってた。
 でもそれはある意味、しょうがないといえばしょうがなかった。っていうのは、多くのチベットの民衆は無智だったから。本当の仏教ってよく知らなかった。
 もちろん、何度も言うけど、ニンマ派の中にもとても素晴らしい教えは受け継がれてるんですよ。ニンマ派が全部駄目なわけじゃなくて。ニンマ派っていうのは、さっきからの説明で分かると思うけど、最初は別に組織じゃないんです。ただ昔からある、チベット全体に広まってる古いタイプの仏教をニンマ派っていってたんです。でもだんだんそれではちょっとまずいんじゃないかっていう感じで、ニンマ派もだんだん組織的になっていきます。で、組織的になってからのニンマ派は、もちろんちゃんとした戒律もあって、しっかりと道筋がたってるんだけど、それ以前っていうのはちょっと収集がつかなかった。
 そこで、さっき言ったアティーシャとかツォンカパとかっていう人たちは、ビシッとこれが正統派だっていう教えを持ち込んで、で、戒律をビシッと定めて、非常に厳格に、まあある意味厳格過ぎるぐらい、ある意味ちょっと観念的過ぎるぐらいに、これはこうしなきゃいけない、このときは絶対こうしなきゃいけないっていうのをビシビシ定めたんだね。
 つまりちょうど原始仏教みたいな感じだね。原始仏教的な感じで、教えの教学と、それから戒律をしっかり守ること。これを教えの中心に置いた。修行の中心に置いた。で、そこから論理学みたいなのがすごく発展した。これがゲルク派ですね。
 このサキャ派も非常に似たところがある。ただサキャ派はちょっとね、あんまり日本では有名じゃないので、あまり情報がないんだけど。サキャ派はサキャ・パンディタっていう聖者がいたんだけど。このサキャ派も論理的なんだね、非常にね。非常に教えを論理的に追い求める人だったんだね、このサキャ・パンディタっていう人がね。
 で、逆にこのサキャ・パンディタっていう人はこのカギュー派とかニンマ派を非常に批判したりもする。何でかっていうと、それが今から言うことですが、カギュー派は非常に実践的なんです。もちろんカギュー派も教えとか戒律は重んじるんだけど、それ以上に瞑想とかあるいは実際の修行を重んじたんだね。で、その内容的にはニンマ派と近い。ニンマ派も細かい論理的な教えの追及とかよりも、実践を重んじてる。だから非常に大きく分けるとですよ、大きく分けると、ゲルク派とサキャ派は非常に似ている。で、カギュー派とニンマ派も似ている。だからよくそのカギュー派とニンマ派を両方やって、ニンマ・カギューとかいう言葉もあるんだけど、非常に内容的には似てるんだね。
 ただ体系は違います。何度も言うけども、ニンマ派は非常に古い時代に入ってきた教えが、チベットの中で成熟されたものですね。カギュー派はどちらかというとインド正統的な密教が入ってきてる。つまり実践主義っていうことは、さあ、いかに本当に成就するか、さあ、いかに本当にこの聖なる世界を悟るのかっていうところに重点が置かれてる。
 もちろんそれは、みんなその本当の悟りを目指してるのは当たり前なんだけど、理論追求よりも実践追求の側面が強いということですね。

◎エネルギー的なヨーガ

 はい、そして、それぞれにいろんな中心的な教えがある。もちろん、密教とか仏教っていうのは、おおまかにはやってることはみんな同じです。おおまかには同じだけど、ただ中心点が違うんだね。それは分かると思うけど、例えばヨーガっていう意味では同じだけど、日本でヨーガ教室いっぱいあるけど、いろんなヨーガがある。で、その中でも例えば本格的な――例えばここみたいに本格的なヨーガをやってるところも、もちろんいくつかある。でもどういうところに中心点を置いて、どういう体系をやってるかっていうのは、やっぱりそれぞれ違うよね、流派によって。だからそれぞれちょっとこう違いがある。
 で、カギュー派に伝わってるのが、カギュー派的なやり方が、今日勉強する六ヨーガ。もう一つはマハームドラーっていう教えなんだね。
 カギュー派の教えの二つの柱をいうならば、この六ヨーガとマハームドラーです。で、今日学ぶ六ヨーガというのは、これは生理学的っていうかエネルギー的なヨーガですね。非常に物理的な、エネルギー的なヨーガの世界です。で、マハームドラーっていうのは、今度は逆に精神的な――つまり、心の本質を直接悟る――みたいなヨーガです。
 この二つの道っていうのは、実際は他の派も同じようなこの二つの柱があるんですね。例えばニンマ派の場合、このマハームドラーにあたるのがゾクチェン。つまりニンマ派はニンマ派のやり方で、マハームドラーみたいに心の本質にアクセスしようとする。で、この六ヨーガみたいなのもニンマ派にあるんです。六ヨーガっていう名前じゃないんだけど、そういうエネルギー的なものもニンマ派にはある。で、他の派にもあるんだね。でも一番体系としてまとまってるのが、六ヨーガなんです。
 今回学ぶこのテキストも、これは実はこれを――この元ネタっていうかな、元のものを書いたのはゲルク派のツォンカパなんです。つまりどういうことかというと、この時代――元の資料を見るとね、ツォンカパっていうのは、例えばカギュー派の開祖であるマルパとかに比べると、もうちょっと新しい人なんだけど、この時代、つまりツォンカパがいる時代、すでにですよ、すでにこのカギュー派の六ヨーガも失われつつあったっていうんだね。つまり、もう時代がちょっとこう堕落してきて、以前に比べて六ヨーガも正しく伝承されなくなってきたと。で、それを憂いて、ちょっと派は違うんだけど、派は違うんだけど何でこのゲルク派のツォンカパが六ヨーガの経典を書いたのかっていうと、つまりそれだけ六ヨーガがチベットに宗派問わず浸透してたんです。一応カギュー派の中心的な教えなんだけど、あんまり派とか関係なく、六ヨーガの教えっていうのは非常に重宝されてたんだね。そこでツォンカパが、自分なりに六ヨーガをまとめたテキストなんですね。それをさらにわたしがちょっとまたまとめ直してますけど。それが今回学ぶものですね。

◎ティロー、ナーロー、マルパ

 はい、そして、このもともとの六ヨーガの話をすると、これはカギュー派の流れでまず、ずーっと元をたどると、インドのティローっていう人がいるんだね。まあよくティローパとかもいわれるけど。「パ」っていうのはすごくチベット的な言い方で、男性とかによくつけるのが「パ」っていうんだね。だから例えばティローっていう人にチベット的にティローパ。例えばだからM君だったら――名前、ヒロユキだっけ?

(M)はい。

 ――ヒロユキパ(笑)。

(一同笑)

 逆に女性は「マ」とか「モ」とかつけるね。例えばミチコマとかね、そういう感じ。ヒロコマとか、そういう感じだね(笑)。で、男は「パ」とつける、伝統というかな、そういう習慣で、ミラレーパとかマルパとかみんなそうだけど。「パ」をつけるただ習慣なだけなんで、本来はティローっていいます。
 このティロー、ティローパっていう人が、この人は伝説的なインドの大成就者なんだけど、このティローっていう人はすごく伝説が多くて、本当にもう一説によると「仏陀から直接教えを受けた」とまでいわれるほどの伝説的な人なんだけど。この人がいろんな師から受けた教え、いろんなその当時の密教的技法をいっぱい持っていて、それを弟子のナーローに伝えるんですね。このナーローもチベットではナーローパと普通いわれてますけども、ナーローね。ティローがナーローに伝えました。で、ナーローもそれでいろんな教えを学んで、で、そこでさっきのチベットからマルパっていう男が、インドに教えを学びにやってきた。

◎6ヨーガとマハームドラー

 このね、ナーローっていう人、どういう人かっていうと、もともとはインド最大の仏教寺院であるナーランダーっていうのがあって、で、このナーランダーの最高の大学者といわれてたんだね。つまりその当時は僧院があって――つまりお寺ですね。お寺があって、で、そのお寺っていうのはお坊さんが何百人も、何百人か何千人か分かんないけど、その広いところに一緒に住んで修行しながら、主に学問の研鑚を行なってたんだね。学問を学びながら、瞑想したりしながら、信者の布施を受けて暮らしてる。そういう大僧院があったんですね。だからこの当時の仏教っていうのは、学問仏教的な要素がすごく強かった。ナーローもその大学っていうか僧院に入って、もうその僧院の中で比べる者のない、一番の大学者といわれるほどの――まあ現代的にいうと教授だね。教授みたいな感じ。大教授みたいな感じになったんですね。
 しかし、まあ聞いたことあると思うけど、聞いたことあるっていうか今回出た『聖者の生涯』とかにも載ってるけども、その座を捨てて、つまりダーキニーからの告知を受けて、ただ文字ばかりを追いかけていても真の悟りは開けないと気づいたナーローは、自分と縁のある真のグルであるティローを探しに出かける。
 それまで、もうみんなから、本当にあの人は一番仏教を知ってるんじゃないかっていわれるほどの名誉と地位を得ていたのをすべて捨てて、逆に言うとみんなから非難されながら、密教行者として、お寺を去って、森とかで修行し始めるんだね。
 で、マルパだけじゃなくて、さっきも言ったようにチベットから多くの人がインドに教えを学びに行ったんだけど、ほとんどはこういう僧院に行ってるんです。それは当たり前だよね。チベットのよく仏教を知らない人が「仏教を学びに行きます」って言って、で、例えばね、ナーランダーっていうのはあの有名な三蔵法師も行っています。孫悟空の三蔵法師ね。西遊記っていうのは、悟空とか八戒とかあれはもちろん作り話だけど、三蔵法師ね、玄奘三蔵法師がインドにお経を取りにいったっていうのは本当の話ですね。お経を取りにいったっていうよりも、留学しに行ったんだね。中国からインドに留学して、その今言ったナーランダーっていう最大の僧院に入って、そこで数年間仏教を学んで、で、お経をいっぱい持って中国に帰ってきた。だからそういう諸外国からインドにやってきた人たちが学ぶ、一番のネームバリューのある仏教僧院、それがナーランダーだったんだね。だから、そのナーランダーであるかどうかは別にして、チベットから行った人の多くは僧院に行って、有名な教授とかに教えを学んでた。
 しかしマルパは、ちょっと運命が違ったんだね。マルパは、チベットって寒いからインドに行くにはちょっとあまりにも気温の差が激しいので、つまりずーっとチベットの寒いとこで育った人が、いきなり暑いインドに行ったら病気になるって思われてた。だからいったんちょっとクッションを置こうっていうことで、いったんネパールでしばらく過ごすんですね。で、ネパールで会ったある修行者がいて、で、この修行者が実はナーローの弟子だったんだね。で、その修行者がマルパに熱心に勧めるわけだね。あなた、本当に真理を悟りたいんだったら、ナーローのもとに行けと。そこでマルパはそれを信用して、普通の人と違うルートをたどって、つまり僧院とかに行かないで、森の中でなんかおかしな格好――どくろとかを首からさげて、虎の皮を巻いて、なんか密教修行をしてるナーローのもとに行ったんです。
 で、ここでナーローから多くの教えを学ぶんですね。それがさっき言った、この六ヨーガとマハームドラーに代表される教えなんです。それを、みんなもよく知ってるミラレーパにマルパはすべて伝え、で、ミラレーパがその弟子のガンポパに伝えた。
 いつも出てくるけど、ガンポパがすごく現実的っていうか理性的っていうか合理的な人で、そういった教えをしっかりと経典にまとめたり、あるいは教団を組織したりして、さっき言ったカギュー派の体系を作り上げていったんだね。
 はい、これがカギュー派の流れね。で、このカギュー派に、このティローからずーっと伝わってきたのが、さっき言った六ヨーガとマハームドラーですと。
 もう一回言うけども、マハームドラーっていうのは、心の本質をいかに直接悟るか、みたいな教えだね。そうじゃなくて六ヨーガっていうのは、これはわれわれがやってるクンダリニー・ヨーガとか、あるいは仙道の修行とかに非常に近い。エネルギーによってわれわれのチャクラであるとか、あるいはいろんな精神、神経組織を覚醒させて、物理的な方法で解脱に向かう道ですね。
 だからまあ言ってみれば両方必要なわけです。物理的なエネルギーで解脱する道と、それから心の本質を悟る道ね。この両方が相補う形で進んでいきますと。
 はい、ちょっと前置きが長かったですが、その六ヨーガの教えですね、今日は。

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