yoga school kailas

ヨーガの種類と意味

 現代では様々な種類のヨーガが流行っていますが、欧米や日本で流行っているアーサナ中心のヨーガはほとんどすべて、実際にはハタヨーガの初歩段階に属します。

 インドにおける本源的なヨーガは、分類するならば四つくらいになるでしょう。

1.クンダリニーヨーガ(ハタヨーガ、タントラヨーガ、密教)

2.バクティヨーガ(カルマヨーガ、浄土系仏教)

3.ジュニャーナヨーガ(ヴェーダーンタ、仏教)

4.集中のヨーガ(アシュターンガヨーガ、仏教、マハームドラー、ゾクチェン、禅)

 アシュターンガヨーガというのは、現代で流行っているアーサナ中心のものではなく、いわゆるヨーガスートラの八段階のヨーガです。
 現代で流行っているアシュタンガヨーガやその他のアーサナ中心のヨーガは系統としてはハタヨーガに属するので、本来のアシュターンガヨーガとは関係がないというか、狙いや系統が違ってきます。
 その本来のアシュターンガヨーガはラージャヨーガといってもいいのですが、実際にはヨーガスートラのアシュターンガヨーガをラージャヨーガといっていいのかどうかは議論の余地が残るところです。ヴィヴェーカーナンダなどがそういう言葉の使い方をして、現代ではヨーガスートラのアシュターンガヨーガ=ラージャヨーガと呼ぶのが通例となっていますが(私もヨーガスートラの解説本に『ラージャヨーガ』というタイトルをつけたましたが笑)、実際には例えばハタヨーガの経典などに出てくるラージャヨーガという言葉は、ヨーガスートラ系のヨーガとは違うものを指していると思われます。

 まあそれはいいとして、今回書きたかったのは、ラーマクリシュナが言うように、真理は一つ。しかしそのどの部分に着目するかによって、これら四つのヨーガのシステムが成立しているということです。

 たとえばこの宇宙には至高者(バガヴァーン)お一人しかおらず、すべては至高者の御心によって成り立っています。この真理は、誰にとっても同じ、普遍の真理です。しかしこの部分に強く着目し、神への愛と帰依によって自己を滅し、いかに神にすべてを「おまかせ」できるかに集中するのが、バクティヨーガ系の道になります。

 たとえばどんな修行をしても、正しく行えば、クンダリニーは覚醒し、アムリタ(甘露)が発生し、気道は浄化され、チャクラは目覚め、それに伴う多くの神秘的な経験が始まります。これはどのヨーガでもそうなるのですが、このクンダリニーや気道等の物理的なシステムそのものに着目し、それらを直接コントロールしようとしているのがクンダリニーヨーガ系の道です。
 
 あるいは、我々は実は、この瞬間も、ヨーガ的にいえば真我であり、完璧な存在です。それは過去から変わっていないし、未来においても変わることはありません。これも、誰にとっても普遍的な真実です。
 とはいえ我々はそれを忘れているということに問題があるわけですが、バクティヨーガのやり方でも、クンダリニーヨーガのやり方でも、最終的にはこの自分の本性に気づくことができます。しかしその最後の答えを最初から提示し、それにいかに気づこうかとするのが、3番目と4番目の道ですね。
 真我は知的分析によっては気づくことはできません。しかし真我以外のものを知的分析によって否定していくことによって、結果的に真我に気づくことはできます。これがジュニャーナヨーガや一部の仏教のやり方ですね。
 そうではなくて、我々は本来は目覚めた真我であるので、散らばっている心を一つに集めて心の本質に集中しさえすれば、おのずと自己の本性を悟ることができるというのが、本来のアシュターンガヨーガや、仏教のゾクチェン、マハームドラー、禅などの道ですね。
 ただこの3と4の道は、実際にはとても難しいといえます。なぜなら、われわれの心はあまりにもこの世界の真我以外のものに結び付けられているからです。口で「私は最初から完璧である」「ありのままであればいい」などと言うだけでは、現実的には何も変わりません。ですからこの道で本当に結果を出そうと思ったら、徹底的な現世放棄が必要になります。

 また、クンダリニーヨーガ系の道は、バクティヨーガと相性がいいというか、実際にはバクティヨーガがないとクンダリニーヨーガ系は難しいです。つまり上からいただく恩寵のエネルギーがないと、実際には自分のエネルギーだけですべてを突破するのはなかなか難しいからです。

 結論としては、特に現代においては、やはりこれらを総合的に進めるのがいいですね。

 もう一つ付け加えるならば、ボーディサットヴァヨーガ、いわゆる菩薩道ですね。この道においては他者への愛、慈悲というものに着目することで、豊かな心を作り、エゴを滅し、自他を超えた本質を悟っていきます。

 これらを総合的に進めることで、多くの人々が、美容や健康などのもう少し先にあるヨーガの本質に少しでも触れ、ヨーガという道に出会ったという稀有なる奇跡を本当に価値あるものにすることができることを願ってやみません。

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