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「プルナ・チャンドラ・ゴーシュ」(1)

プルナ・チャンドラ・ゴーシュの生涯

 多くの人々は、アヴァターラや偉大な魂にとって、世俗の事柄について聞いたり話したりすることがどのくらい困難なことか、想像もできないでしょう。彼らの中には、世俗の事を耳にしたならば、実際に体に痛みを生じる者さえいるのです。
 このため、これらの偉大な魂たちは、自分の気持ちや経験を理解し合える霊性の精神を持った仲間を待ちわびています。シュリー・ラーマクリッシュナは、彼の生涯の中で神を実現してから愛する直弟子たちに会うまで、実に23年間も待たなければなりませんでした。

 シュリ・ラーマクリシュナは、のちにこの苦しみについて、何人かの弟子たちにこう話しました。

「おまえたち全員に会うことを、どんなに待ちわびていたことか!
 例えて言えば、魂が一切れの濡れタオルのように絞られていた感じで、痛みで狂いそうだった。泣きたい気持ちだったが、騒ぎ立ててしまわないように、そうすることができなかったのだよ。
 どうにかその感情をおさえこんだのだが、一日が終わって夕方、マーとヴィシュヌの寺院から祈りの賛歌が聞こえてくると、もう我慢できずに『また一日が終わってしまった。まだ彼らは来ていない。』と思ったものだ。
 そして私は家の屋根によじ登り、大声で君たちを呼んだ。

『ああ、私の子供たちよ! どこにいるのだね?
 早く来ておくれ。』

 私は気が狂いそうだった。そして、長い間待ってやっと一人ずつ現れ始め、ようやく私はなだめられた。以前からおまえたちのことは見ていたから、一人一人来た時にはすぐに分ったよ。」

 そして、プルナが来たとき、マーはラーマクリシュナにこう言いました。

「あなたがヴィジョンで見たすべての者たちが揃いました。これ以上の仲間は将来現れません。」(プルナという名前は、「完全」、「満たされた」という意味。)
 
 プルナ・チャンドラ・ゴーシュは、カルマの束縛から永遠に解放され、人類に必要な時に自らの意志で降誕する偉大な魂を持つイーシュワラであると師ラーマクリシュナが呼んだ6人の直弟子の中の一人でした。他の5人のイーシュワラは、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、ブラフマーナンダ、プレーマーナンダ、そしてヨーガーナンダとニランジャナーナンダでした。
 プルナは出家僧にはなりませんでしたが、彼の霊性については、ラーマクリシュナの多くの信者たちから尊敬を集めていました。

 ラーマクリシュナは、プルナの本性について、よくこう語っていました。

「プルナはナーラーヤナの一部で、高いサットヴァ性を示す優れた魂の持ち主だ。」

 この側面において、プルナはナレンドラ(ヴィヴェーカーナンダ)の一つ下の地位を占めていたと言われています。

「プルナは、ヴィシュヌ神の要素を持っている。私は彼にベルの葉を捧げ、心をこめて礼拝したが、それは受け取ってもらえなかった。次にトゥルシーの葉とサンダルペーストを供えて礼拝したら、それらは受け取っていただけたのだ。」
(ベルの木の葉はシヴァ神への捧げ物。トゥルシーの葉とサンダルの粉はヴィシュヌ神への捧げ物。)

 プルナは、1871年の終わりか1872年の初めに、北カルカッタの裕福な家庭に生まれました。プルナの父、ライ・バハダー・ダイナナス・ゴーシュは、インド政府の金融庁の高官でした。プルナの母、クリシュナマニニは、ラーマクリシュナの信者であったバララーム・ボースの親戚でした。
 プルナは、イーシュワラ・チャンドラ・ヴィッダシャーゴルによって設立されたメトロポリタン・インスティテューションのシャムバザール校の生徒でした。この学校の校長は、「ラーマクリシュナの福音」を書いたMでした。Mは、プルナの卓越した輝く瞳と、よい気質、たくましい肉体と、愛らしく気品の漂うふるまいを見て、彼には霊的な傾向があると思いました。 Mはプルナを気に入り、いくつかの霊性の教えを与え、ベンガル語で書かれたシュリー・チャイタニヤの伝記、「シュリー・シュリー・チャイタニヤ・チャリタムリタ」のコピーを貸しました。その男の子は大変な好奇心を持ってその本を読み、チャイタニヤの人生と教えに深く感銘を受けました。

 1885年3月のある日、Mはプルナに尋ねました。

「シュリー・チャイタニヤのような聖者に会ってみたいか?」

 プルナはすぐに「はい」と答えました。そのとき彼はまだ13歳で、8年生(中学2年生)でした。
 プルナの親戚たちは、プルナがラーマクリシュナに会うことをよく思っていませんでした。彼らは上流階級だったため、プルナに普通の寺院の司祭を訪れ、関係を持ってほしくなかったのです。また、親戚たちはプルナを厳格にしつけていました。このためMは、プルナをラーマクリシュナに会わせる計画を、学校の授業時間内に密かに遂行しなければいけませんでした。そしてある日、Mは馬車を雇い、プルナを連れて学校を発ち、ドッキネッショルへと向かったのです。

 師ラーマクリッシュナは、プルナを見るとすぐに彼の神性に気づき、身内に属する者としてプルナを扱いました。愛に満ち溢れた母親のように、師は自らの手でプルナに食べ物を食べさせ、いくつかの霊性の教えを与えました。プルナはその事に圧倒され、そこを離れたくないと思いました。しかしMは、学校が終わる時刻になる前に戻らなければならないとプルナに告げました。師はプルナにこう言いました。

「機会があったらまたいつでも来なさい。ここからの馬車代は出してあげるから。」

 霊性の生活には、たくさんの障害と落とし穴があります。しかしそれらさえも、求道者にとっては、切望感と決意を増幅させ、神との絆を深める良きチャンスに変わってしまうのです。このような諺があります。――「愛は邪魔者によって増大される。」――それはプルナについても当てはまりました。プルナはラーマクリシュナにもう一度お会いしたいと願っていましたが、両親に見つかってしまうのではないかと恐れていました。その間、シュリー・ラーマクリシュナのハートは、プルナを求めて張り裂けんばかりでした。師は何人かの信者たちを遣わして、甘いお菓子や果物、その他の物を、プルナに密かに渡していました。
 ある日、シュリ・ラーマクリシュナは、信者たちの前でプルナについてひどく泣き、こう言いました。

「私がプルナにこんなにも会いたがっているのを見て驚いているだろう。最初にナレンドラに会った時、私のハートの内にあった切望感がどれほどのものだったか、そしてその時どんなに落ち着かなかったことか、想像もつくまい。」

 シュリー・ラーマクリシュナは、プルナに会いたい時には、きまって正午にカルカッタ行き、プルナの学校の近くにあるバララームの家か、他の信者の家で、彼を待っていました。そして学校が終わると、師は誰かを遣わしてプルナを連れてこさせました。
 このようにして、プルナの師との2度目の再会は、バララームの家で実現しました。師はプルナに尋ねました。

「私のことをどう思うかね?」

 プルナは深い愛に満ち、ためらいもなくこのように答えました。

「あなたは神ご自身です。あなたは地上にある肉と血の中に降りてこられたのです。」

 この答えにシュリ・ラーマクリシュナはとても喜びました。師はプルナを心から祝福し、マントラと一緒にいくつかの秘密の霊性の教えを与えました。
 ドッキネッショルに戻ると、シュリー・ラーマクリシュナは弟子たちに言いました。

「ああ、プルナは稀にみる少年だ。
 彼の智性はまだ成熟していない。しかし、どうして私が神の化身だということが分かったのだろう?
 神聖な思いに駆られて、以前にも同じように答えた者も何人かいた。それは明らかに、前生の間に蓄積された良い印象があるからで、色あせることのないその真実の絵が、彼らの純粋なサットヴァの心に瞬時によみがえったのだ。」

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