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スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(40)

                          1915年6月3日
                          アルモラにて

 親愛なるXへ

 あなたの手紙に対して数行で答えて欲しいと書いていましたね。チャイタニヤの弟子のルーパ・ゴースワーミーは、彼の弟のサナータンにサンスクリット語のアルファベットのヤ・・・リ、ラ・・・ラ、イ・・・ラム、ナ・・・ヤからなる四組の文字を含んだ手紙をブラーミンを通じて送りました。

 ヤドゥパテー・クヴァ・ガタ・マトゥラープリ
 ラグパテー・クヴァ・ガトッタラコーサラ
 イティ・ヴィチンチャ・クル・スヴァマナー・スティラーム
 ナ・サディダム・ジャガト・イティ・アヴァダーラーヤ

 この手紙が解読されたとき、このような意味だと分かりました。
 
 クリシュナが住んでおられたあのマトゥラーの都市は、今どこにあるのか?
 ラーマが統治されたアヨーディヤは、今どこにあるのか? 
 このことを深く考えながら、あなたの心を堅固にしなさい。
 このことをしっかりと理解しなさい。この世界は実在ではありません。
                            
 サナータンにとって、彼の兄が伝えようとしていることを理解するのにこれらのヒントで十分でした。なぜなら、サナータンは世俗的な喜びに夢中になっていて、識別の感覚をすべて失くしていたからです。しかし、あなたの場合は違います。あなたはこの世界での人生は子供の遊びのようなものであり、そこに何の実体もないとはっきりと知っています。神のみが実在あると。そしてあなたは、神を礼拝することが人の唯一の義務であるということを、彼の恩寵を通じて知っています。だからあなたには、「この世界は実在ではありません」と言う必要はないのです。
 あなたは、クリシュナがギーターの中で強くおっしゃられたことを十分に知っています。
「無常であり、悲苦に満ちたこの世では、ただ私を礼拝するがいい。」[第九章、三十三節]

 わたしはあなたがギーターの以下の教えを十分に実践できないことを悔やんでいる理由がよく分かります。

「そこで人は一大決心をし、無執着の斧を振り上げて、この頑強な根を持つ樹を切り倒し、そこから二度とは戻って来ないような最終境地を目指して進んでいかねばならぬ。」[第十五章、三、四節] 

 われわれはラームプラサードやカマラカーンタのような偉大な魂の歌を通じて、過去の時代において多くの献身者たちがあなたのように感じていたのを知ることができます。しかし、われわれは彼らが繰り返しこう歌っているのも見出します。

「母なる神があなたをどこに置いてくださろうとも、それはあなたのためなのです。」

 彼らはあらゆる状況下で母なる神を思い出してほしいだけなのです。

 師はよくこう歌っておられました。

 母なる神カーリーよ、あなたがわたしをどのように置かれようとも
 ――灰を塗りつけようとも、黄金や宝石で飾り立てようとも、
 木の下で住もうと、王座に座ろうとも――
 私があなたを忘れないなら、それはすべて良いことなのです。

 師はこうおっしゃっていました。

「母猫は子猫をあるときは灰だまりに、またあるときは座布団の上に置くが、子猫は“ミュウ、ミュウ”と声を出す以外は何も言わない。」

 さらに彼はこうおっしゃいました。

「母猫は、子猫を置くべき良い場所を知っているのだ。」 
 
 彼女は全智の御方で、われわれのためになることをすべて知っておられるのです。

 真の献身者は何も求めません。たとえ彼らが五つの解脱――神の住まいに住むことや神の力を得ることといったようなもの――を差し出されても、けっして何も受け取りません。[バーガヴァタム、第三巻、第二十九章、十三節] 
 反対に、彼らは主に仕える特権だけを求めるのです。あなたはこのことをとてもよく知っています。
 われわれの師は、罪という言葉に耐えることがおできになりませんでした。彼は人びとに、自分自身を罪人と見なすことを強く禁じられました。むしろ彼はこうおっしゃいました。
「私は神の御名を唱えているのだ。なぜ心配する必要があろうか? 宇宙の母なる神の息子である私が、誰を恐れようか?」

 あなたはその通りだと言ってましたね。もし母なる神がお望みなら、彼女は一瞬ですべてのものを消滅させ、新たなものをすべて作り出すことができます。彼女にできないことは一切なく――これまでもそうしてきましたし、今もそうし続けています。あなたはハートの奥底からこれを経験しました。これは狂人の戯言ではなく、まさに真実です。
 一切のものは神のものです。彼は慈悲の大海であり、“理由”を超えています。彼は如意宝樹であり、われわれの過去、現在、そして未来なのです。なぜわれわれは、彼以外のあらゆるものをわれわれのものとして受け入れるのでしょうか。

「私は、すべての生類の中に真我として住んでいる。また、私は万象万物のはじめであり、中間であり、終わりである。」[ギーター、第十章、二十節] 

 このクリシュナの言葉は、われわれの保証、避難所、そして支えなのです。われわれはこう言えばいいのです――

「おお、主よ、あなたは一切の善であられ、われわれはあらゆる瞬間にその証拠を見出します。
 われわれに喜びをお与えください。われわれに悲しみをお与えください。――あなたのお望みのものを何でもお与えください。
 しかし、あなたは一切の善であられます。
 あなたは何をなさろうと、われわれをお見捨てになることはありません。――われわれはそのことを知っております。
 来てください。主よ、来てください。そしてわれわれのハートの内なるあなたを明らかにしてください。
 そしてきっと一切のことはうまく行くでしょう。」

 さあ、祈りましょう。われわれの心が神への思いに完全に浸れますように。もしわれわれが彼を忘れたとしても、彼がわれわれをお忘れになりませんように。彼がわれわれに識別と寂静をお授けくださいますように。
 聖典にはこう書かれています。
「強い識別を持つ者は、世俗の悲嘆に苦しむことはない」と。

                          あなたの
                          トゥリヤーナンダ

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