yoga school kailas

スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(28)



                             
[1913年8月]バドラ月25日
                             カンカルにて

 親愛なるXへ

 [1913年8月]バドラ月18日付けのあなたの手紙を受け取りました。
 あなたはわたしに、ギーターの真髄について教えてほしいと書いていましたね。多分あなたは、シュリー・ラーマクリシュナがギーターについて話しているのに気づいたのでしょう。
 師はこうおっしゃっていました。人が何度か“ギーター”という言葉を繰り返すなら、その意味が分かるだろう、と。つまり、“ギーター、ギーター、ギーター”と繰り返すなら、その音は“ターギー、ターギー、ターギー”と聞こえ、それは「放棄者」を意味します。つまり、ギーターの真髄とは放棄なのです。実際、ギーターを学んだあと、人は“神にすべてを明け渡すこと”がギーターの中心的な教えだと理解します。

 ある人は、ギーターのメッセージは、無執着の精神でスワダルマ[自己の本質的なダルマ]を果たし、神に行ないの果実を捧げることであると言います。
 わたしは、「もし人がそのようにできるなら、それ以上何が必要だろうか?」と思います。主ご自身が、ギーターの中でこうおっしゃっています。
「君が何をしようと、何を食べようと、何を供養しようと、何を人に与えようと、どんな修行苦行をしようと、クンティー妃の息子よ! すべてを私へのささげものとするがいい。」[第九章、二十七節]

 言い換えるなら、何ものも自分のために蓄えるな、ということです。しかしこれは簡単な課題でしょうか? それは自然に起こることではなく、そのために人は激しい努力をしなければいけません。
 しかし、落胆する必要はありません。主はこうおっしゃっています。
「幾多の誕生を繰り返した後、ついに至上の目的地に着くこととなる。」[ギーター、第六章、四十五節] 
 もし目的が今生で達成されなければ、それは次の生で達成されるでしょう。われわれはその目的を忘れなければいいだけなのです。修行は続けられるべきで、そしてある日必ず成功がやって来ます。人はその最後の生で聖なる資質[ダイヴィ・サムパト]を授けられ、彼のすべてのサンスカーラ[内的な傾向]は良くなり、そして必ず神を悟るでしょう。

 わたしの見解を言うなら、ギーターの要旨や本質は、自己を神に明け渡し、完全にエゴを消し去りなさい、ということです。完全に神の所有物になること――そして少なくとも自分自身やその他のものを頼りとしないこと――これがまさにギーターの中心的な教えです。どんなやり方であれ、人がこれを達成するなら、その人生は成し遂げられたものとなります。神は本当に慈悲深い御方です。もしわれわれが彼に頼ることができるなら、彼はわれわれに必要なことはすべてやってくださいます。
 クリシュナはギーターの中でこうおっしゃっています。
「私のバクタ(献身者)は決して滅びぬことを確信せよ。」[第九章、三十一節] 
 ギーターにはもう一つ、簡潔で力強い教えがあります。
「なぜなら、善を行なう人が悪道に落ちることは決してないからだ。」[第六章、四十節]

                         愛と最高の願いを込めて、
                         トゥリヤーナンダ

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする