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経行と思索と呼吸法

 お釈迦様の時代から、歩く修行(経行・・・「きんひん」または「きょうぎょう」)は、よく行なわれていたようで、原始仏典には、一日三回の経行修行が奨励されています。

 もちろん、ただだらだらと歩けばいいというわけではありません。まず肉体的には、背筋を伸ばし、肩の力を抜き、きびきびと歩くのがいいと思います。

 精神的には、念正智しながら歩くのが良いでしょう。念正智とは、「解説・入菩提行論」などにも書いているように、さまざまな意味がありますが、ここでの念正智とは、単に自分の肉体や感覚の観察ということではなく、仏陀や教えを念ずること、そして自分の心がそれらから外れていないかをチェックする作業(正智)が必要ではないかと思います。
 端的にいうと、出離の念・四無量心の念・帰依の念の三つが良いように思います。
 私の経験では、経行中というのは、非常に頭が澄んで、インスピレーションも沸き、思索もしやすくなるはずです。ですからこのような念、思索には向いているのです。

①出離の念
 我々をいわゆる欲界の輪廻に結びつける、食欲、性欲、怒り、物質欲、プライド、その他のもろもろの煩悩から心を引き離していく念ですね。
 自己の中にあるこれらの煩悩を思い起こし、それらのメリットとデメリットを分析し、捨てていく思索をします。

②四無量心の念
 ②-1 歩きながら、衆生の幸福を願い続けます。
 ②-2 歩きながら、衆生が苦しみから解放されることを願い続けます。
 ②-3 歩きながら、他者の長所を思い起こし、称賛の念を持ちます。
 ②-4 歩きながら、自己に生じている苦しみや喜びを思い起こし、それらに一切とらわれないという思索をし続けます。

③帰依の念
 仏陀、菩薩、神などに対する帰依の念を持ちながら歩きます。
 自分の人生全てに注がれている彼らの愛、彼らの完璧さを実感し、至福を感じながら歩きます。

 さて、肉体と心の問題を書きましたが、もう一つ重要なのが、呼吸です。
 できるなら呼吸法をしながら歩くのがいいのではないかと思います。
 この場合は、1:1:1、つまり、息を吸う時間・止める時間・吐く時間を1:1:1の割合で行なうので十分でしょう。たとえば、4秒で息を吸い、4秒止めて、4秒で吐く、などです。
 もちろん、もっと余裕があれば、1:2:2や、1:4:2などにしても構いません。しかしあくまでも、長く続けられる割合でなければなりません。

 歩きながらの呼吸法は、なれないと当然、苦しいでしょう。しかし訓練を続けるうちに、徐々になれてきます。そしてある程度この経行中の呼吸法が安定したら、どうなるでしょうか?--経行中にこれらの呼吸法が楽にできるほど呼吸が安定したら、その人は、瞑想のために座ったならば、まるで呼吸が止まっているかのように、深くゆったりと安定した呼吸で瞑想に入ることができるようになるでしょう。
 ただし、上述のような出離・四無量心・帰依の念などが修習されていないと、実際はこの呼吸法は難しいかもしれません。なぜなら、呼吸の安定は、心の安定と比例するからです。ですから、正しい姿勢で歩きながら、正しい思索と正しい呼吸を繰り返すのです。
 正しい思索と正しい呼吸は、どちらか一方に集中しても、あるいは両方同時に行なっても構いません。
 これらが進んで、正しい思索が進み、呼吸が安定してきたなら、もうそれだけで、つまり経行だけでも、正しい瞑想の準備ができたということもできます。その人が座って瞑想に入ったならば、安定した呼吸と安定した心のもとで、深い瞑想に入っていくことができるでしょう。

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