yoga school kailas

クンチョク・イェンラクの歌


クンチョク・イェンラクの歌

 ここに、ヨーギーの主、シャマルの冠の五番目の保持者として完全に出現なさった、栄光なるクンチョクによって書かれた、ヴァジュラの歌と法話がある。
 師と法友と真のカギューの教えに対する確かな信頼が、彼の中に生じた。
 彼には、自と他の目的と活動、そして一切の場所と時の幸福と不幸の境遇は、渦巻く幻影や夢のように見えた。
 彼が、師と弟子、供養者と供養の受け手、友や血縁者との関係、学び、熟考、瞑想などの行為の一切は、相対的な縁起の顕現であると気づいたとき、彼は、あるがままの物事の真の意味に関する過失をありのままに剥き出しにするサインとして、それらを知った。
 よって、ありのままの物事の経験は、夏の熱気のように――創られていないもの、生来のもの、ありふれたもの、執着から解放されたもの、束縛から解放されたもの、解脱から解放されたものとして――彼の中に生じた。
 彼は、彼の幸運な弟子たちのために口頭伝授としてこれを要約し、このヴァジュラの歌を歌った。

 あなたが、慈悲深きジェツン・ミキョー・ギェルの
 大いなる慈愛を熟考するならば、

 その因と条件を理解するための基準点はないが、
 それでも、三乗の教えの悟りは、内に出現する。

 わたしは、模倣するには悪い例だが、
 わたしの永遠なる目的への準備は、良い結果となった。

 最初にわたしは、この人生を希望を持って見たが、
 慈悲の方便は、それを来世のための利益に変えた。

 わたしが若い頃、わたしは法友と共に学んだが、
 今その若き時代は過ぎ去り、わたしの目的は成就された。

 わたしは、何度も何度も経典を、学者ぶって分析したが、
 経験がわたしの中に生じたとき、わたしは要点を理解した。

 わたしは、信者からの布施に、よこしまに寄生して生きてきたが、
 これは、わたしと他者を完全に解放する膨大な徳へと変わった。

 わたしは、長い間絶えない親交を結んできたが、
 彼らは今、永遠なる法友となった。

 わたしを見上げるこれらの弟子たちは、
 嘘や偽善によっては欺かれることはなかった。

 学習と思索のために懸命に努力する一切の修行僧は、
 高い世界への解脱の多くの因を確立した。

 偉大なる瞑想家は、完全なる安穏に没頭しているが、
 彼らは、至高なるプラジュニャーの鍛錬に人を導く方法を知っている。

 宇宙から落ちてくる隕石のように、
 想像もつかない慈愛の中から祝福の雨は降る。

 根本における執着と概念という木を切ることで、
 一切の現れは、霧のようになる。

 これは、入念な努力によって達成されるものではない。
 それどころか、縁起の慈悲の現れは、計り得ない。

 わたしは、親愛なる父であるカギューの師たちの慈悲としてこれを理解する。
 特にわたしは、優しき者の慈悲としてこれを理解する。

 最初にわたしは、現象界は無常と苦しみに満ちていると知るにも関わらず、
 それを恐れない。

 次にわたしは、高い世界への解脱の利益を知るにも関わらず、
 それらを望まない。 

 最後に、われわれのかつての母たちである衆生は無数に存在するにもかかわらず、
 わたしは、彼らの利益を遂行することを思いとどまらない。

 わたしは、誤謬、無智、迷妄という欠点を知っている。
 それ故に、平等の智慧と解脱は現れる。

 わたしは、個人的なあるいは全般的な所有物に一切頓着していない。
 それ故にわたしは、執着を持たず、完全なる放棄の布施を完成した。

 わたしは、騒動を引き起こす敵意を持たない。
 それ故にわたしは、必然的に忍辱の戒を完成している。

 わたしは、非瞑想と非散漫の境地にとどまっている。
 それ故にこれは、一瞬の怠惰もない精進である。

 真の真理の意識は、わたしから去らない。
 それ故に、瞑想によって、智慧は完全に純粋になった。

 煩悩の本質は、根本的に非実在である。
 そしてわたしは、ダルマダートゥの原初的な純粋性を理解する。

 このようにわたしは、成熟され、解放された悟りの要因と一切の良い性質が、
 ありのままに生起したと理解した。

 如意樹や宝の壺のように、
 土台の一切の良き性質は、成就として得られる。

 その成就の非概念的なブッダの活動は、
 尽きることなく、衆生を調御するために生じる。

 モンという野蛮な地域で生まれ、
 生まれてから死ぬまでその土地で老いを迎えた老人、
 どの土地でわたしが死ぬかは不確かだ。
 わたしはクンチョク・イェンラクという名の老人。

 この世の縁起について熟考するとき、わたしは深い悲しみに嘆く。
 一切の過去の行為は、夢のよう。
 現在の思考は、瞬く稲妻のよう。
 未来への計画は、崖の縁で目を閉じるよう。

 そのような一切のことを分析するならば、
 わたしは何をすべきかわからない。
 それでもなおわたしは、一切の輪廻とニルヴァーナの道として、
 この想像不可能な心の本質を理解する。

 さて、多くの思考と分析に何の意味があろう?
 あなたの身体と心を、非行為の安らぎの境地に解き放て。
 思考と言葉を超えて、この新鮮な心は、
 過去・現在・未来の勝者たちの至高なる母であるパーラミター。

 一つの真実は、百の言葉によって指し示される。
 これは、百のサインによって説かれる本質的な本性。
 これは、百のメソッドによって導かれる驚くべき実践。
 あなたは百の道を行くにもかかわらず、辿りつくは場所は唯一つ。

 内に住するこの心の宝石、
 わたしは、グルの慈愛によって、それを自らの本性として悟った。
 わたしの最上乗の本質的真理へのインスピレーションは咲き乱れる。

 要するに、一切はグルの慈愛。
 彼の慈愛に報いるのは不可能だけれど、
 インスピレーションを受けた心を持って、わたしは、自分と他者の身体と所有物、
 そして普遍的なすべての優れたものを捧げ奉る。

 どうかそれらを、けがれなき供物の海としてお受け取りください。
 それによって、わたしの母である一切の衆生が、例外なく、
 アビラティの仏国土、ダルマダートゥの中で、
 ミキョー・ドルジェと不可分になりますように。
 衆生の不偏の利益を成就するために、あなたの祝福をお与えください。

 このように、彼は歌った。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする