yoga school kailas

懺悔・随喜・回向の瞑想について

2009/12/09 勉強会より
「懺悔・随喜・回向の瞑想について」

◎懺悔・随喜・回向の瞑想のやり方

 昨日ちょっとインスピレーションを受けて、みなさんに瞑想法を一つプレゼントというかな、ちょっといい瞑想法を教えたいと思うので、それから話したいと思います。
 まあ瞑想法と言っても特別なことではなくて、いわゆる懺悔の瞑想なんですが、これは『入菩提行論』ね、いつも出てくる『入菩提行論』に、よく読んでる人は覚えてるかもしれませんが、「正智の守護」という章の中で、「朝と夕に三回ずつ、懺悔と随喜、そして回向、これを転現せよ」と。朝と夕に三回というのはつまり、一日六回っていうことです。つまり四時間ごとっていうことだね。四時間に一回、懺悔、随喜、そして回向をしなさいと。
 で、『入菩提行論』はわたしはかなり前から読んでるので、これをね、その言葉通りによくやってたんだね。その言葉通りっていうのはつまり、四時間に一回――今、チベット仏教とかではもう完全に、例えば懺悔にしろ随喜にしろ回向にしろ、システマティックに詞章とか瞑想法があるので、それを四時間に一回やると、そういうことかなって思ってたんだけど、昨日それについてちょっと考えてたら、インスピレーションが降りてきて、「あ、これは違う!」と。その真の意味はちょっと違うと。
 ただちょっとあんまり格好良くないんだけど、瞑想しててインスピレーションが湧いたわけじゃなくて、風呂入ってたらインスピレーション湧いてきて(笑)。お風呂の中で、「ん! これは違う!」と(笑)。で、おそらく本当の意味はこうだろうというのが分かったので、それについてちょっと話します。
 まずそのやり方を言いますね。それは、まず四時間に一回――つまり四時間に一回やるから、その四時間分ね。たとえば十二時にやったら次十六時なので、その十二時から十六時までの自分の身・口・意、つまり実際の身の行ないと、それと声に発した言葉ね、それから心の状態ね。これを振り返る。で、振り返って、そんなに時間とらなくていいんだけど、ぱっぱっぱとちょっと振り返って、一つ一つを思い起こしてね、それもたくさんでなくてもいい、ちょっと特徴的なね、たとえば五個ぐらい思い起こすだけでもいいです。それぞれを善か悪に分類します。
 善か悪に分類するっていうのは、例えばあのときこういうふうに思ってしまったな。これは教えに照らし合わせると悪であると――これは悪だよね。で、逆に例えば、あのときにこういうふうになりそうになったけども、こういうふうに教えによって自分の心をコントロールしたと。これはとても良かったと――これは善だよね。こういうふうに善と悪に大別します。
 もちろん行ないとか言葉も含めてね。あのときちょっと本当は駄目なんだけど、ちょっときついことを言ってしまったと。これは悪だよね。あるいは例えば行動においてもね、こういうことをやってしまったとか、あるいはこういうすばらしい言葉を発することができたとかね。
 で、それを、悪に分類したものは当然そこで懺悔をします。つまり、「申し訳ありませんでした」と。懺悔はいつも言うように、まずしっかりとそれを告白して、神やブッダをイメージして告白して、で、それをもう二度としませんという決意をする。
 そして逆に善であると――つまり、ああ、これはよかったと思ったことは、大いに喜びます。意識的にね。これが随喜なんだね。
 つまり、さっきわたしは、普通だったらこういうふうに言い返してしまうところを、ぐっと耐えて、何か嫌なことを言われても相手の幸福を願うことができたと。これは偉大な進歩であると。ああ、本当によかったなと。ああ、本当にわたしはああいう態度をとれてよかったと。もっともっと次に同じような場面がきたら、もっとそういうふうにしよう!――って、こう喜ぶんだね。
 そして、回向するんです。つまり回向っていうのは、ここで積んだわたしの功徳、あるいはここでわたしの心が変わったこのすばらしい神聖なエネルギーね、これはすべて衆生の解脱とか悟りのためにそれが役立ってほしいと。
 あるいは別のパターンとしては、衆生のためにわたしは仏陀にならなきゃいけないと。だから今ここで積んだわたしの功徳や、あるいは今わたしがとった善行の徳が――つまり徳っていうのは放っておくと欲望の方に流れていく。つまり修行が進めば進むほど、お金持ちになったり、周りが優しくしてくれたり――これは徳が漏れてる現象なんだね。これはもちろん徳が積めてるっていう点ではいいんだけど、漏れてるから、その漏れを許しておくと、確かにこの世では幸せになるけど、悟りであるとか真のメリットは得られない。
 だから回向するんだね。自分の覚醒に回向する。もしくは衆生の解脱に回向する。これをやるわけだね。
 もう一回言いますよ。四時間に一回、過去四時間分の出来事を振り返り、で、善と悪に大別すると。
 で、悪であると、「これはよくなかった」と思ったものは、しっかり懺悔し、もう二度とそういうことをしないと決意する。
 で、善であると分析したものは、そこでね、謙虚になる必要はない。「いやあ、これは善ですけどまだまだです」とか思わなくていい(笑)。大いに喜ぶ。ああ、本当によかったと。これはすばらしいことだと喜んで、しかしこの徳は回向しますと。衆生のために回向しますと。あるいはわたしが仏陀になるために回向しますと。ね。

◎念正智の大いなる効果

 これを四時間に一回やると。これはとても大きな効果を生む修行だと思います。
 いつも言ってる念正智。念正智の具体的な、非常に実質的な修行になると思うね。
 懺悔っていう意味ではもちろんそうだしね。四時間に一回、しっかりと懺悔をすることによって、心が変なふうに行きづらくなるっていうかな。
 で、今言ったように、随喜っていう意味でもそうなんだね。随喜っていうのは、いつも言うけど、われわれの心っていうのは、頭で何を考えてたとしても、心が本当に喜びだと認識したほうに向くんだね。だからいちいち一つ一つ自分がなした善いこと――これは何でもいいんですよ。修行でもね。例えばね、わたしは今日勉強会の間、しっかりと蓮華座を組んでいたと。しっかりと集中できていたと。ああ、本当によかったと。本当にすばらしいな。わたしは本当にこの時間いい集中ができたと。わあ、すばらしい! 本当にわたしはすばらしいことをしたと。これによってより一層次も頑張ろうと。もっともっとこれを増大させよう――と思うことによって、心がそれはすばらしいことなんだと思って、またそれをやろうっていう、善をもっともっと積もうっていう無意識的な力が発動するんだね。
 だからそれは十分に喜ぶ。そして回向する。これを四時間に一回やるんだね。
 もちろん最初は四時間に一回じゃなくてもいいです。スタートは一日一回でもいいです。夜寝る前にこれをやるだけでもいい。で、だんだん慣れてきたら――これは何でもそうなんだけどね。慣れてきたら、例えば十二時間に一回。八時間に一回。六時間に一回っていうふうに狭めていくんだね。

◎過去世からの宝物

 で、これは、実はわたしはちょっと変な話なんだけど、この修行だけじゃないんだけど、他のことでもよくあるんだけど、例えばこれをさっき言ったようにインスピレーションで「あ、そうだ!」って思ったときに、「そういえば!」って思ったんです。そういえばっていうのは、そういえばわたしはこれをやっていたと。やっていて、結構これ効果あったと。忘れてたけど、そういえば効果あったなと。あ、そうだ、このやり方をなぜ今までやらなかったんだろうと。だから確信があったんだね。あ、これなんだと。
 で、ただおもしろいのは、それがいつのことだか思い出せない(笑)。つまりたとえば、十年前によくこれをやってたとか、思い出せるのもあるんですよ。思い出せるのももちろんあるけども、思い出せない。それはもちろん、もしかすると過去世のことかもしれない。
 こういうのってよくあるんです。たとえば経典とかを見てて、たとえばヨーガ経典とか密教の経典って、結構現代では分かりにくい書き方してるのが多いから。仙道とかもそうだけどね。表面の文字面を読んだだけじゃ、何言ってるのか全く分からない。で、分からないんだけど、あるとき今みたいに、ぴぴっと分かるときがある。「あ! こうじゃん!」っていう感じで。それはもう確信っていうか、当たり前じゃんっていう感じで思い出す感じなんだね 。「あ、そうじゃん」っていう感じで、まるで自分がそれを昔から知ってたかのように、思い出すことがある。
 もちろんそれは実際に昔ね――昔って今生において、昔やってたことっていうのもあるんだけども、じゃなくて、当然過去世の情報っていうパターンもある。これはみなさんも将来的にそういう経験をだんだんするかもしれない。
 っていうのは、いつも言うように、だいたいこういう感じでね、しっかりと修行の道に入ってる人っていうのは、まあ今生初めて修行始めた人っていうのは、逆に少ないと思います。そんなにいきなりそういう世界に入れるものじゃないから。特にこういうここの勉強会みたいなね、かなりコアな内容を(笑)、教えてるところに来る人っていうのは、だいたいまあ前生からいろんな修行をやっているタイプの人が多い。それは当然やったことっていうのは、何でもそうだけど、決して無駄にはなっていない。
 つまりいつも言うように、修行者であっても生まれ変わるときにはいったん記憶がなくなるし、あるいはいったん前生まで積み上げたものっていうのは、ちょっとこう封印されるんだね。例えば前生で偉大な聖者だったとしても、生まれてくるときは普通の赤ちゃんとして生まれてくる。まあ例外もいるけどね、パドマサンバヴァみたいに蓮華から生まれるとか(笑)、例外はいるけど、それ以外は普通に生まれてくると。でも修行によって、前生積み上げたものがちょっとずつちょっとずつ顔を出し始めるんだね。
 だから修行の進み方って、そういう意味では人それぞれだからおもしろい。非常に難解な真理を瞬間的に理解してしまうパターンもあるし、あるいは、ある一つの修行システムをね、普通はこれは例えば五年かかるとかいうのを、もう一瞬にして経験してしまう場合もある。
 で、おもしろいのは、人によってそのパターンが違うっていうのがおもしろいんだね。ある人はこの部分は最強だが、この部分は最低であるとか(笑)、全然進み方が違う。この部分はあっという間に達成したが、この部分は全く誰よりも劣ってるとか、そういうふうに進み方が違うのが非常におもしろいところだね。
 で、ちょっと話を戻すけども、そういう感じで四時間に一回ね、懺悔・随喜・回向、これを――もう一回いうけど――定型的な、単に詞章を唱えるとか、決まった瞑想をするとかじゃなくて、本当にリアルに自分の行為を振り返って、悪か善かを分別して、悪は懺悔し、善については随喜し回向すると。

◎懺悔・随喜・回向と、菩提心・帰依

 で、シャーンティデーヴァの『入菩提行論』には、この一節はこれに付け加えて、「さらにこれに加えて、菩提心、そして仏陀への帰依、これによって、気づかずに犯した罪が消される」って書いてあります。
 『入菩提行論』っていうのは、非常にさらっとした書き方をしてるので、具体的な指示としては舌っ足らずな部分もあるんだけど、この菩提心そして帰依、これは四時間に一回とは書かれてないんだけど、だからこれは一日一回でもいいんですけども、でもこれも四時間に一回やったらいいかもしれない。
 これもいろんなやり方があると思うけど、菩提心に関しては発菩提心の詞章を唱えるでもいいし、あるいは精神的にね、「わたしは菩薩になるんだ!」って思い起こすだけでもいい。あるいは帰依に関しては、もちろんできる環境であれば五体投地をやってもいいし、あるいは帰依の集会樹のね、詞章とかを唱えるだけでもいいし、帰依関係のマントラを唱えるだけでもいいし。そういう感じで一日に何度も自分の心を帰依とか菩提心っていう観点にぐっと引き戻すわけですね。
 はい、そして、もう一回言うけども、リアルに自分のやったことを観察し、懺悔・随喜・回向を行なうと。これがみなさんへのプレゼントというかな、おそらく最近頑張っているみなさんへのプレゼントとして、昨日わたしがお風呂入ってるときに(笑)、インスピレーションが降りてきたんじゃないかと思います。
 これはぜひ興味ある人はね、やってみたらいいと思います。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする