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サンヤマ

 ヨーガ・スートラのいわゆるアシュターンガ(八段階)・ヨーガにおいては、瞑想の段階をプラティヤーハーラ・ダーラナー・ディヤーナ・サマーディと段階分けし、後者三つをひっくるめて「サンヤマ」とも呼んでいる。この名称や考え方は、他の多くのヨーガや仏教の経典にも応用されている。

 この中で、プラティヤーハーラとダーラナーに関しては、われわれが努力してトライできるものだが、ディヤーナとサマーディに関しては、ダーラナーが深まった先にあるものなので、しっかりとダーラナーが確定されないと、実際のディヤーナとサマーディは訪れない。

 しかし巷の書物などを見ると、多くの人がこのディヤーナやサマーディの経験がなく、その意味を誤解しているように感じる。

 たとえばディヤーナというのは「意識の拡大」とされているが、多くの人がこの「拡大」の意味を取り違えている。少なくともラージャ・ヨーガにおけるディヤーナにおいては、本当に集中の対象が拡大するのだ。

 以下に、いくつかの修行プロセスにおける、ダーラナー・ディヤーナ・サマーディのプロセス(この三つをまとめて「サンヤマ」といいます)を、私の経験をもとに、簡単にまとめてみたいと思います。

◎ラージャ・ヨーガにおけるサンヤマ

 ここでいうラージャ・ヨーガとは、精神集中を軸とした瞑想のことで、禅、マハームドラー、ゾクチェンなども、このカテゴリーに属します。

1.ラージャ・ヨーガにおけるダーラナー
 ある対象への一点集中です。
 自分の心の本性への一点集中が最高ですが、それが難しい場合、外側の物質や、内的なイメージなどに集中します。

2.ラージャ・ヨーガにおけるディヤーナ
 集中している対象が、実際に無限に拡大していきます。
 これは、「ウワーッ!」という感じで、特に最初のうちは、スピード感を伴い、拡大していきます。
 逆に言うと、この拡大経験が起きないとそれはディヤーナの領域に入ったとはいえないので、それまでは徹底的にダーラナーを深めなければなりません。

3.ラージャ・ヨーガにおけるサマーディ
 集中の対象の拡大が極限に達した時、その拡大しきったものに、主体である自分さえもが包み込まれるような感じになり、主体と客体が合一します。

◎クンダリニー・ヨーガにおけるサンヤマ

1.クンダリニー・ヨーガにおけるダーラナー
 クンダリニー・ヨーガにおいては、物理的に生命エネルギーを一つに集約させなければなりません。集約したエネルギーを練りこみ、昇華させたものがクンダリニーです。このクンダリニーの覚醒と上昇が、クンダリニー・ヨーガにおけるダーラナーに当たります。
 そのためには現実的には、特に性的な禁欲と、具体的な覚醒の行法、そしてそのエネルギーを真ん中の気道に一点集中させ、上昇させるための特殊な技法が必要になってきます。
 細かい点に関しては経験のある師に指導を受けるのが一番ですが、日々、精神的な意味で気をつけることをあげるならば、以下のようなものがあります。
・禁欲
・怒り・性欲・嫉妬・物欲などの低い精神状態に心を向けない。
・神や師や解脱や救済といった、高い対象に心を向ける。
・実際に身体の頭頂や眉間など、高い部分に日々集中する。
・常に肯定的意識を持つ。

2.クンダリニー・ヨーガにおけるディヤーナ
 実際に覚醒して上昇したクンダリニーが頭頂のブラフマ・ランドラに集中し、そのカギを開けた時、アムリタ(不死の甘露)が発生します。
 このアムリタも、観念的なものではなく、物理的なものです。このアムリタが全身のチャクラと気道を浄化していきます。
 クンダリニーが上昇するときにも快感が生じますが、アムリタが全身を浄化するときの快感は、より強い快感です。
 このプロセスが進むと、心身が非常に軽くなっていきます。
 そして全身の気道をアムリタが浄化し、体中にアムリタが満ちた時、なんというか、自分の体がなくなったかのような、飽和状態のような感じになります。
 これがクンダリニー・ヨーガにおけるディヤーナです。

3.クンダリニー・ヨーガにおけるサマーディ
 アムリタの充満による飽和状態が極限に達した時、自分と外界が一つにつながったような感覚になり、自然にサマーディに導かれます。

◎ジュニャーナ・ヨーガにおけるサンヤマ

1.ジュニャーナ・ヨーガにおけるダーラナー
 現実的には、このプロセスを行くには、まずは正しい聖典などの教えをしっかりと学ぶ。あるいは師より基礎的な教えをしっかりと学ぶことが必要です。
 そしてそのうえで、さまざまな意味での分析・識別・放棄を繰り返します。
 
2.ジュニャーナ・ヨーガにおけるディヤーナ
 ダーラナーが本当に成功すると、「煩悩」や「間違った認識」が、本当に、瞬間的に、スパスパスパッと消えていきます。
 このときに実際に意識が拡大します。
 私の経験ではこのときに、強いエクスタシーも伴います。

3.ジュニャーナ・ヨーガにおけるサマーディ
 唯一の本質以外のものに対する徹底的な識別と否定・放棄を繰り返した果てに、唯一の本質と合一します。
 しかし私の経験では、現代ではこの道は難しく、しかも多くの勘違いを生みやすい道なので、単独でジュニャーナ・ヨーガの道を行くことは、あまりお勧めできません。
 他の道の補助としてこの道を使うなら、大きな利益があると思います。

◎バクティ・ヨーガにおけるサンヤマ

1.バクティ・ヨーガにおけるサンヤマ
 瞑想においては、神、ブッダ、師などのことをイメージし、強い愛をもって、それに強烈に集中します。
 それだけではなく、日常においても24時間、常にそういったものから意識を外さない訓練をします。
 この段階においては、神以外のものに一切心を向けない、という心構えが必要です。
 そして聖典などを学び、バクティ・ヨーガやカルマ・ヨーガの思想について理解を深め、実際にそこで推奨されている意識で日々生きることが重要です。
 たとえば、
「すべてを神にお任せする」
「良いことも悪いことも、すべては神のおぼしめしである」
などの認識を深めていくことが大事です。

2.バクティ・ヨーガにおけるディヤーナ
 自分が一点集中していた神が、実際には全宇宙に遍在するものであったということに気付き、すべてが神そのものとして見えてきます。
 ラーマクリシュナは、自分に反対する者や、町の娼婦でさえも神に見え、「おおマーよ、なんと上手に化けられたこと!」と笑い転げたといいます(笑)。
 これは、「思想」や「イメージ」ではありません。本当にそう見えるというか、そうとしか感じなくなるのです。
 しかし本当にこの状態になる前に、イメージによって、そのように見る訓練をすることは利益になります。しかしそれはあくまでもまだ擬似的なものであるという認識も必要です。 

3.バクティ・ヨーガにおけるサマーディ
 「彼も彼も、すべての他者が神であった」という認識の果てに、「自分もまた神であった」という経験が生じます。
 これもまた「思想」や「イメージ」ではなく、確固たる経験として生じます。 

 さて、まとめとして言うと、実際にはこれらすべてのプロセスを総合して進めるのが良いと思います。
 実際、たとえばお釈迦様の教えにおける瞑想プロセスなども、上記のすべてのパターンを総合しているものだと、私は感じています。
 現代では特に、バクティ・ヨーガとクンダリニー・ヨーガが有益だと思います。この二つを軸にして、ラージャ・ヨーガやジュニャーナ・ヨーガの技法も補助として実践するのが、現実的に利益が大きいやりかたではないかと思います。

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