yoga school kailas

クリアーライトのヴィジョンとゾクチェンの修行の秘訣の教え(1)


クリアーライトのヴィジョンとゾクチェンの修行の秘訣の教え

パトゥル・リンポチェによる、ミンギュル・ナムカイ・ドルジェの「純粋なるヴィジョン」の解説

 すべてのブッダの本質である、愛する根本グルに礼拝いたします。

 ゾクチェンの道によって悟りを得た、ガラップ・ドルジェと過去の大成就者たちは、主要な弟子たちに向けて、遺言というかたちで、彼らが悟りを得た修行の秘訣の教えを説かれた。それゆえに、彼らの弟子たちは悟りと解脱を同時に経験し、そして師と同様の悟りを得たのである。

 同様に、無上の王のダルマの師であり、マンダラの主である、ジグメ・ギャルワイ・ニュグ尊者が、心をダルマダートゥへと溶け込ませる際、比類なき心の愛弟子であるトゥルク・ミンギュル・ナムカイ・ドルジェに、遺言として、「クリアーライトのヴィジョンを使ったゾクチェンの修行の秘訣の教え」を説かれた。

 ここに、わたしはこの遺言を解説し、三章に分けてその意味を簡潔に明かそう。
 第一章は土台――原初の本性、リアリティの本質そのものについて。
 第二章は道(瞑想)――変造されることのない空なる心の本性である、リクパの裸の境地を適用する方法について。
 第三章は結果――「取ること」と「拒むこと」を超越した状態において、幻影の思考が自ら解放される境地についてである。

第一章「土台」

 ブッダ方は、われわれの原初の本性の真の状態の本質、つまり仏性(如来蔵)、一切の概念を超越した智慧を悟ったがゆえに、現われられた。衆生は、この本質、つまり輪廻とニルヴァーナの土台であるダルマターが理解できないがゆえに、現われている。ゆえに、二つの無智(感情の無智と認識の無智※)によって決してけがされることのないこの原初の完全なる純粋な土台は、最初から純粋であると言われている。

 ダルマターの本性は、言葉や知的分析によっては理解することができず、思考の範疇を超えているので、一切の限定された概念から解放された空性の一側面である「ロンチェン(果てしなく広がる空間)」であると言われている。それは、知性による分析を超越しており、言葉で掴むことができるものではない。ゆえに、それは心の本性であり、われらの本性という名の「王」であり、すべてを超越し、すべてがありのままである境地、「完全なる完成(ゾクチェン)」である。

 ダルマターは、生来心に備わっている透明な光と切り離すことができない。ゆえに、どこか他のところに存在しているわけではない。ゆえに、それは心の本性なのである。その原初の状態は、輪廻とニルヴァーナのすべての現象の源であり、すべての現象を支配しているから、「王」と呼ばれている。それは、すべての現象の本性である空性と切り離すことができないので、われわれの本性と呼ばれているのである。

 真のリアリティの本質、ダルマターの究極の境地においては、輪廻とニルヴァーナは、土台からどこにも外れることなく、完璧である。ゆえに、ダルマターは完全完璧なのだ。

 例えば、空間はすべてを包含しており、何をも拒絶せず、すべてを受け入れている。同様に、ゾクチェンという名のダルマターはあらゆる現象を拒絶しない。よって、すべてがありのままなのである。

 空間には色も形もなく、物質的な特性は何一つない。空間はこの全領域を超越している。同様に、ダルマターという名の「ゾクチェン(完全なる完成性)」には、現象に関する(実体、言葉、概念などの)特質は一切ない。「ゾクチェン」はこの領域を超越している。ゆえに、すべてを超越しているといえる。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする