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パドマサンバヴァの秘密の教え(133)「蓮華水晶の洞窟の宝物――シュリーシンハの直接の教え②」

 わたしは孤独な場所に行き、一年間、全く何も精神的な作り物を創り出さないように努力した。

「空性は現象である! 
 現象は空性である! 
 現象と空性は不可分である! 
 仏陀と衆生に関して二元性は存在しない! 
 たとえ不徳な行為に携わったとしても、悪業は存在しない! 
 たとえ十善に携わったとしてとしても、功徳は存在しない!」
と感じるなどの、いくかの経験が生じた。

 これらに満足して、わたしはグルにそれらを述べた。

 グルはこうおっしゃった。

「瞑想経験で満足するとは愚かである。

 もしお前が現象と空性は不可分であると思うなら、現象から離れられるはずだ。そうではないか?

 もしお前が仏陀と衆生は不可分であると思うなら、仏陀と同じであるすべての衆生を尊敬し、仕えるべきだ。そうではないか?

 もしお前が『たとえ十悪に従事するとしても、カルマの熟成はないであろう』と考えるなら、たとえそれが死をもたらそうとも、お前に向けられた他者の十悪を受け入れられるべきである。そうではないか?

 もしお前が『たとえ十善に従事したとしても、恩恵はないのである』と考えるなら、他者の十善によって自分が利益を得たとしても、何の喜びもないはずである。そうではないか?

 さあ、また孤独な場所へ行って、死体のように身体をとどめさせ、口のきけない人のように声をとどめさせ、空(そら)のように心をとどめされるのだ。」

 それからわたしは孤独な場所へ行き、グルの指示に従ってそのように修習し、それによって、次のような八つの経験が生じた。

・明快なる経験――内側と外側のない完全な光輝。眼が開いているか閉じているかの違いがない、空性と覚醒の顕現。

・空性の経験――完全に内側と外側への執着がなく、あらゆるものにくよくよ考えない心を持つ、解放と空。

・至福の経験――バターが溶けるように、身体と心を持つ思考がなく、完全に自由で陽気である。

・体や心に関するさまざまな感覚に全くこだわらない境地。

・空に輝く太陽のような覚醒の境地。

・身体の行為において、肉体と対象の両方が欠けている、霧のような身体の経験。

・自己も他者も認識しない感覚。

・すべての衆生はわたしと同様の心の本性の真理に目覚めなくてはならないという感覚。

 これらの経験に歓喜して、わたしはそれらをグルに述べた。

 彼はこうおっしゃった。

「『大いなる完成』には、自発的存在の出来事、想像もできない出来事、偉大なる至福の出来事の三つの出来事がある。これらの三つのうち、お前の経験は自発的存在の出来事である。鮮明さの中にとどまった後、想像も出来ないもの、そして偉大なる至福は現われるであろう。

 輪廻は魅力的で、心はだまされやすい! 瞑想の経験にとらわれず、心を広げるのだ。」

「どのようにして心を広げるのですか?」
とわたしは訪ねた。

 グル・シュリーシンハは、こうお答えになった。

「心の範囲以外に、仏陀と衆生の違いはない。
 心、意識、覚醒と呼ばれるものは、一つである。
 衆生の心には制限がある。仏陀の心はすべてに偏在する。
 よって、東西南北に制限されない空(そら)のような心の範囲を作り上げるのだ。」

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