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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第13回(8)

◎サマンタバドラの行

 はい。ちょっと四無量心について長くなり過ぎちゃったんで、最後にこのサマンタバドラの行ね。これはエッセイ集の『融通無碍』にも載っているので、読んだことある人いると思いますが。まあちょっとあまり時間ないのでパーッと表面的に見ていきましょうね。
 はい。じゃちょっと時間がないんでわたしが読みますね。
 大乗仏教の修行の一つにサマンタバドラの行というものがありますと。で、それはチベットで「七支の供養」っていうのは有名ですけども、実際にはさまざまなバリエーションがあるわけですね。で、それを、現代的に、わたし自身の経験も含めて、簡単にそれを十項目にまとめましたと。
 はい。で、一番が「礼拝」ね。実際に五体投地など礼拝行を行なうと。あるいは日々祭壇などに礼拝をする。あるいは常に心に神や仏陀を思うと。
 二番目が「讃嘆」。神や仏陀や聖者や師などの素晴らしさを日々心に思い讃嘆する。実際にその素晴らしさを口に出したり、あるいはうちでやっているみたいに歌を歌ったりすると。何があっても神、仏陀、聖者、師の素晴らしさ、完璧さを思い感謝すると。この「何があっても」っていうのはとても大事です。さっき言った「喜」とも関わってきますけども。例えば日々いろんな苦しみが出たり、あるいは疑念が出たり、いろんな心の屈折が出たりしたときに、それを決して――もちろん衆生に向けても駄目だけども――衆生に向けても駄目で、当然自分の尊敬すべき師や神や仏陀に向けるなんてあってはならない。何があってもそれは自分のカルマの悪さであって、あるいは自分の未熟さであって。神は完璧なんだと、この讃嘆の心を持ち続ける。
 はい、「供養」――供養は実際に、具体的に師や聖者にお金や物品や食物などを供養したり、あるいはイメージの中で素晴らしいものを供養したり、あるいは執着しているものを供養したり、あるいはさまざまな日々の経験自体を、心の中で日々供養するということですね。
 はい。四番目が「教えどおり生きる」。念正智の世界だね。
 五番目が「懺悔」。
 六番目が随喜。はい。この辺はいつも瞑想でやっているから分かりますね、つまり懺悔と同時に、逆に自分の修行の進歩や、あるいは自分が今修行できていることへの喜びね、こういったものを心から喜ぶと。ね。で、感謝するということですね。
 はい。七番目が「教えの請願」ね。真の教えというものに対する強い欲求を持つと。で、「欲求するだけでは駄目で、今与えられた教えの実践の項目を完璧に達成しようと努力すべきである」と書いてありますが、つまりこれは、さっき言ったように、学者になってもしょうがない。あるいは皆さんは教えのコレクターになってもしょうがないわけですね。教えのコレクターじゃなくて、一つ一つをちゃんと身に付けないといけない。一つ一つを身に付けると、そうですね、当然次の課題がやってきます。そういうやり方の方が実際はいいね。
 教えをもちろん――まあだから、例えばカイラスだったらカイラスで皆さんに与えている教学っていうのは、まあ結構厳選しているところがある。つまりわたしの見解もあって、「あ、これは利益があるだろう」と。まあ逆に言うと、これは要らないっていうのはあんまり出さないというか。これが利益あるだろうってのをバーンとこう出していると。で、その一つでもいい。あるいは複数でもいいけども、しっかりと教学し、あるいは実践し、自分のものにしようと考える。あるいは一つ一つの修行法でもいいですよ。修行法自体もちゃんと自分のものにしようと考えると。それによって、早くこれを達成し、より高い教えを得たいと。あるいはより高い、あるいはより真髄的な教えも早く伝授してもらえるように頑張ろうと。このような気持ちで一つ一つの教えを達成していくのが大事ですね。
 だから、もう一回言うけど、単純にコレクターみたいに教えの項目だけを集めてもしょうがない。一つ一つをいかに達成するかだね。
 はい、八番目が「見神、及び化身の請願」。これはまあいくつかのパターンがありますと。まず第一に共通してなさなきゃいけないのは、ラーマクリシュナもそうだったように、神や仏陀を見神したい。つまり直接お会いしたい。「どうかわたしの前に現われてください」という強い要求と祈りを持ち続ける。
 次に、まだ師と出会っていない人は「そのような具体的にわたしを導いてくれる師よ、どうか現われてください」と日々懇願し続けると。
 三番目、実際に今師がいる人は、その師が去らないように、つまり肉体を捨ててどこかへ行ってしまわないように、できるだけ長くこの世にお留まりくださいと請願すると。
 で、ちょっと付け加えになりますが、師ではなくても尊敬している聖者っていうのが今地上にいるとして、その聖者方にもそのような請願ね。できるだけ長くお留まりくださいと考えると。このような心の強い請願心ですね。これを持ち続けるっていうことですね。
 はい、九番目が「平等なる智」。これはさっき言ったのと同じですね。損得勘定のない、そして誰も抜けのない平等なる完全な慈悲、慈愛の訓練をし続けると。
 はい。で、十番目に、これらの日々の実践によって積まれた功徳、エネルギーを、すべての衆生の悟りと幸福に回向するということですね。
 はい、これが「サマンタバドラの行」の、まあまとめたやつですね。で、これを全力で極めるっていうことですね。

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