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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第13回(7)

◎捨

 そして四番目として――まあ四番目っていうのは、これは全部に関わってくるわけですけど――「捨」。つまり自分は捨てると。つまり、今言ったことのいわゆる背景として――ここでいう自分っていうのはもちろんエゴのことね。エゴの損得、エゴの苦楽、エゴのメリット・デメリット、これはどうでもいいと。うん。
 ラーマクリシュナがやっていた神への祈りの仕方として、「おお、神よ」と。「あなたの徳と、あなたの不徳、どっちもいりません」と。「あなたの清らかさと、あなたの与えてくれるけがれ、どちらもいりません」と。「ただ、あなたへの愛だけをお与えください」ってあるね。これは別の角度からの「捨」ですけども。つまり、二元的なわれわれの「こうなりたい、これは嫌だ」っていうものを、もちろんエゴ的なものも含め、あるいは宗教的、修行的達成も含めて放棄するんです。
 「じゃあ何のために修行しているんですか?」――一つは、今言った菩薩道でいうと、みんなのため。ただみんなのためにありたいと。で、もう一つは、何のためとかない。まあ言ってみれば神への愛のためっていうかな。損得勘定じゃない神への愛のために、それがまだ達成されていない自分を、その状態に持っていきたいがためにやっているだけであって。
 世俗的なエゴはもちろん、そうじゃなくて自分がニルヴァーナに入りたいとか、自分がその苦悩の世界から脱却したいっていうのも、もうそれもどうでもいいんだと。とにかくみんなのための存在でありたいと。あるいはバクティ的に言えば、ただの神の道具でありたいと。そこまで自分を、まあ純粋化っていったら変だけども、理想に近づけたいって感じですね。
 だから、ちょっともう一回言うけど、全部に行き渡る背景として、自分のエゴ、あるいは自分の中のさまざまな二元的な「こうなったらいいな、こういうのは嫌だな」――こんなのはどうでもいいと。つまり、宮沢賢治の言い方で言えば、自分のことは勘定に入れない、とかね。もしくは一番後の勘定に入れると。一番あとに考えると。で、何度も言うよ――みんなの幸福を願うと。みんなのために修行すると。はい。この、言ってみればシンプルな四つの柱、四つの四無量心ね。これを全力でやると。これだけでも皆さんは、ここで書かれている菩薩道、あるいはサマンタバドラ行というものを達成するでしょう。
 要はあとはやるかやらないかだね。あるいはその一つ一つを、具体的にどれだけ極め尽くす気持ちがあるかどうかですね。
 だから何度も言うけどね、ちょっといろいろ言ったけど、シンプルに言うと、やっぱり決意と忍辱が大事ですね。決意と忍辱。最初の、やるんだっていう決意。これを日々持ち続ける。そして忍辱。忍辱もだから、最初から覚悟しているといいね。つまりその、やはり耐える期間って必要です。っていうのは、自分のカルマを変えなきゃいけない。自分が生まれ変わらなきゃいけないから、当然いろんな意味での苦しみに耐える。苦しみっていうのはその実際の苦しみだけじゃなくて、自分のエゴや概念とちょっとぶつかるようないろんな現象が起きる。そこで、本当はこうしなきゃいけないんだけどエゴはこうしたいと。でもこれ、耐えているうちにやっぱり変わります。でも耐えないと変わらないんだね。っていうのは、ある程度のやっぱり期間が必要だから。
 忍辱の力がない人は、いつも言っているけど、「あれ、あと五分耐えれば良かったのに」と。あと五分耐えればY君は「ニューY」として(笑)、生まれ変わったのに、「また? また五分前でやめたの?」と。「また一からやり直しですね」と。つまりこれが、よく分かっていないというかね。忍辱の大事さを分かっていない。
 だからわたしね、本当に何度も言っているけど、今年の最初にもなんか言ったような気がするけど、いろんな人見てて、もちろん自分も含めていろんな人見てて、この忍辱、ね、「クシャーンティ」とか「カンティ」とか言いますが、この忍辱という要素というのは非常に重要です。これはぜひ皆さんの肝に銘じてほしいね。忍辱。
 この忍辱っていうのは、もう一回言うけど、あの、果てなき忍辱ですよ。限定なしです。ただ実際には、結果的には限定あるんですけどね。でも限定ある気持ちだとできません。だから一生耐えるぐらいの気持ちでいくと、もちろんある期間でパッと抜けます。でも自分のカルマ内でここまでとか思っていると抜けられないんだね。だから気持ちとしては一生ぐらいの気持ちで。まあいつも言うように、一生だまされてもいいぐらいの気持ちだね。「六十年経ったんだけどまだですか?」っていう(笑)、その状況が来るかもしれないけど、それでもいいんだと、別にね。それでもいいぐらいの気持ちで、一生耐え続ける気持ちで、自分のカルマとの戦いをこう耐え続けるっていうかな。
 はい。この決意と忍辱を一つの柱としつつ、四無量心の実践を行なうと。これはとても素晴らしい、具体的な要素ですね。

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