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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第二回(11)

 でもこれもね、ちょっと今日はあんまり長くなってもいけないので大ざっぱに言うけども、いつも言うように、結局これは通らなきゃいけない道なんだね、すべての人が実は。菩薩行っていうのは。この菩薩行っていうのは、もちろん願いとしては「みんなのため」なんだけど、最終的には自分が完全な仏陀になる早道でもあります。すごくなんか、ここら辺は面白い論理構造があるんだけどね。つまりその「みんなのために仏陀になりたい」と。「みんなのために仏陀になりたい」っていう修行の仕方によって、自分は一番早く悟るんです。すごく面白いパターンだね。ちょっと――またじゃあ別の言い方をすると、「わたしはどうでもいいので、早くみんなを幸せにしたい」っていうやり方が、一番自分が早く幸せになります。本当のこと言うとね。
 これはね。こういうことを言うと、それはちょっと打算的だって思うかもしれない。もちろんね、それは打算的じゃなくて、心からの思いでそう思わなきゃいけないんだけど、でも最初はね、打算的でもいいんです。なぜかっていうと、打算によって自分のエゴをだますんです。高度な、だからこれは詐欺なんです。つまり、自分のエゴっていうのは「おれはおれだけでいいんだ」と。「他人なんかどうでもいい」って思っちゃってる。正直を言うとね。潜在意識でそう思ってる。だから、自分のエゴをだますんだね。「お前、菩薩行って実はすげーんだぞ」と(笑)。「菩薩行って利他とか言ってるけど、本当はお前がね、一番最初にすげー幸せになるんだぞ」と。「だからちょっとお前、自分捨ててみ」と(笑)。「自分を捨てて、他人のためにやってみろ」と。「実はおれが一番幸せになるぞ」っていうふうにエゴに言い聞かせるんだね。これによって、もしエゴがそれを納得したら、「おお、そうか」と。「じゃあ、おれは菩薩行だ」って言って、「幸せになりたい!」――でも、やっているうちに、なんか苦しみばっかりきて、なんか変だな?――っていう感じなんだけど(笑)。で、それを繰り返すうちに、だんだん真の菩提心に目覚めてくるんです。つまり、そういう打算ではなくて、本当に心から「本当はもうわたしは自分なんてどうでもいい」と。「本当にみんなのために尽くしたい」って思いが湧いてくる。
 だからもちろん、最初からそういうのがある人は別にいいんだけど。エゴが出そうになったときには、そういう打算によってエゴを騙すっていうやり方もあるんだね。

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