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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第一回(8)

 はい。で、バーッといきますよ。「また、聖者とお会いしたいと欲すること、正法を聞きたいと欲すること」――このへんはさ、みんなの中にあるよね? 絶対ね。例えば、「やっぱり正しい教え学びたいな」っていう気持ち。あるいは、「聖者と会いたいな」っていう気持ち。それは当然あるよね? それは純粋な多くの人が持ってる信の根っこみたいなものです。これもだから純粋に大事にしたらいいんだね。

 はい。それから、「物惜しみやむさぼりを捨ててたくさんの布施をすること、自ら布施をすることに喜びを持つこと、供養を行なうこと」――これも、そうですね、カイラスに来てる人っていうのは、この供養とか布施の気持ちがとてもあるから、だからまあいつもこうお供物でいっぱいになるわけだけど(笑)。あるいはお金の布施とかも含めてね――これもね、何回か言ってるけど、わたしも何度も、例えばインドとかね、まあ日本でもそうだけど、お布施とか供養とかしたことがあるわけだけど、そのお布施とか供養とかするときの気持ちっていうかな、感覚っていうのは、まああの曼荼羅供養とかもそうなんだけど。なんとも言えない喜びがあるんですね。うん。論理的じゃないんだけどね。もう本当にその聖なる存在に対して、供養させていただいたとき、喜びっていうか。例えば論理的じゃないんですよ。例えば、「このお金をこれこれに使ってくださいね」――これは献金ですよ。献金っていうのは、「これで道場建ててください」と。そうすればいいですと。でも、相手が着服したりしたら、「何やってるんですか!」――これは駄目なんです。これはただの論理的な喜びね。これはまあ第一段階としてはいいだけど、でも本当の意味での布施、供養の気持ちっていうのは、そんなんじゃないんだね。もう供養させていただく、布施させていただくこと自体が喜びっていうのがある。
 これで、まあ言ってみればですよ、これで徳になるっていう思いさえもないんです。一応ね、皆さんに布施の心とかを分からせるために、「布施をすると徳になりますよ」ってよく言うけども、本当の布施の気持ちっていうのは、そういう計算も本当はないんですね。うん。もちろん計算しちゃいけないわけじゃないよ。自分に対して、いや、「布施をすると徳になるんだ、徳になるんだ」って言い聞かせることで、布施の心は増すから、それは悪いことじゃないんだけど、その中心、根っこにあるのは、純粋な布施、供養の気持ちじゃなきゃいけない。
 これも何度か言ったけど、もう一回ね、新しい人もいるんで言うけど、一番いい話としてね、仏典の中で、お釈迦様の前に出た仏陀であるカッサパっていう人がいた。このカッサパと、カッサパの第一の信者だったガティーカーラっていう信者との話があるんですね。これ何回か言ってますけども、言うとね、あるときそのカッサパがね、弟子たちに命令するわけですね。「そろそろ食事の時間だ」と。「ガティーカーラの家に行って、食べ物を持ってこい」と。ね。「もらってこい」じゃないんです。「持ってこい」と。で、弟子たちは、「分かりました」って言って、ガティーカーラの家に行くと。そうすると、ガティーカーラがいないんです。留守なんです。で、盲目の父母がいたんだけど――盲目の父母が目が見えないから、昼間息子のガティーカーラが働きに行ってるわけだけど――盲目の父母が目が見えないから昼間家の中でじっとしてるわけだね。そうするとそのガティーカーラの弟子たちは何も言わずに、ガサゴソとごはんをこう、盛り始めると。で、そこでその盲目の父母が「どなたですか?」と。「何やってるんですか?」と。そしたらそのガティーカーラの弟子たちは、「われわれはカッサパの弟子です。仏陀カッサパが食事の時間なのでもらいに来たんです」と。そしたらその両親も喜んで、「ああ、どうぞどうぞ。持って行ってください」と。で、ガティーカーラが帰って来た。帰って来たらごはんがなくなってた。で、父母に聞くわけだね。「何があったんですか?」と。そしたら、「カッサパ仏の弟子がね、カッサパ仏のためにごはんを取りに来たんだよ」と。で、そこでガティーカーラはすごい感動するんです。「こんなに信頼してくれるとは!」と(笑)。ね。つまり、勝手に行って持って行くぐらい信頼してくれてると(笑)。で、父母は二週間、ガティーカーラ自身は数か月間歓喜が去らなかったって書いてある。つまりその「ああ! 勝手に持ってってくれた!」と(笑)。

(一同笑)

 『わたしが布施させていただく』さえも超えて、持って行ってくださったと。「なんて歓喜なんだー!」って歓喜が数か月消えなかったっていうんだね。これが純粋な供養の信なんです。ここには論理的発想が何もない(笑)。ね。
 別のパターンもあるんですよ。別のときは、今度はカッサパ仏陀の家が雨漏りしたんだね。うん。インドだから雨季とかすごい雨が、雨漏りがした。そしたらカッサパが、弟子に命令するわけだね。「ガティーカーラの家の屋根をはぎ取ってこい」と(笑)。

(一同笑)

 カッサパ、すごい仏陀だね(笑)。で、弟子たちが「分かりました」って言って、ガティーカーラの家に行って、屋根をはぎ取り始めるんだね。そしたらまた盲目の父母が「何やってるんですか?」って。それでカッサパの弟子たちは、「カッサパの家が雨漏りしてるんで、屋根をもらいにきました」と。そしたら、父母も喜んで、「ああ、どうぞどうぞ」と。そしたらまたガティーカーラが帰ってきて、「屋根がない!」と(笑)。「何があったんですか?」と。そしたらその父母がね、「いや、カッサパ仏陀の家が雨漏りしたんで、弟子たちが勝手に持って行ったんだよ」と。そこでまた、「なんて信頼してくれるんだ!」と。「わたしはなんて幸せなんだ!」と言って歓喜がまた去らなかったと。で、しかも神秘的な話なんだけど、そのガティーカーラの家は全く屋根がないのに雨が入ってこなかった(笑)。

(一同笑)

 でもね、みなさんこの話を聞いてね、「そうでしょう」と。「そうだよね」と。「多分雨入ってこないよね」と。

(一同笑)

 これが純粋な信なんです(笑)。

(一同笑)

 本当に(笑)。これくらいの信を持ってほしいね。うん。で、これがね、まあ今わたし、おもしろおかしく言ったから、ちょっと笑い話みたいになったけど、もう本当に、「ああ、そうだな」と。「ガティーカーラの気持ち分かるよと」と。「本当に何も言わず持って行ってくれた。本当にもうわたしはうれしくてしょうがない」と。「しかも雨も入らない」と。「いや、そりゃそうでしょう」と。「分かりますよ」――これが純粋な信なんです。これくらいの供養の気持ちがあったらいいね。

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